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社会と繋がりがもてなかった私を照らしてくれたものづくりの世界

私は学校教育と自分の特性が合わなかったり、いじめが原因で中学に入って1週間で不登校になり、それから高校生くらいまで教室にはあまり行かず、人ともあまり関わらずに岐阜の山々が広がる田舎でひきこもりみたいな生活をしていました。しかし東大のプロジェクトに参加していた関係で月一くらいで東京にいったりていて一応、国が定めるひきこもりの基準に私は達していなかったので、ひきこもりとは言いません。

青年期の私は毎日悩みがあり、生きてても楽しくなく、なんで生きているのかもわからなかったです。そして社会からの疎外感を常に感じ、自分は価値が低い人間だと思って生きてきました。

そして何がしたいのかもわからず、学校にはいけずにこの先人生詰んだなとか色々考えていました。


そんな時、私を少しでも救ってくれたのがデザインを描く時間でした。私の好きな水や木々が与えてくれるエネルギーと優しさをデザインで表現しているときは、自分にとって少し悩みを忘れさせてくれるし、自分の生きる希望を見出させてくれました。

それらを続けていくと周りの人たちが私のデザインをいいと言ってくれたり、好きだと言ってくれたりしました。これが私が社会と繋がれた気がした初めての瞬間でした。ずっと引きこもって、ずっと社会から疎外感を感じていたけど、デザインを作ることで社会ともしかしたら少しでも繋がれるかもしれないと思いました。デザインを作ることは社会の中での自分の居場所を見つけた感覚に近かったです。

そして何か仕事をしたくなりました。仕事は何か価値を生み出し、それを人々に与えることです。シンプルに私は自分が描き出したデザインやものを与えていきたいと思いました。これまで私が素晴らしいデザインの服だとか、模様に元気を与えられてきたので、今後はそれを与える側(生産する側)になりたいと思いました。
たまに何か実業をしているとかっこいいだとか、儲かるだとかのイメージがついていますが、(内情はそこまではない)初めはこんな私でも社会との接点を持ち、少しでもいいから誰かに価値を与えたくて始めました。

そこでこれまで好きだった鯉のぼりに、自分のデザインを描いたらきっと素敵なものができると思ってとりあえず動き出して行動してみようと思ったのが泳泳鯉のぼりです。

泳泳鯉のぼりの染色を京都の工場さんへ依頼するときに、そこの社長さんから東京でやってる展示会にうちの工場も展示されていると聞き、面白そうなので行ったのが皆川明さんミナペルホネンの展示会でした。
そこに行った私は「あなたがやってきたことは間違っていない」と耳で囁かれたかのように感じました。皆川明さんが生み出すデザインの力、そしてそのデザインが世の中にたくさんの数えきれない価値を産んできたことが、展示を見て心に響きました。ものづくりってすごいし、自分はこれからもデザインを描いて価値を与えていく人になりたいと思っていたら涙が出てきました。

鯉のぼりをやったりで行動をしてはいるものの、誰もやっていないことを1人でやっていたので心細かったためか、皆川さんが生み出す暖かな心を包み込むようなデザインで私はどこか安心したのだと思います。

続編に続く


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