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「いろはかるた」でことわざ覚え、人生のアヤも学んだり

 「いろはかるた」は、花札や百人一首に対して「あいうえお」順のかるたのこと。本来はことわざをかるたにしたもの。昔の人はそこでことわざを覚え、人生を学んだりしていた。
 ことわざは、「旅は道連れ世は情け」のように、他人と仲良くしようという一方、「人を見たら泥棒と思え」のように、人をむやみに信じるなといった両極端の教えがある。そしてそれは、どちらも真実である。それが人間社会というものだ。社会には両面がある。
 一方的に反対コメントを書くのではなく、その反対の立場の人もいるのだ。反対の真実もあるのだということを理解しなければならない。そして我々は、自分と反対の意見の人とも一緒に生きていかなければならない。そういう知恵を、昔の人は、いろはかるたから学んでいた。

 江戸、大坂、京都でかるたのことわざが違うけれど、ここではそれを無視して、いろは順に、よく使うことわざを並べてみる。現在ではあまり一般化されていないことわざ(!?)は割愛した。ことわざは普段の生活で使えることを中心にしているので、学問的に興味のある人は別の場所へどうぞ。

いろはにほへとちりぬるを  色は匂へど散りぬるを
わかよたれそつねならむ   我が世誰ぞ常ならむ
うゐのおくやまけふこえて  有為の奥山今日越えて
あさきゆめみしゑひもせす  浅き夢見し酔ひもせず


 まずは、ことわざを覚えよう。そして普段の生活で使っていこう。さりげなく、「犬も歩けば棒にあたるね」と言いたい。



 

犬も歩けば棒にあたる 

 犬も歩けばいいことがある。犬も歩けば悪いことがある。本来は災難にあうという悪い方の意味だったが、幸運にあうという意味にも使うようになった。同じことわざで両方の意味に使う。そしてそれが世の中の真実なのだ。

一を聞いて十を知る 

一寸先は闇


 

論より証拠 

論語読みの論語知らず

 論語読みは、論語を学び教える先生。学問的知識はものすごくあるけど、論語の教えである「仁」(思いやり)とかを実行できない頭でっかちの先生のなんと多いことよ。


 

花より団子 

針の穴から天井をのぞく

 自分の狭い知識(針の穴)から広い世界(天井)を見る。井の中のかわずだ。


 

憎まれっ子世にはばかる 

 世間から憎まれる人ほど、世の中ではばをきかせている。ネットの炎上も、ほんの数パーセントの声の大きい人の意見で起きてしまう。

二階から目薬

 二階から目薬を落としても、目に入るわけがない。もどかしいことや、効果がないことをいう。昔も目薬があった


 

骨折り損のくたびれ儲け 

仏の顔も三度


 

屁をひって尻つぼめ 

 屁(へ)が出た後で尻をつぼめたって後の祭り。あわててとりつくろうさま。

下手の長談義

 へたのながだんぎ。話の下手な人ほど話が長い。今でもこのことわざをもっと使わなきゃ。ことわざが広がることで、長話を意識して話を短くしようとする人も増えてくる……はずだけど。


 

年寄りの冷や水 

 としよりのひやみず。年寄りが年齢を考えず無茶なことをする意。語源の「冷や水」は、冷たい水を飲んでおなかをこわすこと。あるいは冷水を体にかけることからきていると思われる。
 道路で自動車をブンブン走らせているのは全部年寄りだ。無茶な運転が多い。緊急事態宣言で出歩いているのも、若者より年寄りが多い。

豆腐にかすがい

 手応えがない。効き目がない。「かすがい」は、2本の木をつなげる「コ」の字をしたクギ。そんなもの、豆腐にささるか。


 

ちりも積もれば山となる 

地獄の沙汰も金次第

 じごくのさたもかねしだい。地獄の閻魔様の裁きも金で決まる。世の中は金で決まるのだ。金さえあればなんとかなる。
 それも一面。「愛こそすべて」といったって、金がなければ生活ができず、金がなければいらいらしてケンカして愛が冷める。愛じゃなくて金だ。金がすべてといって金ばかり気にしていたら、今度は愛が冷めていく。とかくこの世はままならず。


 

律儀者の子沢山

 りちぎもののこだくさん。律儀者(りちぎもの)は、まじめで実直な人。そういう人の家には子どもがたくさんいる。家と職場の往復で、他の楽しみがないのだろうという揶揄。


 

