最近「学び」や「アンラーン」と聞くけれど、そもそも、人はどう学べるのか?

人はどう「学び」、熟達していくのか?
自身もトップアスリートであり、為末大氏。
彼は、自身の経験をもとに、トップアスリートや囲碁将棋のプロなど、さまざまな領域の「熟達者」とのインタビューを重ね「学び」「熟達」へのステップを理論化した。
その本が「熟達論」である。

「熟達論」に記載されている内容は、瞑想においても非常に参考になる点が多い。
瞑想をしていない方においてももちろん、習い事でも、仕事でも、ゴルフなど趣味であっても、同様に参考にできる点が多い。
実に実践に活用できる本だと感じるので、今回の記事では、その要点を紹介したい。
(もっと売れていい本だと思う)

為末大氏は、熟達の段階を、「游」「型」「観」「心」「空」の5つに分け定義した。
※以前、以下記事で「エクストリームスポーツに挑む人達の「フロー体験」」について記載したが、為末氏が定義した「空」とは、ZONE=フローとも一致するものだという。

遊びから始まる「游」

技能の土台をつくる「型」

観察によって、関係と構造を理解できる「観」
猿真似がなくなり、本質をつかむ

中心をとる「心」
無意識で中心をとれるようになると、簡単には崩れなくなる
この段階になると個性を自覚し表現できるようになる

制約から解き放たれ、技能が自然な形で表現される「空」
自我がなくなり、今までの前提が大きく変わる

それぞれ、特に重要と感じた点を紹介していく。
(太字で、書籍で述べられている主旨を、通常文字で、感じたことを記載)

遊びから始まる「游」において重要な点


「遊びとは、主体的であり、面白さを伴い、不規則なもの」と定義している。
これが熟達の最初の段階にあるということ。
たとえば、私たちがスポーツを、あるいは仕事を、ヨガや瞑想を極めようとする際にも、仕事のメンバーに何か学んでもらいたいときにも、あるいは、子供に受験やスポーツなど、何かに取り組んでもらいたい際にも
この視点は心にとめておきたい。

人の動機には2つのモデルがある。
その物自体(今)に楽しさ、報酬がある「現在報酬型」と
今を我慢して未来に報酬を得る「未来報酬型」だ。
後者は、燃え尽きるリスクがある。

大人になるうちに、周囲からの教育により、
私たちは比較的、「未来報酬型」で駆動することが多いかもしれない、
はたして、「未来報酬型」駆動でいいのだろうか。
実は「現在報酬型」こそが、幸せにつながるのではないか、とも思う。

目標が大きいと、視野狭窄状態になることがある。
そんな時は、別の目標も持つこと、目標が達成されなくても、いいじゃないかと思える見方が必要になる。

他人にどう思われてもかまわないと思っている人間は。人前で重圧を感じにくいが、社会的な評価が欲しい人間は、人前で重圧を感じる。

マズローの言う「承認欲求」に縛られている人は、熟達のプロセスを進めないということと感じる。
「承認欲求」から解放されることはこれまた難易度高い。
(完璧に開放はされ得ないが、距離を置くことは可能)

技能の土台をつくる「型」において重要な点

自由に技能を使えるということは、無意識でできるということ
仕事であっても、ゴルフなど趣味であっても、瞑想であっても、共通するポイントだと思う。
無意識に繰り出すことができるようになるまで修練が必要ということ。

観察によって、関係と構造を理解できる「観」
において重要な点

無意識に動けるようになると、注意を他に向ける余裕が出てくる。
自分のやっていることを観察することができる。

視覚だけでなく、全身で感じ取る。
この「感じ取る」のに重要なセンシングが、私たちはできているだろうか。
頭で考えすぎて、体の信号を無視して(あるいは気づけなくなっては)いないだろうか。
(余談だが、体感覚を取り戻すためにとても有効なのが、ヨガであり、経絡体操だったりする。)

