最近の記事
クルマはすべて三越の外商から。工場には一度も行ったことがない。10年10万kmストーリー 第91回 デイムラー・ダブルシックス(1991年)32年8万2000km
往年のデイムラー・ダブルシックスを新車から32年8万2000km乗り続けている85歳の女性オーナーと知り合うことができた。 そのダブルシックスの存在については、以前にこの連載に登場してくれたアイスブルーのポルシェ911のオーナー(https://note.com/kanekohirohisa/n/nca5bedb44087?magazine_key=m9fb19d167f3a)から聞いていたのだ。 散歩の途中で眼にしていて、気になっていたらしい。先日も前を通り掛かっ
30年の“サプライズ” 10年10万kmストーリー第90回 ランチア・デルタ インテグラーレ エヴォルツィオーネ2(1993年)30年8万8000km
生まれて初めて、“サプライズ”プレゼントの手伝いをした。 おそらく父親が予期していないはずの“記念日”に家族が贈り物をして驚かせながら喜んでもらおうという趣向で、かなり手が込んでいた。 父親がランチア・デルタ インテグラーレ エヴォルツィオーネ2を新車から30年近く乗り続けているので、首謀者である息子が密かにイタリアのランチアに生産証明書の発行を申請し、それを家族が父親に直接に手渡そうというものだった。 それだけでなく、イタリアで生産され日本に輸入されてガレージ
有料100戒厳令下の韓国の高速道路で最高速トライアル 10年10万kmストーリー第89回 BMW740i(2000年)18年15万5000km
今から40年ぐらい前の東西冷戦期のエピソードを思い出した。 「ヨーロッパ各国の高速道路は共産圏諸国との戦争に備えて、高速道路の直線部分をいつでも軍用機の滑走路に転用できるように造られている。幅が広く、傾斜を付けず、建物が接近しておらず、橋などが架けられていないところのことだから、すぐにわかる」 東ドイツと国境を接していた当時の西ドイツや中立国のスウェーデンなどに多い、と聞いたり読んだりしたことを憶えている。 その頃は、まだヨーロッパに行ったことがなかったけれども、
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エフアールの後ろから押されていく感じが好きです。10年10万kmストーリー 第88回 BMW 118d(2017年) 6年14万9000km
東京の神保町にあるシェア型リアル書店「PASSAGE」に、僕も棚を一つ借りて「金子浩久書店」を営業している。自著の他、クルマに関する蔵書を並べて売っている。 良い本でも、読み終わったり、原稿の参考にし終わった本を死蔵してしまうのではなくて、その魅力を少しでも他の人と分かち合うことができたら良いのではないか? そんな動機から始めた。ここは面白いシステムをいろいろと展開していて、中でも“一日店長”は前からやってみたかった。名前の通り、店頭に立って来店客の対応を行うのだ。
有料100百の仕事のための軽トラック 10年10万kmストーリー 第87回 ダイハツ・ハイゼットトラック(2007年)15年13万3000km
あらかじめ伝えられていた自宅の隣の広い駐車場に、15年13万3000km乗り続けられているダイハツ・ハイゼットトラックは駐まっていた。 その隣に、仕事に使っている赤帽仕様のスバル・サンバーも駐まっているから、ここで間違いない。オーナーさんは、まだ家にいるのだろう。 しかし、困った。 ハイゼットトラックの左前タイヤがペチャンコで、車体が傾いてしまっている。パンクしたのか、あるいは空気が抜けてしまったのか? どちらにしても、連載を続けてきてこんなことは初めてだ。
有料100美を追い求めながらも、車中泊の旅に出た。10年10万kmストーリー 第86回 日産シルビア(1968年)43年4万5000km
東京都内でも、あちこちで道が新しくなっている。計画から何十年を掛けて作られる新しい道もあれば、元の道が広くきれいに拡幅されるところもある。 国道246号を下って、環七を過ぎ、三軒茶屋を越えた先で交差する道は、たしか以前は細い一方通行だったように憶えている。それが両方向通行に拡幅され、電線も地中化されている。両方同時に行われたので、一気に広く明るくなった感じがする。通りの名前も変わったようだ。 しばらく進んだ奥に、初代の日産シルビアのオーナーさんの家があると聞いてきた
有料100「旧車に乗っている障害者なんていませんから」 10年10万kmストーリー 第85回 フォルクスワーゲン・ビートル(1968年) 10年4万1000km
自分がクルマ椅子に乗る生活を送るようになった時に、クルマを運転する姿を想像することができるだろうか? 僕は入院中に2週間クルマ椅子に乗っていたことがあるけれども、退院後にはクルマ椅子は使わなかった。 ずいぶん以前に、この「10年10万kmストーリー」に登場いただいた、ホンダ・アコードエアロデッキのオーナー男性は、日常ではクルマ椅子を使っていた。 クルマ椅子からエアロデッキに乗り移るところを見せてもらったことがある。まず、運転席に移り座った後、クルマ椅子を畳んで自分の上
有料100迷いながら行くのがいいんですよ。道を間違っても人に訊きながらね 10年10万kmストーリー 第84回 ホンダ・ラファーガ2.0T(1994年) 29年30万8000km
少し前まで、日本の自動車メーカーは国内に数多くのモデルを投入していた。メカニズムは同じでも名前だけ変えた双子車や、ほぼ同じセグメント向けなのに全く異なったメカニズムが搭載されているクルマなどが重なり合うようにして各メーカーごとに存在していた。 それらは整理整頓されて現在でも残っているものもあれば、消滅してしまったものもある。 ホンダのラファーガは、アスコットの双子車だ。プリモ店用のアスコットに対して、ラファーガはベルノ店で売られていた。ホンダのミディアムクラスセダンとい
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