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交尾

 セミ取りをしている子どもたちの中から、「あっ、交尾している」という声が聞こえた。「交尾」という言葉にドキッとして近づいて見ると、虫かごの中にたくさんいるセミの中の2匹が向かい合わせにくっついて交尾していた。今はクマゼミだらけで、虫かごの中は全てクマゼミだ。もう自分の命も長くないと、最後の交尾をしているのだろうか。あっけらかんと「交尾」と言った子どもにびっくりした。その子は昆虫に詳しいみたいだ。他の子どもたちも交尾中のセミをじっと見ている。
 小学校でどのような性教育をしているのだろう。人間のセックスと昆虫の交尾は別物と考えているのだろうか。邪気のない目で交尾を見ている子どもたち。
 昔は、私の田舎はアブラゼミがほとんどだった。夏休みに親戚へ行くと、近くの山にはニイニイゼミがいた。それを取るのが楽しみだった。もちろん交尾中のセミもいる。交尾中のセミは飛べないから、アミでつつくと、ポトッと落ちてくる。
 昔は、クマゼミなんて全然いなかった。南の方の大きなセミだという知識はあった。そのクマゼミの生息域がだんだん北上している。クマゼミが増えるにしたがって、他のセミがいなくなる。昔はたくさんいたアブラゼミもめっきり見なくなった。


 日陰の流れの少ない小さな川に、トンボがたくさん飛んでいた。灰色の色が濃いのでオオシオカラトンボのようだ。見ていると、交尾しながら飛んでいる1組がいた。そして急に結合を解くと、黄色いメスが水面にお尻をつけながら産卵をし始めた。飛びながらピッピッとお尻をつけて、また別の場所へ移動する。さっきのオスとは別のオスが近づいて交尾しようとする。メスはそれを無視してピッピッと卵を産む。セックスよりも卵を産むことが優先される。セックスは卵を産むための手段だ。相手にされないのに、飽きもせずにメスにちょっかいをかけ続けるオス。人間社会を見ているようで、見ていて飽きない。
 シオカラトンボは田んぼの周りに当たり前にいた。灰色のオスと、ムギワラトンボとも呼ばれるメス。麦わら色=黄色い体をしているのがメスだ。それらよりも色の濃いオオシオカラトンボがたまにシオカラトンボの中にやってくる。色が全く違う。山の中の小さな池などがあると、オオシオカラトンボが何匹も群れていることがある。ちょうど今回見つけたような場所だ。そんな場所を発見するとうれしくなる。
 交尾しながら飛んでいるトンボは、シオカラトンボだけじゃなく、いろんな種類のトンボを見ている。
 昆虫の交尾を見ていると、交尾、セックスは、子孫を作るための神聖な行為だと自然に思えてくる。クマゼミの交尾を見ていた子どもたちの目から、そう感じる。

 夏休みに昆虫の観察をしてみたらどうだろう。
 昔の昆虫採集は、注射器で毒液を打ち(本当は何の液体だったのだろう)、殺して、虫ピンで台紙に留める。虫を刺すピンだから虫ピン。昆虫からは、けっこう臭い臭いがする。昆虫採集セットには注射器と毒液のびん(プラスチックだけど)が入っていた。今は虫を殺さなくても、パチッと写真に写せる。今年度、小中学生に配布されたタブレットで写真を撮ってもいい。んっ、学校から「タブレットはドリル以外は使ってはいけないという指示が出ている」って。そんな学校もあるのだろう。せっかくの機器だから有効に使わなければもったいない。
 自然に目を向けるための一つのきっかけとしてタブレットも使えるのに。変なサイトを見るのではないかと心配をする学校の先生もいるのだろう。そんな興味を持つ子は、学校からタブレットが配られなくても、家にあるPCやスマホで何でも見ている。それならば、昆虫の交尾を見ながら、生命の神秘を学んだ方がよっぽどいい。トンボが交尾しながら飛んでいる姿を見てわいせつ事件を起こす子どもはいない。もしそんな子がいたとしたら、それは学校からタブレットを配られなくても問題を起こしている。
 何はともあれ、この夏休みに、子どもたちには自然とふれあってほしい。子どもだけではない。大人も自然を見てほしい。耳を澄ませば意外に虫の声が聞こえることもある。ひょっとすると遠くの海の波の音が聞こえるかも知れない。町の中の植木鉢にも虫が訪れているかもわからない。自然は、そこにもここにもある。
 自然は神秘にあふれている。


 タイトル画像は今回のタイトルと全く関係ありませんが、何故か「自然」の画像の中から惹かれました。セミでもない、トンボでもない。じゃあネコとネズミだ。そんなことを感じました。

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