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chapter1-3: 市街地エアボレース

市街地へ向けて急勾配の登りとなっている坂、必死に両足のペダルを踏み込む。

――クソッ、なんで自転車でこの坂を……

右左、踏み込むたびに自転車も自分も悲鳴を上げる。それは、見るからにオンボロの自転車だった。体重をかけるたびにシャフトがギシギシと軋む。
――ただ、音の割に車体の安定感は問題ない。自転車の整備は比較的丁寧にされていたのだろうか、耳障りで大きな音の割に、走行の不快感がなかったのは不思議だった。

ようやく坂を登りきったところで携帯端末を手に取る。
「――ファイ、詮索を頼む、GPS、No43247」
『了解シマシタ。位置情報検索……検索……検索終了、追尾シマス』
オレの声に反応して、ファイは端末でマップアプリを起動させると、その地図上に光るポイントを表示させる。光るポイントは確認した次の瞬間にはどんどんと位置を変えていく。

――エアボは今、市街地か……

エアロボード、とりわけボードに取り付けられているGPドライブは確かに小型ではあるが決して安価というわけではない。社会人ならいざ知らず、学生の身分ではそうホイホイと簡単に購入するなど出来ない程度の値段はする。さすがにそのまま放置するわけにもいかず、学校に向かうはずだったオレはGPSの指示に従って市街地の方へと自転車のペダルを回していた。表示されたポインタはエアロボードに取り付けられた簡易のIDシステムとGPSなどを組み合わせてファイが自動生成してくれた。

別に何に使うつもりがあったわけじゃないけどIDを紐付けしておいてよかった、と思った。ざっくりだけど追跡が可能、無論こんな事態を予想してたワケじゃない。

ポインタは端末上でめまぐるしく動く。時々急にテレポートしたように表示が飛び飛びになるのはボードとの通信が上手く行っていない技術的な問題だろう。そんな様子を見る限り、かなりのスピードでこの先に広がる市街地、その中心辺りを走っているようだった。その動きから察するに、市内から市街・隣のエリアなど、より遠くへ行くという様子はなく、一定範囲をいったりきたりしているような印象がある。これならば、市街へ向かえばもしかすると彼女を捕まえられるかもしれない。

ただ出会ったところで向こうはエアボ、こっちは人力……逃げられたら勝負にはならないのだけれど。

………………

………………


――とりあえずは市街まで行ってから考えるしかないか。

そう決めてモバイル端末をクリップで自転車ハンドル中央に固定する。これで走行中も画面を確認できる。
「ファイ、何かあったら変化があったら報告よろしく」
『監視了解シマシタ』

ふと右上に表示された時刻が見える。

――絵美里に言われてた学校でやってるサッカーの試合……これは間に合わないだろうな……

ただでさえ予定外の徒労にどんよりとした気分が漂うのに、明日学校で何を言われるか、そんな事を思うと憂鬱でさらに足取りが重くなる。そんな重たい左足で無理やり地面を蹴りだすと、自転車は重力に任せるように下り坂を滑り降りはじめた。額の汗を軽くリストバンドで拭う。季節を先取りしたようなその日差しは容赦なく体力を奪っていった。そうして到着した市街、比較的大通りの歩道をスピードを落としつつ走行する。市街地に入った直後からその異変に気が付いていた。

歩道でざわめく声がする。その発生源は一箇所、二箇所なんてものではない。情報が欲しい、とりあえず誰かに聞いてみるか。オレは自転車に乗ったまま、たまたま近くにいた黒髪の女の子に背後から声をかける。
「ごめん、ちょっといいかな?」
「――えっ? あっ、はい」

携帯端末で撮影していたらしい少女は、驚いたようにしてこちらへ振り返った。
「みんなざわついてる感じだけど、何かあったの?」
オレの問いに、彼女は少し息を吸うように間を作ってから口を開く。
「えっと、なんかバイクとボードが凄い勢いで街中を走りまわってて、信号とかも無視してて凄く危ない感じなんで……」
そう言いながら、彼女は手にしていた端末の画面をこちらに見えるようにすっと差し出した。画面には残像の様なブレが酷い写真が表示されている。
「写真とってツイパにアップしようかと思ったんだけど、上手くとれなくて……」

