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出雲街道の集落を水脈から読みとく

過ごしやすい場所の条件

暮らしやすい場所の条件は何でしょう。
駅が近い、スーパーが近い、地価が安い、などなど。動物としてのヒトの過ごしやすさは二の次になり、エアコンをガンガンかけ、扇風機をブンブン回し、寒い暑いと苦しんでいる。

それでも「暮らしやすさ」は切り離せないから、せめて息抜きに、「過ごしやすい」場所ってどこだろうって考えてみようと思う。

貝田

地形散歩

今日のテーマは「水脈」
集落は過ごしやすい条件が整った場所を選び、棲みつく。より古くから残る集落や古代人の遺跡は過ごしやすい場所のヒントになる。中でも水は、いつの時代も最初に確保すべき要素の一つとされる。

日野川と連なる集落

鳥取県、中国地方最高峰の名峰 大山の麓に流れる日野川。日野川は、中国山地の谷間を南から北へ流れる。出雲街道もまた、この日野川沿いを通る。谷間の川沿いに平地をみつけ、数珠繋ぎに集落が形成される。いくつかは宿場町として栄えた。

日野川

隣り合う宿場町と城下町

伯備線の列車で南下する道中、黒坂駅で下車した。黒坂は日野川沿いだが、正確には出雲街道のはずれに位置する城下町である。出雲街道は、手前の根雨宿で南東へ方向転換する。今回は、条件の異なる道を辿った隣り合うふたつの村、「黒坂」「根雨」を形成のされ方を水脈から読み解く。

黒坂村

城下町 黒坂

蛇行する日野川は黒坂近辺では、集落の東側を南から北へ流れる。集落の西側、山の中腹には江戸時代、黒坂城ができ、集落は城下町として栄えた。

黒坂村

黒坂の語源

黒坂村の主要道は日野川と並行する。山から水が集落を横切るカタチで日野川に向かって流れでて、東西に坂道もまた9つ整備された。「伯州黒坂開元記」山上家文書では、黒坂の語源はこの9つ坂「九路坂」だという。

集落のはざまを西から東へ流れる水脈

水脈は主要道沿いの建物の前にも繋がっている。
坂で区分された街区に従って町が分けられる。

道路脇を流れる水路

黒坂の田園風景

水田は、集落の北西にある。これは北西の谷間から日野川へ合流する天郷川を利用していたためと考えられる。水田は谷間に沿って少し上流まで隙間を見つけつくられている。水脈もまた、日野川、主要道と並行してひかれているのがわかる。

黒坂の田園風景
天郷川から水田にひかれる水

現在の集落

集落の家々は、奥に長く、庭には大きな木が生えている。家庭菜園をする家庭も家庭も多くあるが、過疎化に伴う空き地の増加や、自給自足をする過程が増えたことによる傾向と思われる。実際、街には小さな商店が一つある程度である。

豊かな集落

豊富な水が常に供給されている黒坂。物流、医療と今苦しい過疎化に悩むこの地域だが、未来、都市が機能しなくなったとき、人々がすがる理想郷はここにあるのかもしれない。

根雨村

宿場町 根雨

出雲街道の宿場町である。
まず、気になるのは地名。そのまま「ねう」と読むらしい。

根雨宿

根雨の語源

その語源はむかし、第43代元明天皇(661~731)の頃、伯耆の村々が飢饉で苦しんでいたとき、根雨神社の牛頭天王に雨乞いをしたところ、たちまち黒雲が起こり甘露のような雨がこの里から降り始め、(中略)五穀の苗は青々と茂り草木の根を潤していった

たたら Navi.

語源とは異なるが、この地域は、集落の下にも根のように水脈がはりめぐされる。まさに根雨という地名にふさわしい。時系列でいうと、複雑な水脈があり、敷地拡張等を理由に無理やり建設されて例だろう。

建物の下をくぐる水脈
住宅の塀裏から流れ出る水

根雨宿と真住川

現在、鳥取県は国内でも比較的降水量が多い地域で、根雨宿もまた豊富な水流が流れ込む集落である。特に根雨は、南から真住川が日野川へ流れ込む地点である。小さな川が大きな川に合流する地点は平地が多く、水を引きやすいことから集落が形成されやすいことが推測できる。

根雨の水脈

根雨の地域は日野川と出雲街道の合流地点でもあり谷間は3方向に枝分かれする。黒坂と同様、日野川と並行に南北の集落を形成している。黒坂とは異なり、垂直の水脈はなく、南から北へ勢いよく流れる水脈は時に蛇行や合流を繰り返す。

大きくカーブする水路
建物の裏で屈折する水路

水害対策の知恵

根雨の街道に沿った水脈は水害の危険性が想像できる。近年建てられた住宅は道路より高い位置に建設されているが、古くから残る長屋は道路と同じ高さか、少し低く建設されている。

一段下がった住宅

土にはわずかに苔が生え、建物の外壁や塀には水に浸かった跡が残っている。低くした理由はわからなかったが水害自体はごく稀なことなのだろうか。

苔が生え、壁には浸水の痕跡が残る

街道沿いの水路に蓋はなく、水の流れがみえ、長屋には石の橋がかかる。万が一水害時は以下のような仕掛けで速やかに水を流し、私財を保護したのではないかと考える。

  1. 蓋のない水路

  2. 複雑に張り巡らされた水脈

  3. 集落の横で少し低い位置に流れる真住川

  4. 最下層を流れる日野川

道路下に空洞で調整され、真住川へ流れる

水と共にある暮らし

集落には、水舟と呼ばれる、水槽が設けられ、飲料水として利用していた痕跡が残り、今も使われている。

現存する水舟
伏流水を飲料水として利用

また、玄関先には水琴窟が置かれている家が多々ある。昔からあるようには見えないが、隙なくとも、根雨の人々は水に対するマイナスのイメージはほとんどなく、水と共にある暮らしを楽しんでいたのではないだろうか。

水琴窟

黒坂村と根雨村

黒坂は、平地が広く、水田をひくことができた。城下町である黒坂は、2方向に見通しのきく山の上に城を構えていた。根雨と比較すれば、交易は盛んではなく、自給自足が基本である。

出雲街道の根雨宿は交易が行われ商業的な発展を遂げたと考えられる。根雨は近隣の広い土地で採れた農作物で食事を賄っていたとすると、数珠繋ぎの集落は頻繁な連携を取り合っていたのだろう。

水脈と暮らし

水の清潔さ、流れる勢い、地盤、水害。あらゆる総合値からある程度法則をもって人々が住み着いているのがわかる。もちろん、風や雨、雪、日差しの入り方、あらゆる要素が関わってくる。

過ごしやすさという面考える水は飲み水だけではない。生活用水、農業用水、工業用水、どの時代もあらゆる主産業に不可欠である。水が綺麗なところはご飯が美味しい。これは舌で感じている人も多々いるでしょう。日本で過ごしやすい場所探し水脈からみる地形散歩、試してみてはいかがでしょうか


出雲街道の特徴的な朱色の瓦「石州瓦」

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