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裸の子おもしろがって逃げるなり 柄井川柳「誹風柳多留」九篇③

 柄井川柳からいせんりゅうの選んだ川柳を集めた「誹風柳多留はいふうやなぎたる」九篇の最終回。
 江戸の昔も今も、親子や子どもたちの姿は変わらない。裸になった小さな子は、服がなくて楽になった分、おもしろがって自由に逃げ回る。そんな自由に生きている子どもも、成長するにつれ、江戸時代の身分社会のワクの中に入れられていく。

275 ふり袖の天命てんめいを知る吉田丁  いやらしい事いやらしい事
 振り袖は独身の若い女性が着るもの。「天命を知る」は、「論語」の「五十にして天命を知る(五十而知天命)」をふまえている。振り袖を着ている女性が五十歳だというのだ。五十歳なのに若い子のかっこうで振り袖姿をしている。吉田町は、夜鷹よたかと呼ばれる年配の売春婦が多かった。五十歳になっても商売をしている。顔の見えにくい夜に、少しでも若く見せようとしているのだ。当時の人々は、吉田町の夜の様子(夜鷹の存在)も知っているし、寺子屋で学んだ「論語」も覚えている。そういう知識があってはじめてわかる句。
 知っているから理解できる。

299 弟のけしようけしょう(化粧)は あねのわるさなり  いやらしい事いやらしい事
 弟の化粧は姉の悪さなり
 兄弟も、今も昔も変わらない。姉はおもしろがって弟に化粧をしている。

382 むねあつてあって時政ときまさちゝちちくらせ  いやらしい事いやらしい事
 北条時政ときまさは、娘の北条政子まさこ源頼朝みなもとのよりともとつきあっているのを知って「ちちくらせて」いた。Hをさせていた。つまりsexを認めていたが、それは将来を見すえていたからだ(「思うむねがあって」)。将来、頼朝が将軍になることも予想していたからこそ、すでに婚約者のいた娘の恋心を黙って応援していたのだ。……という話は、実は芝居や物語のストーリーである。事実はどうかわからないが、江戸の人々は物語の中に描かれる歴史をよく知っていた。NHKの大河ドラマを見て歴史を語るようなものだ。

390 人形をやりのかわりによくつかい  たのもしい事たのもしい事
 「人形」は指を使う性技(テクニック)。やりは男根、男性器。挿入するだけがsexではなく、指を使って性感帯を刺激する。若い頃は何度でも挿入できても、年がいくと、指に頼るようになってしまう。んーっ、週刊誌の「死ぬまでsex」の特集みたいだな。週刊誌とは違うが、江戸時代は、こういう卑猥ひわいな話も、あっけらかんとできていた。誰でも見られる川柳に、こんな句(「バレ句」という)がいくらでもある。

616 色色いろいろに からだのかわる ばくちうち  (前句不明)
 博打打ばくちうちは、儲かっているときとそうでないときで、身なりが変わる(「体の変わる」)。ヤクザもあたりまえに町の中にいて、銭湯では入れ墨の客もあたりまえにいた。けれど、ヤクザや博打打ちは、「特殊な人」という認識はもっている。そんな伝統のある日本では、タトゥーをしている人は今でもまともな人には見られない。別世界の人に感じてしまう。普通の人は、安定した生活を望んでいるが、博打打ちは、良くなったり悪くなったりが極端すぎる。

674 ぬゑぬえほどに さわぐをきけば毛虫なり  うへうえを下へとうへうえを下へと
 源頼政よりまさが射落としたぬえは、頭は猿、尾は蛇、手足は虎の伝説の怪物。そんな怪物が出たかと思うほどの悲鳴。行ってみれば、その正体は毛虫だった。

694 はだかの子 おもしろがつて にげるなり  (前句不明)

721 戸を明けて おやおやおやと雪の朝  山のごとくに山のごとくに
 「山のごとくに」だから、雪がかなり積もっているのだろう。
 当時は江戸の町でも山のように雪が積もっている日があったのだろう。温暖化とヒートアイランド現象で、都市部であまり雪が積もらないようになった。
 時代とともに変わるものがたくさんある。けれどもそこに生きる人の姿はあまり変わることがない。

 江戸時代の庶民の生活を紹介してきた「誹風柳多留」九篇は、ここまで。


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 見出し画像は、山東京伝さんとうきょうでんの黄表紙「御存商売物ごぞんじのしょうばいもの」の最終ページ。「御存商売物」を出版した鶴屋喜右衛門つるやきえもんの新年の挨拶の図。最後にストーリーとは関係ない出版元を登場させている。こういう遊びがあるのが江戸文学。

 「誹風柳多留」は十篇まで紹介するつもりだけれど、今の令和の世の中で、江戸時代の古川柳に興味のある人はどれだけいるのだろう。

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