確かに残像だけど、それが先ほどの少女である事は黒髪と服装から予想できた。
「ボードって、これエアボだよね?」
「凄く速いからびっくりしたけど、空飛んでるしエアボで間違いないよ」
「それで、バイクを追走してるの?」
「そう! そうなんですよ、信じられなくて」
彼女が言う事は最もだ。エアロボードは確かに速度が出ないわけじゃないけど、トリックを楽しむガジェット。まさか疾走するバイクに追随する速度で走る事なんて想定していない。そもそもそんな速度、生身の人間であるボーダーにとって相当危険なスピードだ。

「バイクの前に回り込んだりしてるんですよ、信じられます?」
「回り込む?」
「そう! 並走している所から急にグルって背面から正面に回り込んだり……」
「それは、テールターン?」
「あーそんなやつ! なんか水平にクルって反転するみたいな動きで……」

――180°テールターン

カーブを曲がる際にボードの後ろ――テール側を横にスライドさせるようにして滑るようにコーナーを曲がるターンテク。ボード文化はアングラながらカルチャー系雑誌などでよく特集されているが、180°テールターンは難易度の高いテクニックとして広く知られている。いわゆる車のドリフトのようなイメージだが、接地していないエアボにおいて、走行中の重心バランスをとることは非常に難しい。特にスピードがのっていると、テールスライドの勢いで本人が振り落とされかねない。

「あんな風にさらっと決めるなんて、雑誌や大会でしか見た事ないし、もしかして映画化ドラマの撮影とか何かなのかなーって。ネットでももう話題になってますよ」
促されるようにつぶやきサイトを見ると、次々とこの界隈で起こっている追走劇の情報が上がってくる。なんとかそれを捉えようとする写真も見受けられるが、そのどれもが輪郭を捉えきれていない。それらの写真が相当なチェイスが展開されている事を示唆してくれていた。

色々と教えてくれた彼女にお礼をいい、再びペダルへと足を踏み込む。


――間違いない、さっきの彼女がオレのエアボでバイクに追いついたんだ。
何の目的でバイクを追いかけているのかは分からないけど、振り切られていないんだとしたら凄い。というか、普通じゃない。話を聞く限りかなりのライディング技術もありそうだけど、それにしてもバイクとボードのチェイスなんて異種格闘技もいいところだ。大けがしなければいいけど……
端末の地図アプリ上でGPSが指し示すポインタの動きを確認する。エアボはどうやら市街地から遠ざかっていない。碁盤の目のように格子状に組まれた市内の道路を右へ左へと目まぐるしく動き回るけれど、市内から遠くへ行くような動きにはなっていない。
正直、どうしていいかわからないけど、なんにしても遭遇できる可能性が高いのは中央を走る大通りだ。そう考えてオレは中央通へ向けて自転車を走らせることにした。

右、左、交互に踏み込み自転車を走らせる。そうして大通りへ近づく。やはり街は異様なざわめき。沿道の人々の会話が時折耳に入る。その様子を横目に、中央通を進む。


――その時だった

けたたましい警告アラーム音と共にファイが叫ぶ。
『警告! 警告! 目的ノボードガコチラニ最接近シマス』


――接近?

自転車のハンドル中央へ取り付けたそれを確認する。確かに表示されたポインタは急速に旋回し、こちらへと近づいていた。おそらく建物と建物の間にある小道を伝ってこの大通りへと出てくるつもりらしい……慌てて両手をぐっと握り、自転車のブレーキをかける。そうして自転車が完全に静止する前に

――間違いなく、視線の先が震えた

GPドライブ独特の風を吸い込むような高周波音と共に建物の影から突然目の前に飛び出してきたエアロバイクが大きく弧を描く。車線も信号も交通状況も、何もかもを無視したそれは大通りを走行中の車両の前で旋回する。

あちこちから聞こえてくる急ブレーキとクラクション――けたたましい音が響く中、エアロバイクは大きなカーブを描いて俺が今来た道をまっすぐ突き抜けてゆく。


「――ぐ……お……りゃぁぁぁぁぁ」

続いて大きな叫び声と共に、エアロボードがやはり同じように建物の影から飛び出した。

――っ!
その姿を見て、全身の毛穴が開くような、そんな感覚に襲われる。
建物の影から飛び出したときにはすでにボードの先端は次の進行方向へと向けられている。少女は体を丸めるようにして片手でボードのサイドエッジを掴む。曲がる直前にすでにスライドトリックを決めていたのだろう。体を地面に45°程度で傾けて、それを操る少女はただバイクを追いかけると、並走……いや、バイクの前に出てサイドからプレッシャーをかけるようにラインをとる。
「……あ、おい! ボー……」
「――の――ック、返せや、このどろぼぉぉぉぉぉ!」
少女の叫び声が耳元をかすめて、そして遠くなっていく。

