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オペル1900GT 51年前に新車購入し生涯現役!

 日本では、「これからは“人生100年時代”」という枕詞が各種のCMコピーなどに使われることが増えてきた。
 つまり、医学を始めとする社会のさまざまなものの進化で、平均寿命が伸び続け、いよいよ100歳まで生きることが珍しくなくなったということだ。
 それは嘘ではなく、元気な高齢者は増加している。実際に筆者の母なども87歳だが、週に2回の体操クラブ通いや月に一度の音楽会や食事会などを楽しみに、同年齢の女性たちと交流しながら楽しそうに暮らしている。
 元気で何よりと息子としては感謝するばかりだが、このままいけば本当に100歳まで長生きしそうだ。
 しかし、上には上がいて、92歳でスポーツカーに乗っている男性に会った。千葉県在住の田口畯三さんは51年前の1969年に新車で購入したオペル GT1900に乗っている。

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 3年前に妻に先立たれ、広い屋敷に一人で暮らしているが、8人いる孫のうちの一人が近所に住んでいて、時々、様子を見に来てくれる。ひ孫は5人いて、正月には4人の息子と娘たちも集まってくるから寂しくはない。
 楽しみは、GT1900で参加するクラシックカーのイベントだ。3月を過ぎると、日本各地で開催されるイベントに毎月のように出掛けていっている。
 センスが若く、人懐こい田口さんはイベントでも人気者で、仲間がたくさんいる。僕に田口さんのことを紹介してくれたのも、昨年のこの連載で登場いただいた、トヨタ・スポーツ800に乗る三浦孝一さんだった。
 三浦さんとは千葉県立現代産業科学館で毎年行われている「クラシックカー&スポーツカーin科学館」というイベントで毎年顔を合わせている。
 田口邸を訪れると、GT1900は専用に造られたガレージに収まっていた。何枚ものお手製のボディカバーを田口さんが丁寧に外すと、輝くシルバーのボディが現れた。
 GT1900と対面するのは久しぶりだ。以前に見たのはいつだったか憶えていないが、どこかの博物館だっただろうか。50年以上前のクルマであり、日本でも珍しかった。

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 田口さんは、このGT1900を1969年に新車で購入している。購入したのは、東京の日本橋のデパートメントストア「三越」(Mitsukoshi)本店。三越は340年前の「越後屋呉服店」にルーツを持つ日本最古のデパートメントストアで、知らない人はいない。伝統と格式を誇ってはいるが、高級品ばかりを売っているわけでもない。日用品も売っているが、“三越で買い物をする”ことは間違いなくステイタスだった。
 その三越、それも本店でかつてはクルマを販売していた。すべてのブランドを扱い、購入後の整備やサービスなどはそれぞれのディーラーに引き継がれる。
「その頃、日産ローレルに乗っていたんだけど、新車で買った半年後にモデルチェンジされて自分のローレルが一気に古く見えて頭に来ちゃったんですよね。ハハハハハハッ」
 それで、GT1900ということなのか!?
「そう。その頃は本所(東京都墨田区)に住んでいて、三越本店で週に4回買い物していたんだ。それこそ、晩飯のオカズまで三越で買うくらい、なんでも買っていた」
 本所と三越本店は数kmしか離れていない。三越だけでなく、東京のデパートメントストアは、どこも地下に広大な食品売り場を設けているから、会社帰りに毎日、“デパ地下”で晩のオカズを買って帰る人は多い。
 ローレルのモデルチェンジに怒っていた田口さんがいつものように三越本店を訪れると、見たこともないクルマが正面玄関に停まっていた。それが、オペル GT1900だった。
「“なんてカッコいいクルマなんだ”と一目惚れ。馴染みの駐車係に聞けば、“トヨタ2000GTと同じ235万円”だというんです」
 GT1900のカッコ良さに一気に惹かれた田口さんはその場で購入を決めた。田口さん、42歳。長男は、20歳。その頃、田口さんは築地魚河岸の鮪仲買人だった。誰でもなれるものではない。父親が創業した家業を継いだのだ。
「今の方が鮪は高級になりましたけれども、昔はもっと数がたくさん獲れていたので、儲かっていました」
 儲かっていたから、週に4回も三越で買い物ができたのだ。235万円も高くはない。
「その頃に、やっぱり三越で買ったのがこの時計です」
 アメリカの100ドル金貨を加工して造られた腕時計だ。GT1900と同じくらいの値段だった。田口家は、他にもさまざまなものを購入する三越の上得意客だった。

