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感じる感じる! でも、いかない!  若者の「感じる」について考える

 世にゆとり世代と呼ばれるのは、1987年生まれの人からで、2021年現在34歳から下の人たちらしい。「今時の若い者」と、「中堅」になろうとしている人たちだ。

 ゆとりの影響が、どのように表われているのかは何とも言えないが、ゆとりをやめたら学力は伸びたのだろうか。
 今の小学校、中学校の教科書を見たことはあるだろうか。まるで絵本のような教科書もある。我々が知っている教科書とは全く違う。イラストがあふれている。至れり尽くせりのこんな教科書が当たり前になると、活字だらけの本なんて読もうという気にもならない。これで学力がつくのか。

 教科書の図の中にはイラストがたくさんある。マンガのキャラクターがセリフを言う。セリフの単語で生徒は理解する。本文の文字は見なくてもいい。それでわかる。
 例えば、絵を見て、「ロボット!」という単語だけが書いてある。ロボットを「私は見た」のか「私が見た」のか「私も見た」のか区別なんてつかない。「は」「が」「も」のニュアンスの違いは無視される。まるで外国から送られてきた詐欺メールの文章のようだ。
 日本語がどんどん省略される。ラインの文字と同じで、簡略化がどんどん進む。そしてそれが今の普通の文章となっていく。


 最近の若い人のアンケートの文を見た。20~30代の人の文だ。みんな真面目にたくさんの文章を書いている。
 そうすると、ちょっと気になることがあった。「私はこう『思う』」ではなく、「私はこう『感じる』」と書いている人が非常に多い。たくさん言葉は並んでいるのだが、「こう感じる」「感じる」と、みんな心地よい言葉の羅列で、「こう思う」と言い切ることがない。
 なにか違和感を覚える。

 まさに感じる感じるだ。相手に配慮しているのだろうか。優しさなのだろうか。
 「私はこう思う」「こうだ!」と言い切らない。「先生の言う通りだと感じました」とあり、「私もそう思います」とは言わない。同じような結論でも、違和感を感じる。

 今の若い人たちは、フィーリングで感じるのだ。強い決意が感じられない。「~ない」という言葉も少ない。「感じる」とは言うが、「感じない」とは言わない。否定をせずに、決意もしない。「感じる」ではなく「感じられない」のだ。自分の意見をはっきり言わずに、誰かの意見に共感するだけなのだ。感じのいい人ばかりいる。


 それは男女問わずに同じなのだが、男性に関しては、ゆとり世代とは関係ないが、精子の数が減少しているという話もある。

 人類は、狩猟生活をしている時代には、男が狩りに出ていた。何があるかわからない森の中を進んでいく。動物の存在を「感じる」ことはあっても、最終的には、今だ! と自分で決定して攻撃しなければ獲物は手に入らない。「感じる」だけでは行動につながらない。
 狩猟の次には農耕生活となり、男が狩りをすることもなくなった。現在の電化生活では男女の区別はなくなった。
 かつては男が狩りをするのが人類の歴史の事実だった。

 人類の男は、冒険することがなくなったが、精子は、膣から子宮までの未知の旅をする。今も昔も旅をする。小さな精子にとっては長い長い旅をして、そしてたった1匹だけが卵子にたどり着く。獲物を手に入れる。

 その精子の数が減っている。精子の尻尾が喪失し、運動能力をなくしたものもいるそうだ。男が冒険をしなくなると、男の身体で作られる精子も冒険をしなくなった。パワーがなくなった。

 パワーがあるのは名古屋だけか。

 言い切るといいね。Nagoyaが一番。

 いくら愛し合っていても子どもができないのだ。思うだけでは結果が出ない。
 感じる感じると言っている人は、感じるだけで結果を出そうとしない。最後の一歩が踏み出せない。
 穏やかに小さく感じ続けることはできても、本当のエクスタシーには到達しない。最後の瞬間が訪れないのだ。


 中途半端な世の中ではあっても、せめて自分の意見だけは持とう。自分の意見が間違っていたら、訂正すればよい。固執してはだめだ。失敗するから次の成功がある。最初から成功していたら、そこで終わるが、失敗したら今までとは別の方法も考えられる。新しい視点も生まれる。

 それが人間を進歩させてきたものだから。

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