――どろぼぉ?
ドップラーしていく声と小さくなる背中を見ながら、少し首を捻る。バイクと同様、すぐ横を恐るべきスピードで駆け抜けていく少女、声をかける以前の問題だった。

だけど正直、オレは声をかけようとしていた事すら忘れていた。今の一瞬、気になってたのはあの少女――ボードがバイクから放されることなく、むしろバイクの前に出ながら、プレッシャーをかけるなんて事をやってのけていた事実の方。エアロボードがバイクに肉薄していたのだ。明らかにバイクの方が走行面では有利にもかかわらず、彼女はエアロボードでバイクと互角以上に渡りあっていたのだ。

エアボの動きから察するに、テールスライドを決めたと思われるコーナリングから直線の立ち上がり。カーブを抜けてから中央通への立ち上がりで……その一瞬で彼女はバイクの前に出ていた。多分だけど、カウンターブレーキをまったくかけていないコーナリング。
エアボなどのブレーキングは基本的には進行方向の後ろ側に体重を乗せるか、進行方向に対してボードを垂直にし、両足に均等の体重をかけるか……そうして空気抵抗を上げてエアブレーキをかける以外は、単純に逆噴射などのドライブ出力操作で止めるかである。だがそんなあからさまなブレーキング操作はしてはいない。見た感じだけどほとんど減速なしで直角のカーブを曲がっていた。ドリフト、という表現で正しいと思うが、よほど三半規管が優秀で体幹が強くないと、ボードであんなライン取り、ドリフト走行なんてできない。それが出来る人間をオレは知らない。ブレーキングなしでカーブをあんなふうに曲がれるのかは、オレにはテールスライドなんてテクが使えないので正直わかんないけど……
……なんなんだよアイツ……凄いテクニック……

――って、ちょ……待て! 何を関心してるんだ。
我に返って再び冷静に考えようと頭を振って思考をクリアにする。彼女はオレのエアボでバイクとやりあっている。そういえばあの子、「泥棒」って言ってたよな……あのバイク、何か盗んだってのか?

――ひったくり?

頭の中で情報と情報がリンクした。もしかしてあのバイクって、ひったくり犯なのか? そうだとしたら色々と納得できる。信号無視してでも止まらないバイクとそれを止めようと追いかけるエアロボード。やましい事がないのなら普通に立ち止まってくれても不思議はない。


そんな事を考えているうちに裏路地の一角へと自転車で滑り込む。
『警告! 次ノ角デ待機。バイクガ接近シマス』
ファイの声が自転車ハンドルの中央に固定した端末から聞こえる。言われるがままに五叉路になっている商店街の交差点で自転車を止める。そこで自転車を壁に立てかけるようにして降りると、飛び出してくると予測される道の方へと走る。
『危険! 下ガッテ……!』
その道へ一歩踏み出そうとした、その瞬間だった。ファイの声が響いて、前に出ようとしたその自転車の車体を反射的に一歩引いた。

――オレの鼻先をバイクが一瞬で通過した。

バイクが引きおこした風に流されたように、後ろへと倒れそうになったところで、ビル壁が背中を支えた。左手で背中を支える壁を押しだす様にして再び自らの二本足で大地に立つ。

――あ。

その瞬間、まるで世界が止まったかのような錯覚を覚えた。スポーツ中継のスロー再生の様に――緩やかに、だがどうしようもなく鮮明に、眼前の時間が流れていく。バイクの後を追ってその角からエアロボードと、黒髪の少女が飛び込んできた。
はっきりと――目と目が合う。ただその一瞬、お互いの視線が交わった。
時が元の速度を取り戻した。彼女の姿はオレの視界から消えている。慌てて周囲を見渡すと、五叉路の一つ、大通りへと戻る道の先にエアロボードがまき散らす光の粒をようやく見つける事が出来た。