糠に釘

 ぬかにくぎ。ぬか味噌に釘(くぎ)を打っても手応えがない。豆腐にかすがい(釘の一種)を打っても手応えがない。


 

瑠璃もはりも照らせば光る 

 瑠璃(るり)は仏教の七宝の一つ。瑠璃色は濃い青色。綺麗な宝物だ。ルリもハリ(玻璃=水晶)も光を当てれば光る。才能のある人も自ずと存在が知れる。才能が発揮できる。

類をもって集まる


 

老いては子に従え 

鬼も十八

 鬼も十八歳の頃はかわいい。年頃の娘はかわいくなる。だからみんな結婚できている。若い頃にはなぜかそういう魅力が体の内側から出てくる。フェロモンか。そういう時代もありました、男も女もお互いに。フェロモンが出なくて加齢臭が出る今、どんな魅力をつくればいいのだろう。


 

割れ鍋にとじ蓋 

 われなべにとじぶた。割れた鍋にも合うフタがある。結婚とはそういうもの。神代の昔から「我が身は成り成りて成り余れる処一処あり。故、この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合はざる処に刺しふたぎて、くに生み成さむと思ふはいかに」(古事記)といわれる。この世には、ぴったり合う男女がいる。
 ただし、そのフタと鍋は、時間と共に形が変わっていくものだ。

笑う門には福来たる

 わらうかどにはー。笑えばキラー細胞も増え、免疫力を高めるそうな。笑うことを忘れたら、心が落ち込んでいく。無理にお笑い番組でも見て笑ったらいい。無理して笑った場合でも、本当に笑ったのと同じ効果があるそうだ。そんなときに文句なく笑える番組って……。


 

蛙のつらに水

 カエルは、水をかけても平気だから、何をしても動じないこと。蛙の面に小便ともいう。小便は「しょうべん」だが、「しょんべん」と私は言っていた。


 

よしのずいから天井のぞく 

 針の穴から天井のぞくと同意。ヨシという植物は、茎が空洞になっている。ストローだ。針の穴よりは大きいけれど。そんな狭いところから広い世界を見て勝手に判断すること。
 ヨシは実際はアシ。「葦」とか「芦」「蘆」と書く(読みは全て「アシ」)、百人一首などにもよく出てくる水辺の植物だ。古事記の時代には日本は豊葦原(とよあしはら)の国といわれアシの多い国、豊かな葦の原っぱだった。アシは「悪し(あし)」に通ずるから(要するにダジャレで同じ言葉になるから)、「善し(よし)」にかえたもの。アシもヨシも同じ植物。

夜目遠目傘の内

 よめ、とおめ、かさのうち。夜に見る、遠くから見る、傘に隠れた顔を見る。みんな美人に見える。実際より美しく見えること。コロナ禍の今はマスク越しの顔はみんなかわいく見えてくる。「傘」は頭にかぶる「笠」の表記もある。夜目遠目笠の内。どちらの「カサ」も相手の顔がよく見えない。


 

旅は道づれ世は情け 

立板に水

 たていたにみず。立てた板に水を流すと、すーっと流れる。横にした板だと水がたまる。立てた板に水が流れるようにすらすらよどみなくしゃべること。


 

れう薬(良薬)は口に苦し

 りょうやくはくちににがし。


 

袖振り合うも他生の縁

 そでふりあうもたしょうのえん。袖が振れるだけの関係も、前世からの縁がある。「他生」は前世。現在を表す「今生(こんじょう)」に対する他のものの意。多い少ないの「多少」ではない。「袖振り合うも多生の縁」と書く場合もあるが、このときの「多生」は、何度も生まれ変わり、輪廻転生を繰り返すこと。「袖触れ合うもー」ともいう。


 

月とすっぽん 

 差が大きいこと。なんでお月様に対してスッポンだろう。スッポンは「まる」とも呼ばれる(関西の呼び方だそうだ)。普通のカメに対して、形が丸い。丸いカメと丸い満月。

月夜に釜を抜く

 つきよにかまをぬく。明るい晩に泥棒に入られ釜を盗まれるように、すっかり油断する。


 

念には念を入れ 

寝耳に水 

 ねみみにみず。予想もしないびっくりすること。そりゃあ寝ているときに耳に水が入ればびっくりする。もともとは水の音のことらしい。寝ていると水の音が聞こえる。それは洪水の濁流の音だ。今も自然災害が多いが、昔はもっと洪水被害があったのだろう。川の堤防の決壊も多かったのだろう。夜中にドドドドーっと濁流の音がすれば生きた心地もしない。

