「生ける魚は水流に逆らって泳ぎ、死せる魚は水流とともに流される」

明治時代に、「少年よ大志を抱け」のクラーク先生に新渡戸稲造と共に習った内村鑑三の名言である表題。自分の意志を強く持ってキリスト教や自分の意見を主張した人物。

非常に意味深い言葉。

生きていくためには、上流に上らずにその場に止まるとしても、姿勢は上流に向き続けて泳ぎ続ける必要がある。
横に移動したいとしても、そのまま横に移動しては下に流されるので、斜め上に進むことで、横に行ける。

新たな場所に行くためには、姿勢は常に、大きな流れに対して向き合う姿勢が必要である、ということを端的におしゃれに表現していて勇気をもらえる。

たくさん上れば、その後に少し流されたっていい。
流れを活用して好きなところに行ったっていい。

ただ、下流に向いて流される姿勢を取れば、それはもう同じ場所にはいられずに、自分の気に入った場所に戻ることはない。

現代は、昔と比べて川の流れが速い可能性がある。
技術が発展したことで、一人一人(一匹一匹)が行ける(できる)ところは減ったかもしれないが、種として機能を拡張し、自分たちが上りやすいように山や川の形を変えられるようになってきている。

ここで生まれる問いは、一人一人の川を上る力は衰えてきているが、生み出した技術を享受することで上ることができる。しかし、その技術は山を削り、他の生物を削った結果生まれた技術であり、この技術を拡張すればするほど、そもそもの山や川が壊れる可能性がある。

壊さないためにも、今一度、自然に作られた川を自分で上ることができる力も養っていくべきなのではないかということ。
何も起きないなら、技術で上っても良い。
でも何も起きないと言う未来はないからこそ、起きる前に起きても大丈夫という力をつけておく。

川を上る姿勢を持ち、好きなところを泳げる魚を育てていきたい。

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