――あの目は、必死だった。

本気で何かを訴えかけている目に見えた、そりゃただの勘違いかもしれないけど、あのバイクを止めなきゃいけない、そう直感した。
彼女のボードが接触すら恐れない距離でバイクに肉薄しているせいで、街の路地群から抜け出せないでいる。そのプレッシャーがなければ、とっくの昔に街の外へと逃げ出しているだろう。ボードの圧力によって進路が妨害されている。だけど、バイクを止めるにはそれだけじゃ不十分だ。袋小路に追い込むか、もしくは……どこかで挟み撃ちにするしかない。

もう一度、マップとエアロボードがいるはずのポイントを確認する。街中の路地を進む様子が、途切れ途切れのアイコンから推察できた。エアロボードがバイクを後方から追いたてていく、その経路を先回りできれば、このチェイスという状況からは脱するに違いない。でも経路を先読みして待ち伏せなんて、意思疎通もなにもない、何の打ち合わせもない状態からできるものなのか……いや、できる。オレと、ファイならなんとかなるかもしれない。

「ファイ! これまでの経路から1分後のボードの位置を予測!」
『了解シマシタ』
端末へ指示を飛ばす。それから数秒のうちに、マップ上にとある路地の1つが赤く点滅する。
『1分後、コノ路地ニ接近スル確率、78.902%デ最大デス』
ファイがそういったのとほぼ同時、オレはめいいっぱいペダルを踏み込んで、マップが示す道へ、バイクがやってくるという方向の逆から回り込む。予測は1分後、確率は8割ないくらい。未来が見えているわけじゃない、これは確率の話だ。オレとオレの相棒(プログラム)が弾きだした可能性。額に汗がにじむ、吐きだした息と声が自分の耳の横を勢いよく流れていく。自転車は疾走する。刻一刻とその瞬間が近づいてくる。オレはファイの予測を信じ、日中にもかかわらずビル影で夜の様に暗く感じられる路地へと駆けこんだ。時間は通過予測の約10秒前。オレが正面を向いた直後、路地の先から高周波が響き、眼前の光の中から黒いシルエットが飛び出した。バイクがオレの正面へと急旋回で突っ込んできたのだ!

――ビンゴ!

さすがファイの解析、見事な予測だ。曲がった直後、小型のバイクを支えるドライブの光が強くなる。オレの姿を見つけて急ブレーキをかけようとしたからか、それともさらにアクセルを入れたからか。

ガクンッ!

動揺を反映するようにバイクの体制は崩れる。だが進行は止まらない、オレの目の前でバイクがバランスを崩しながら左右へとぶれつつ突っ込んでくる。
「――! うわぁぁぁああ!」
――ヤバい、死ぬ。
オレは右手で端末を乱暴に引きはがすと同時に乗っていた自転車のサドルを蹴飛ばす様にして路地の端目がけて飛び降りる。そう、オレが自転車を離た直後、その自転車を巻き込むようにしてバイクが崩れ落ちる。バイクはその勢いで障害物を押しきりながら、なんとか体制を元に戻そうとするが――さすがに無理があった。

ガシャアアアアア!

その路地のビル陰に置かれていたポリバケツやゴミ袋、つまりゴミ捨て場に突っ込むような形で、あれこれを巻き込みながらバイクはビルに激突し、ライダーは地面へと叩きつけられた。

――何にしても、これで止まった。
と、同時に背後の影がそれに迫る。
「……っ! しまった!」

ボードが危ないと気がついたときにはすでに路地へと侵入していた。

エアロもこの現場に突っ込んでしまったのだ。後方へ飛び散る残骸がエアロボードの障害物になってしまう。このままではボードもクラッシュして……!
バイクと違い防具などつけてはいないのだから、怪我なんてもんじゃすまない……!

考えるより先に思いっきり地面を踏み込んでいた。
というか、考えなんてなかった。

ボードと残骸の接触点だと思われる場所めがけて勢いよく走り込む。勢いのまま少女がボードに振り落とされると思われるポイントへと滑り込む。

下敷きでもなんでもいいから、とにかく彼女を受け止めないと……!

