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昔の未来感 アルピーヌA310

 クルマが“未来のイメージ”を体現できていたのは、いつの時代までだっただろうか?
 性能が進化し続け、見たこともない新しいデザインが次から次へと現れてくる。クルマは移動手段であると同時に、楽しみと喜びの対象だった。夢そのもの、とも言えた。
 1970年代は、間違いなくクルマの黄金時代だった。まだ、生産国ごとのクルマ造りの特徴がそれぞれ色濃く残っていて、中でもフランスのクルマは個性的だった。
 1976年型のアルピーヌA310を2000年から所有している岩手県在住の高校の美術教師、松本剛史さん(51歳)も、フランスのクルマに魅せられた一人だ。
 最初に買ったクルマが、シトロエンBXの中古車だった。
「ボディラインがシャープなクルマが欲しかったので、BXを選びました」
 BXはスタイルだけでなく、オイルと窒素ガスによる「ハイドロニューマチック・サスペンション」による乗り心地が他のどのクルマにも似ていなかった。それは、先月号で紹介したシトロエンDSに1955年に初めて搭載されて世界に衝撃を与えた、独創的かつ革新的なシステムである。
「それだけでなく、BXには開発者が何を考えて形にしたのかすぐには理解できないような不思議な魅力がたくさんありました。でも、そうしたものを生み出したフランス人の考え方に大いに共感できました」

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 語らい合う仲間も増え、フランスのクルマに対する想いはどんどん深くなっていった。
 BXに乗っていても、松本さんの心には忘れられないフランス車の姿があった。アルピーヌA310である。
「フランス旅行中に見たフランスの自動車雑誌に掲載されていたA310の写真を見て、“なんだ、これは!?”と驚かされたのが最初の出会いです」
 フランスには1995年、96年と続けて2度出掛けた。目的は、美術館巡りだった。卒業した大学のゼミナールの後輩学生たちと連れ立って出掛けた。
「フロントマスクが全面ガラスとなっていて、その中にライトが6つも入っているデザインに衝撃を受けました。強い“未来感”を感じましたね」
 たしかに、このフロントマスクは前衛的だ。それまでのクルマは、ヘッドライトをボディの曲面の上に乗せたり埋め込んだりして造形していた。しかし、ボディの奥に内蔵して、ボディラインを崩さずに鋭いフロントマスクとしている。当然、ラジエーターグリルなどは存在しない。シトロエンDSもラジエーターグリルは存在しなかったが、ラジエーター自体は存在し、バンパーの下から外気を取り入れていた。
 A310はそもそもリアエンジンなのでその必要はないが、ガラスの奥に横一列にヘッドライトを並べるという手法は、極めて斬新である。松本さんが驚いたのも当然だ。

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 筆者も、A310を初めて見た時には強烈な印象を受けた。それがいつのことだったか思い出せないほど昔のことだが、やはり、ドイツでもイギリスでも、ましてやアメリカなどとも大きく異なったフランス人の美意識を強く感じさせられた。松本さんと同じように、ヘッドライトが6個もガラス越しにこちらを向いているフロントマスクに驚かされたのだ。
 まだ、雑誌と映画だけがわずかな情報源で、フランスはおろか外国に行ったこともなかった頃だったはずだ。
 気になっていたA310を自分のものとするキッカケは、読んでいた日本の自動車雑誌に
出ていた中古車販売店の広告だった。A310が150万円で出ていたのだ。
「親から借金して、実物も見ないで新幹線に乗って買いに行きました」
 店は東京より西に50kmほどの小田原にあった。松本さんが住んでいる岩手県からだと約600km離れている。
「代金を支払い、A310を手に入れて、そのまま運転して帰ってきました。でも、東京を抜けるのに渋滞に巻き込まれてしまって、24時間掛かって岩手まで帰ってきたのを良く憶えています」
 渋滞が無く、現代のクルマと高速道路だったら、給油や休憩なども含めても10時間前後で岩手に戻れるだろう。買ったばかりの昔のクルマ、それも初めて運転するA310だったから時間を掛けて慎重に運転しながら戻ってきた。憧れのA310を手に入れた大きな喜びと少しばかりの不安で満たされた胸中を想像できる。