猫に小判


 

泣きっ面に蜂

 なきっつらにはち。泣いてつらい状態のときに、追い打ちをかけるようにハチにさされる。つらいことが重なること。


 

楽あれば苦あり 

来年のことを言えば鬼が笑う


 

無理が通れば道理が引っこむ 

むま(馬)の耳に風


 

嘘から出たまこと 

氏より育ち

 うじよりそだち。家柄より環境が大事だ、という意味。氏はもともとは血族集団のこと。


 

鰯の頭も信心から

 いわしのあたまもしんじんから。どんなにつまらないものでも信仰すればありがたくなる。


 

のど元すぎれば熱さ忘れる


 

鬼に金棒 

負うた子に教えられ浅瀬を渡る

 小さい子を背負って川を渡ると、足下だけ見ている大人より、上から見る子の方が川の流れがよくわかる。そのように、ベテランであっても、自分より経験の浅い者や年下の者に教わることがある。


 

臭いものに蓋(ふた) 

果報(かほう)は寝て待て


 

安物買いの銭(ぜに)失い


 

負けるは勝ち 

 負けるが勝ちともいう。

待てば甘露の日和あり

 まてばかんろのひよりあり。「甘露(かんろ)」は、天から降る甘い露。待っていればよいことがやって来る。
 待てば海路(かいろ)の日和ありは、待っていれば航海に適した日がやってくるという意味。「甘露」が「海路」になり一般化したもの。


 

芸は身を助ける


 

武士は食わねど高楊枝

 貧しくて食事ができなくても、食後の楊枝(ようじ)を使っているフリをする。やせ我慢をすること。


 

子は三界の首っ枷(かせ)

 「三界」は、過去、現在、未来。親はいくつになっても子のことが気にかかる。


 

えてに帆をあげる

 得手(えて)、得意なことになると調子に乗る。帆船は風が吹くと帆(ほ)を上げスイスイと走る。


 

寺から里へ

 寺は人々からお布施をもらったり、もらいものが多い。それが逆に、寺から里の人々に贈り物をする。物事が逆になる。本末転倒


 

頭かくして尻かくさず


 

さわらぬ神にたたりなし 

竿(さお)の先に鈴

 竿の先の鈴は、うるさい。おしゃべりなこと。


 

聞いて極楽見て地獄


 

油断大敵


 

目の上のたんこぶ

 目の上のこぶともいう。


 

身から出た錆(さび)

 自分のやったことの結果として自分が苦しむこと。自業自得。サビは刀の錆。刀の錆は刀身から生じる。刀身は刀の切る鉄の部分だが、いつもはサヤに収まって隠れている。武士は、刀が錆びないようにいつも手入れをしていた。


 

知らぬが仏


 

縁は異なもの味なもの 

 (男女の)縁は不思議でおもしろい。誰と誰が一緒になるのか、そりゃ見物だ。

縁の下の力持ち


 

ひょうたんから駒

 駒(こま)は馬。瓢箪の中から馬が出る。そんなバカな。意外なこと。冗談が本当になること。


 

門前の小僧習わぬ経を読む 

 門前(もんぜん)は、お寺の周辺。社会科で門前町って言葉を習ったなあ。寺のそばで毎日読経(どきょう)の声を聞いていれば自然と覚えてしまう。

餅(もち)は餅屋 

 専門のことは専門家にまかせよ。昔は隣近所集まって餅つきをしていたが、そうしてできた餅より、プロがついた餅がおいしかったのだろう。どっちにしても、つきたての餅はおいしい。

桃栗三年柿八年

 もも、くり3ねん、かき8ねん。種から芽が出て実ができるまでの年月。それなりの時間が必要。すぐに実ができる草本類でと、イチゴの種(イチゴの表面のブツブツ)をまいたけど、芽が出ないよ~。何事も時間がかかる。


 

せいては事をし損じる 

背に腹はかえられぬ


 

雀(すずめ)百まで踊り忘れず

 三つ子の魂(たましい)百まで、三歳までに覚えたことは死ぬまで忘れない。子どもの頃に覚えた踊りは死ぬまで忘れない。「百まで」は、百歳というより「死ぬまで」。長~い年月のことをいう。
 「嘘八百」の「八百」は、「たくさん」の意味。800回のウソではない。「八百万(やおよろず)の神」も一緒で、「たくさんの神々」という意味。8,000,000という訳ではない。


 

京の夢大阪の夢


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