――だが、そんな思考は杞憂に終わった。

ふらついていたハズのボードは、次の瞬間タイミングを計るようにボードがテール方向から宙へと飛び上がる。少女は体を丸めて沈み込むようにして両手で各サイドエッジを掴んでいる。ボードの一番後ろ・テール部分から宙へと飛び上がりながら前進するボードはそのまま地上3・4メートルあたりを前宙する。その軌道が描くのは綺麗な半円。


――半月輪……!

ボードテクの一つで、沈み込んだボードが平行を保とうとする反発力と推進力、または風などの外的要因を利用してテール側から反転するようにして高く飛び上がるエアリアル。綺麗な弧を描くその軌道は見るものを虜にする。まるで無重力下のような軌跡を描き反転して飛ぶ難易度の高いトリックであり、並のボディバランスではまず成し得ないだろう。第一失敗すればそのまま地面へ叩きつけられて大怪我必至、度胸も半端なく必要だ。なかなかお目にかかる機会はないと聞く。少なくとも自分は目の前で見たのは初めてだった。

尚且つ、その飛翔は凄まじい高さだった。
ストリートで見かけるようなボーダ―達の遊びとは違う、無駄のない流れるようなテクニカルな走行から数倍もの高度で天高く舞い上がった。事故現場を鮮やかに飛び越えたボードはそのまま何事もなかったかのようにフッと地面へ舞い降りる。上空でのエアリアルで上手く勢いも殺したのか、衝撃音などは聞こえてこない。ランディングもほとんどないほどに短く、見事な着地だった。
……と思っていると、少女はボードから飛び降りたままの勢いで、一気にゴミ収集エリアへと一気に駆け抜ける。そこにはふらつきながら、ようやく起き上がろうとしている小型バイクのヘルメット姿のシルエットがあった。

「りゃぁぁぁぁぁぁ!」

と、掛け声と共にそこへ駆け寄った少女はその勢いと全体重を乗せて……綺麗なローリングソバット!その蹴りの高さがまた凄い、180cmはあるだろう首あたりへの回し蹴り。立ち上がったはずのそれは、とどめの一撃で完全に倒れこんだ。

「――ふぅ、っと!」

顔にかかっていた黒髪をすっと手で払い、少女は息を一つ吐く。そのまますぐにバイクが転がっている方へかけていった。半月輪なんて離れ業の直後、乗り捨てられるように工事現場の反対側に放置されたボードへと歩み寄る。

「……ドライブ、大丈夫か?」

その場にしゃがみこみ、ボードを裏返しにしてドライブの様子を伺う。

「アチッ!」
手をかけようとして、慌てて手を離す。かなりの熱を帯びていた。ボードのドライブに冷却機構などは普通つけない、ボードの走行自体が冷却をかねていて、そんなもの必要ない、というのが常識だからだ。だが、目の前のそれは触れることが出来ないほどの熱を帯びていた。
『ドライブ、オーバーヒート状態。通信機能途絶、修復可能カヲ確認デキマセン』
「確かに」
それはそうか、初走行のドライブであれだけのデットヒートを行っていたのだ、嫌な予感も当然していた。
外傷こそないものの、蓋を開けてみれば中の機構はボロボロに違いない。
「ファイ、一応中身がどうなってるか確認しておいてもらえるか?」
『再起動必須、ソノ前ニ冷却ノ時間ヲ確保シマショウ。熱クテ中ニ入レナイ』
AIに熱さを感じるような高度なシステムはないはずだが、今のはファイなりのウィットに飛んだ会話というヤツなのだろう。オーバーヒートしている機器のシステムに入り込んでもまともに解析できないだろうし、今これ以上の負荷をかけるのはよくない。とりあえずある程度時間をおいてから、またちゃんと検査してみないと……

そんな事を考えていると不意に背後から影になる。振り向くとそこには少女がこちらを覗き込むように立っていた。

「――あの……ごめんなさい、えっと……」

少女は深く頭を垂れて、謝罪の言葉を述べる。
「……ボードのこと? まぁ、それならいいよ。一応返してもらったし……まぁ、結構ドライブ熱いけど」
そう言ってボードを指し示す。
「でも新品だったんでしょ、このボード。なのにフルスロットで……もしかしたら壊れてるかも?」
「――へぇ……コレ新品だって思うんだ」
「違うの? 走っててそんな感じがしたんだけど」
この子、エアロボードの乗り方といい、ボードで走っただけで新品だと思うあたり、素人じゃないな。ボードにかなり乗り慣れている。
「まぁ厳密には新品じゃないけど、初調整後だから新品みたいなものって言ってもいいかも。なんで分かったの?」
「そっか。GPドライブの、なんていうかドライブ音がね……なんか慣らしてない感じしたから」