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 松本さんは大学で美術を専攻し、卒業後は写真スタジオに就職し、カメラマンになった。しかし、一年後に女子高校の美術教師に転職して、現在にいたっている。
 美術や芸術に関する高等教育を受け、カメラマンとして働き、その美術教師として教鞭を取っている。そんな松本さんがA310のようなクルマに魅せられ、手元に置き、乗り続けているのは大いに納得がいくところだ。
 ただ、40年以上も前のクルマなのだから、松本さんの許にあった19年間は無事では済まなかった。
「エンジンのオーバーホールを2回、サスペンションと排気系のオーバーホールを1回やりましたよ」
 それで終わりというわけではなく、乗れば乗るほど手を入れなければならないところが出てくる。キャブレターも新調したいし、エンジンと接続しているゴムのインシュレーターも要交換だ。ブレーキオイルやミッションオイルも漏れているかもしれないから確かめなければならない。
 他にも、さまざまなトラブルや不具合が発生してきたけれども、松本さんはうまく折り合いを付けてきたみたいだ。

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 岩手山の麓の、気持ちの良いコーナーが連続する田舎道をハイペースで駆け抜けるA310を最新のアルピーヌA110で追い掛ける
と、松本さんが年代物のフランス産のスポーツカーをうまく手なづけていることがよくわかる。
「エンジンの鼓動が揃った時の気持ち良さがたまらないですね」
 オリジナルのA110が曲線と曲面を多用した丸味を持ったボディスタイルを持っていたのに対して、当時、新たに登場したA310は新しいスタイルを纏っていた。エッジを効かせた直線と平面の目立つ大胆なものだ。
 車内を覗かせてもらうと、大振りでしっかりとした造りのシートやパッドで覆われた
ダッシュボード、キルティングが貼られた天井など、造りは豪華だ。シンプルだったオリジナルのA110よりは、A310は明らかにGTを志向していることがわかる。
 とは言っても、A310の重量は850kgしかない。現代の肥大したクルマからすれば圧倒的に軽量だ。それでも、オリジナルのA110はさらに100kgも軽い750kgだったというから、昔のスポーツカーの軽さに改めて驚かされてしまう。
「でも、同じエンジンなので、A310はA110より遅いんですよ」
 当初から、A310には排気量が2倍以上のパワフルな3.0リッターのV6エンジンが搭載される予定だった。エンジンルームにはV6が収まる広さの空間が用意されている。しかし、ルノーとプジョーとボルボ3社共同開発による、そのV6エンジンの開発が遅れ、実際にA310・V6が販売されたのは1976年になってしまった。
 もし、A310のデビューと同時にV6版も発売されていれば、“新時代のアルピーヌ、GTに進化したA110の後継車”として華々しくデビューできていたはずなのだが、そうは運ばなかった。
「そういった不運なところ、不遇なところも好きなところです」
 形の美しさだけでなく、命運や境遇なども含めてA310を好んでいると松本さんは言う。視野が広く、美意識が明確な人なのだ。
 アルピーヌA310は、クルマに夢を無邪気に抱けた時代のGTで、松本さんはその魅力をすべて享受していた。
 僕と田丸カメラマンが東京から運転していった現代のアルピーヌA110も、アルミニウム製シャシーとボディを持ち、1110kgという驚異的な軽量化を実現し、最新鋭のターボエンジンとDCTをミッドシップに搭載している。加速の鋭さには眼が覚めた。未来に夢を抱くのが難しい時代なので、アルピーヌに限らず現代のクルマはついつい後ろを振り向いてしまう。A310が表現した未来は永遠だ。

文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho(STUDIO VERTICAL)

(このテキストノートはイギリス『TopGear』誌の香港版と台湾版と中国版に寄稿し、それぞれの中国語に翻訳された記事の日本語オリジナル原稿と画像です)
文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho (STUDIO VERTICAL)
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