全てがあったら何をするか

資本も土地も人材も権力も、全てが揃っていたら、何をするか。

全国対象で、義務として、“裏“参勤交代を行う。
国民全員が、現在(表)とは逆の地域で暮らし、働く経験をする。

都市部の人は、地方へ。
地方の人は、都市部へ。

江戸時代に実施されていた参勤交代は、
一年ごとに行われており、それはそのまま踏襲する。

都市部の例は、市以上の地域。
地方の例は、上記以外。

目的は、働くとはどういうことか、
暮らしとはどういうことかを強制かつ定期的に問い直す機会を作る。
(強制と言いつつも、機会として用意し、個人一応任意)

なぜ強制かつ定期的に行う必要があるかと言えば、
人は自分の意識を常に固定化しようとする傾向があり、バイアスを作る。
そして、バイアスは構造によってより強化される。

都市部を否定するのでもなく、地方を否定するのでもなく、
どちらも存在しているからこそ、どちらも存在しているという当たり前を認識する機会を作りたい。

なぜ作りたいかと言えば、自分側だけを正当化しない、
無知の知を深く実感のある人間が作る世界は、
非常に健康な世界なのではないかと思うからである。

争いや災害がない世界とは、平和な世界である。
だろうか。

戦争は過程で、平和は状態である。

平和な世界のはずの日本では、年間数万人が自殺する。
戦争をしている国民の幸福度は上がる傾向があり、自殺数も減る。

平和な世界を作ることは、本質的なゴールではない。
全ての人が、健康に暮らせる世界がゴールでありたい。

災害を無くすことはできない。
失敗がない世界はない。

平和な世界(状態)を作ろうとするから、
“揺らぎ“を感じた時に、維持しようという“争い“過程が生まれる。

無知の知、本質的なリベラルアーツのある世界、
それらは、人を健康にするだろう。
勿論それは、身体性を伴う無知の知からの健康である。

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