……多分顔には出さなかったけど、正直かなり驚いた。
――音だけでドライブが新調されたばかりだって分かったのか?
ドライブ音なんて使いこんでもほとんど変化がでない。それこそ誰もが気が付く異音がした時は故障の直前。
それを本気でいっているのか、それともよほどの……

「新品なのに私が無理させたから、もしかしたら壊れてるかもしれないね……ごめん、どうしよう……」
「とりあえずいいよ、それは調べてみないとわかんないし。ある程度無理できる設定にしてたしさ、まぁ壊れたら壊れた時さ。最終調整前にリミッタもかけずに道路に出したのはオレだから。それに……」
そこまでいって道路上の残骸を指差した。乗り捨てた自転車が無残な姿になっていた。
「キミの自転車、壊しちゃったし」
 ――タイヤは吹き飛びシャフトが曲がり、ハンドルやサドルも外れたボロボロの自転車はもはや自転車であったのかすら怪しいスクラップとなっている。

少女は驚いたように、
「……いや待って! さすがにあんな元々スクラップ当然の自転車と、エアボじゃ……」
――ワリにあってない、って意味だろう。
「壊したことには違いないだろ? だからもういいよ」
エアボを中途半端な状態で道路に出したことも警察とかに問い詰められたとしたらちょっと問題かもしれないし。それにこれは多分大丈夫、直せる、これまでの自分の経験からそう直感していた。
こちらの様子にそれまでやや硬い表情をしていた少女はスッと顔を緩め
「ごめん、でもありがとう。凄く助かった」
そう言って笑顔を見せてくれた。

まぁドライブに関して、決して痛くないわけじゃないけど自転車を壊したのもあるし、何より凄いものを見せてもらった気がするし。

「あ、私も1つ質問があるんだけど」
「何?」
「もしかして、手伝ってくれたの?」
「へ? 何を?」
「私がバイク、捕まえるのをさ」
「事情はよくわかんなかったんだけどさ、このバイクを止めないとボード返してもらえそうにないなって思ったから」
そう言うと、彼女はありがとうと言いながら深々と頭を下げた。
「でも、よく待ち伏せできたね?」
「行き先を予測させたんだよ、手持ちのナビに」
オレは手に持っていた端末と、その画面に表示されているファイをみせる。
『コンニチハオ嬢サン、ファイデス』
「……凄い、自我持ちのプログラムを学生証に入れてるなんて」
――彼女は目を丸くして、興味深そうに近づくとその画面を見つめる。ようやく落ち着いた所で、オレは彼女に問いかけた。
「……それでさ、なんでバイクを追っかけてたの?」
そう問いかけると、少女は後ろ手に持っていた少し大きめのスポーツバッグを右手に持ち替えてこちらへと見せる。
「……ひったくりなの! アイツ」
ビシッと倒れ伏しているヘルメットを指差す。
――やっぱりそうだったのか。つまり自転車で移動中にそのスポーツバッグをひったくられた、ってことかな?
「自転車の前かごにカバン入れてたらいきなり後ろからビューンって感じで」
全身を使い両手を右から左へヒラリと流すようなジェスチャーで語る。
そりゃ前かごに入れていたらひったくられる可能性もあるだろう。だけど正直自分も学校に行く際には前かごにカバンを入れていたりするし、気を付けないといけないなと改めて思う。
全部の話が繋がった。ひったくられたバックを取り返すためにバイクを自転車で猛追してて、オレに出くわしたってことか。
「ホントに助かったよ、さすがにエアボじゃないと追いつけなかったと思う」
満面の笑みと共に左手を差し出してきた。反射でその手を掴むと、ぶんぶんと勢いよく握手。いや、エアボでも普通の人じゃ追いつけなかったと思う。