多くの熟達者は、寝食を忘れて没頭した時期を持つ。
一度体験したことは、再現性があるからだ。
ヨガや瞑想をしている方は、「リトリート」という言葉をご存じかと思う。
空気の良い場所で、数日間、集中的にヨガや瞑想をすることを指すことが多い。
このリトリートの有効性もまた、深くまで一度体験することで、
日常の実践においても、再現性を持たせられる、ということにあると思う。

俯瞰と集中の2つの視点

集中状態になるには、雑念を退け続けることも需要。
だが、雑念を否定して封じることを目指すのではいけない。
上級者にも雑念は浮かぶが、長く滞在させず流していく。
これはまさに、瞑想でもよくある質問であり、答えだ。
「雑念を考えないようにしよう」とすること自体が雑念になる。
あらわれた感情や思考は、放っておくと自然に弱まっていく。

頭で「わかる」と体験で「わかる」の違い
私たち現代人は、ともすると、「頭でわかること」を学習することと思い込んではいないだろうか。

中心をとる「心」

無意識で中心をとれるようになると、簡単には崩れなくなる
この段階になると個性を自覚し表現できるようになる

中心をつかむことで、あるべきところに中心を置き続けることができる。
だからこそ、大きな力を中心から発揮させることもできる

自然体になり力を抜ければ、何をするかを自由に選べるようになる

集団にもリズムがあり、良い集団はこのリズムと連動の質が高い
「チームワーク」「心理的安全性」の重要性が最近よく言われているが、
本当に良いチームに現れるのは、ここで書かれていることだと思う。

熟達者がその人らしさを持つのは、個性をあるがままに捉え、その中心をつかんでいるからだ
私たちは、たとえば自分自身について考える際にも、「いい点」「悪い点」と分類し、「良い点」を増やそうとしがちだ。
より周囲から「かっこよく」見えるようふるまいがちだ。
そうではなく「あるがまま」の大切さを説いているのだと感じる。

言葉と体験の違い

制約から解き放たれ、技能が自然な形で表現される「空」

意識しコントロールする自分からの解放。これは、夢中になることで実現できる。

勘は論理を超える、勘=経験をもとにした無意識化の論理的帰結

自分の特徴を捉え、生かすことができればポテンシャルが十分に発揮できるが、それを阻むのは私たちの価値観。

評価をする視点がなければ、動きに迷いがなく、勢いが出る。

「空」で体に意識を明け渡すためには、どうしても言葉が邪魔になる。

「空」に確実に入れる方法論はない。私たちは、そのための準備をし、入れるかどうかは運に任せるしかない。

この章は記載されていることが深く、また、「おっしゃる通り」と感じるものばかり。結果、あまりコメントを挟む部分がなくなっていましましたが。
ここまで、それぞれの段階での特にポイントとなると感じた点をご紹介しました。

「熟達者」の学習における共通点

また、トップアスリートや囲碁将棋のプロなど、さまざまな道の「熟達者」にインタビューを繰り返す中で見出した、「熟達者」の学習における共通点もあるといいます。
自分自身が、自分の大切な誰かが、何かを学ぼうとしている際、この点を満たせているかどうか、チェックするのもまた有効と思います。

「熟達者」の学習における共通点
・基本となるものを持っている
・迷うと基本に返っている
・人生で何かに深く没頭した時期がある
・感覚を大事にしている
・おかしいと気づくのが早い
・自然であろうとしている
・自分がやっていることと距離を取る態度を身につけている
・専門外の分野から学んだ経験がある

いかがでしたでしょうか。
近年、ビジネスパーソンの間でも、「学びなおし」「アンラーン」という言葉がはやったり、「学び」に関する表面的な本も多くありますが。
「学び」の本質について、とても得るものの多い良書だと思います。

最後に、素晴らしい文なので、為末氏のあとがきを一部引用し、文章を閉じたいと思います。

競争は必ず優劣をつけるが、「学び」自体は全ての人に開かれている。そして、「学び」そのものが「娯楽化」するのが熟達の道だ。
この本が、人間であることを謳歌し、夢中になって探求する喜びに全身が染まる体験を通じ、一人でも多くの方の可能性が拓かれる助けになることを願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?