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 GT1900をガレージから出して、近くの江戸川の河原に向かった。
 田口さんは20年前に歩道で足を滑らせて転んだ時の骨折の後遺症が左足に残っていて、ふだんは杖を突いて歩いている。GT1900に乗り込む時は不自由な左足を両手で抱え込むようにして着座する。
「クラッチは左足首を曲げるだけで接続できるんですよ。こうやってね」
 左足は動かさず、足首を曲げるだけだという。
「クラッチの操作よりも、ハンドルが重たくてね」
 パワーアシストが無いから、駐車や車庫入れなどで難儀する。
 リトラクタブルヘッドライトを点灯してもらった。他車では、ライトが起き上がる
方向は上下方向なのに対して、GT1900は左右方向に回転してヘッドライトが現れる。これには驚かされると同時に、動きがユーモラスで微笑ましくなってしまった。
 それもモーターで駆動されるのではなく、シフトレバーの脇に突き出たレバーを押し引きすることでリンクで繋がったライトが回転する。これにも力が要る。

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 ボンネットフードを開けてもらうと、そこにも驚きがあった。
 後輪を駆動する、縦置きされた1.9リッター4気筒エンジンは、エンジンルームの中央よりもだいぶ運転席寄りに搭載されている。その前方にラジエーターがあるから、エンジンルームの前半分は空洞で、リトラクタブルヘッドライトのユニットぐらいしか内包されていない。
 ライトユニットの空間を確保するためにボディが伸ばされたのか、それとも“ロングノーズ&ショートデッキ”というこの時代の流行を最優先した結果なのか?
 たぶん、どちらもそうなのだろう。ロングノーズ&ショートデッキというプロポーションにリトラクタブルヘッドライトの組み合わせは、シボレー・コルベットが思い出される。年代的にも同じだし、実際にアメリカ輸出され、手軽なパーソナルカーとして好評を得ていた。
 GT1900は、オペルの中型車「カデット1900」のコンポーネンツを利用し、フランスのコーチビルダー「ブリュッソノー・エ・ロッソ」社が組み立てと製造を受け持ち、1968年から73年までの間に10万3000台余りが製造された。
 日本では、当時のオペルの輸入元である東邦モータースが販売していた。田口さんも、購入後の整備などは東邦モーターズの工場にGT1900を入れていた。東邦モータースがオペルの輸入販売を止めてからは、田口さんは自宅近くの修理工場に任せるようになった。
 田口さんの楽しみが各地のクラシックカー・イベントに参加することだと前述した。その時にGT1900の傍に、大きな紙を掲げることにしている。そこには、GT1900を購入した頃の写真を貼り付け、説明書きを自筆で書き加えたり、新年の挨拶などを毛筆で書いてある。
 面白いのは、それがただの習字のようなものではなく、赤いインクで縁取りしたり、言葉を小さく書き込んだりしてグラフィカルなデザインが施されていることだ。作品と呼んでも良いかもしれない。
「やることがないから、こんなことばかりやっているんだ」

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 他にも、布地をOPELの文字に切り抜き、ベースボールキャップに貼り付けたり、借金のカタに入手した新品のウェディングドレス数十着を有効活用するためにコスプレイヤーにレンタルしたり、田口さんは自ら手を動かして楽しんでいる。僕には、田口さんが「やることがない」ようにはとても見えないのだ。イベントにも、ただ参加するだけではなく、運営にも関わっているほどだ。
 杖を突かなければならないのは気の毒だけれども、他はいたって健康で元気だ。公的な高齢者サービスも月にたった一度しか利用していない。左足が不自由なために自分では不可能となってしまった足の指の爪切りだ。
 田口さんはGT1900の他に軽自動車を一台持っていて、食材の買い出しなどはそれを運転して行っている。配膳サービスなどは受けず、毎日の三食を自分で作っているというからそのバイタリティに感嘆してしまう。オペルGT1900がいたって快調なのも、田口さんが活動的でいることと表裏一体をなしているようだ。元気に100歳を迎えてもらいたい。

文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho(STUDIO VERTICAL)

(このテキストノートはイギリス『TopGear』誌の香港版と台湾版と中国版に寄稿し、それぞれの中国語に翻訳された記事の日本語オリジナル原稿と画像です)
文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho (STUDIO VERTICAL)
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