――でも、大事なもの、か。
生身のエアロボードでバイクと接触すれば大けがの可能性もあった。そんなリスクを省みず、すぐに取り返さなきゃいけなかった盗品って一体何なのだろう?
なんとなく気になってそのスポーツバッグに視線がいく。
「ん? なに?」
「あ……いや……」
「あれ、もしかして女の子のカバンの中身に興味があるの?」
「違う違う! 別にそんなんじゃなくて、ただ大事なものってなんだったんだろうて」
慌てて否定しながら本心を口にすると、彼女はあぁそんなことと呟きながらカバンを漁る。そうして奥の方からその大事なものを取り出した。
「はい、これ」
彼女が手にしているのは、ハンカチのようにみえる白い布。
「そのハンカチが?」
「違う。リボンだよ、失礼だなー!」
少しムッとしたように眉を吊り上げる。
「リボン? でもそれが大事なモノ?」
言い終わって、凄く失礼な事を言ったと思いハッとする。ただお世辞にもその白い布切れがリスクを追ってまで取り返さなければならないような貴重品には思えなかったのだ。
「うん、そうだよ。凄く大事なモノなんだ」
だが彼女はそれを大切そうに握りしめて胸のあたりに手を置いた。そっと優しく抱きしめるような、そんな風に見える。

「……っと、そうだ! とりあえず何かお礼をしなきゃ」

彼女は急に思い出したように、その大切だといっていたリボンをスポーツバッグに戻して、再び中を漁りだす。先ほどの指摘もあり見ない様にと思ったけど、特に隠す様子の無い彼女のしぐさからカバンの中の様子が目に入る。

――ジャージにタオルなど、スポーツ系のアイテムが見てとれる。なんだろう、ジムにでも行くような雰囲気だな。
……と、奥から財布を取り出してきた。

「お礼お礼……と……」
「……いや、お金とは……」
さすがにお金なんてもらったら逆にこちらが気まずい。とりあえず否定しようと近寄る。

――ってアレ?

「……あちゃー、ゴメンなさい! 全然お金が入ってない……」
苦笑を浮かべこちらへバツが悪そうにいう。
「ってまさか、盗まれたのか?」
「あーいや、ごめん違うんだ。元々入ってなかっただけ。昨日振込みしたの忘れててさ。ハハッ、さすがにジュース一本で終わりにはできないよね……」
バツが悪そうに笑いを作りながら少しだけ財布を振る様な動作をすると、ジャラと複数のコインが音を立てた。札入れにはレシートやカード類。小銭入れには少量のコインが見える。
「しまったなぁ……どうしよう、これじゃあ……でも何にもないしなぁ……」
考え込むように必死に財布の中を引っ掻き回す少女。しかしこちらはそんなものを要求する気はない。
「お礼とかいらないから、本当に気にすんなって。じゃあ……」
とりあえずちゃんとボードも返ってきたのだ。今はそれで十分だった。とにかくそれだけいうとボードを慎重に手に持ってその場から去ろうとした。
「――あ、待って!」
背後から再び少女の声。

「なに?」
「――キミ、名前は? 今度絶対にお礼するから」
よく知らない人に名を名乗るなんて事、学校以外ではした事がなかったために一瞬戸惑う。だけどまぁ名前なんて別に隠すようなものでもない、とすぐに思う。
「神谷野。神谷野翼」
素直にそう答えた。
「……神谷野……翼……ふーん、そっか……神谷野……うん、分かった」
オレの名前に何か引っかかりがあったのか、名前を聞いた少女は俯く様にして、何度もオレの名前を確かめる。オレからは視線を逸らしている。
だがその直後、急に眼を見開いた少女は慌てて
「――ヤバッ、サイレンの音がする……キミも早く逃げて! ってか全力で走って!」
それだけいうとあっという間に荷物を持って走り去る。足もかなり速いらしい、路地から大通りへと駆け抜けるともうどこにも姿が見えなくなった。身体能力凄いな……関心しながら、でもサイレンの音ってなんだろう……?  とりあえず何も聞こえない……
……っと、彼女の警告から数秒、確かに遠くからサイレンの音が近づいてきているのが認識できた。

――パトライトの音……警察!

悪い事をしたわけじゃない……と思いたい。だけど現場にいたら事情聴取は確定、状況説明やらなんやらでかなり面倒なことになりそうだ……そんなことを考えていたら気が付いた時には、全力で市街を疾走していた。

chapter 1-3 (終)

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