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ポルシェ356でユーラシア大陸横断した人に会った

 昨年の4月30日に、鈴木利行さん(61歳)からFacebook経由でメッセージをもらった。ポルシェ356を鳥取の境港でフェリーに載せ、ウラジオストク港でロシアに上陸し、そこから西に向かって走り、ただいまイルクーツクに着いたというリアルタイムでの便りだった。
 鈴木さんはポルシェ356クラブ日本の会長を長く務められていて名前は知っていたが、面識はなかった。そんな人からのメッセージはうれしく、それ以上に驚かされた。
「カネコさんの本を道中のお守り代わりにしています」
 僕の本とは『ユーラシア横断1万5000キロ 練馬ナンバーで目指した西の果て』のことで、2003年に東京からポルトガルのロカ岬までトヨタ・カルディナで旅した紀行書だ。TopGearの連載でも毎回撮影してくれている田丸瑞穂カメラマンとユーラシア大陸最西端まで走っていった。その旅は仕事として依頼されたものではなく、僕と田丸さんの長年の夢を実現したものだった。
 鈴木さんは本を購入して読んでくれていて、道中わざわざメッセージをくれたのだ。Facebookへの投稿を覗いてみると、日本を出発するところやウラジオストクへ上陸してからの様子がいくつもアップロードされていた。それらを見た人々からのコメントにも丁寧に返信している。本当に、356でロシアを西に向かっているいる。スゴい!
 あのプリミティブなポルシェ356で極東シベリアの悪路を走ろうというチャレンジングスピリットがスゴい。鈴木さんの356は「プレA」と呼ばれる、「A」より古い1953年型だからなおさらだ。たった一人で旅しているというからもっと驚いてしまった。感激した僕はすぐに返信をして、旅の無事を祈った。

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 鈴木さんはロシアを訪れるのも行くのも初めてで、ロシアに関する特別な知見を持っているわけではないという。目的地は、ドイツのシュツットガルト。6月7日に行われるポルシェ創立70周年イベントに出席する。
 イベント出席が目的ならば、356を船か飛行機で事前に送って、自分は後から飛行機で向かえば良いのではないか?
 それよりも、未知の旅なのだから誰かと一緒に行こうとは考えなかったのか?
 シベリアには、町の出入り口や幹線道路上にチェックポイント(関所)が設けられていて、警官による無作為の取り調べを受けなければならない。
 また、ニセ警官や盗賊なども出没しているとも僕らはさんざん注意された。それらへはどう対処しているのか?
 極東シベリアのハバロフスクからチタまでの間にはまともな舗装道路どころか、未舗装の道も深い轍や穴だらけで、1日走っても十数kmしか進めなかった地域が頻出していた。メッセージを送ってくれたのがイルクーツクだから、そこはもう通り過ぎているはずだ。いったい、どこをどう走ったのか?
 僕にメッセージを送ったり、Facebookを更新しているわけだから、インターネットにはアクセスできている。そんな簡単な状況なのか?
 僕らの時は、「地球上で人間が暮らしている99%の地域で使える」と宣伝していたヴォーダフォンの海外用携帯電話を持参したが、モスクワやサンクトペテルブルクぐらいの大都市でないとまったく使い物にならなかったのだ。
 鈴木さんに会ったら訊いてみたい質問がたくさん出てきたので、帰国されたらぜひ会いましょうということになった。

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 356は2018年一杯はポルシェ博物館に展示され、ようやく日本に戻ってきたのでさっそく会いに出掛けた。
 東京からそれほど遠くはない、千葉県鴨川の海の近くに鈴木さんは住んでいる。周囲は自然が溢れ、新緑が眩しい。仕事は団体役員。初めての自分のクルマがポルシェ911Sで、妻に買ったマカンが20台目のポルシェになる。ガレージの中には年代物の911や、珍しいデ・トマソ ヴァレルンガなどがあった。広い作業場には工具やパーツなどが整然と準備され、仲間の356がレストア最中だった。
「若い頃はクルマに関心がまったくなくて、21歳になってようやく運転免許を取ったくらいです」
 356でドイツまで走っていくほどの人とは思えない遅咲きぶりだ。
 それまではツーリングタイプの自転車に凝っていて、パーツから組み上げ、あちこちに旅していた。たまたま近所で356に乗る人と知り合い、助手席に乗せてもらって眼からウロコが落ちた。
「“こんなクルマがあるのか”って驚かされました。大昔のクルマとは思えないほどキビキビと山を駆け抜け、エンジン音にもシビレました」
 運命的な出会いによって、その持ち主のもとに毎日通い詰め、2週間後に購入したのが911Sだったというわけだ。
 道中からアップされたFacebookへの投稿の中で気になっていたのは、鈴木さんが356を運転していてチェックポイントで警官に不当に引き止められ掛かったりしても、“あるもの”を見せると、ピタリと止むと書いてあった。その“あるもの”とは、いったい何だったのか?
 僕らも、関所の警官には手を焼かされた。親切でフレンドリーな者の方が多かったのだが、中にはワイロ欲しさに言いがかりを付けてきて、カネを払わないと解放してくれない輩もいたのだ。
「事前に、日本で紙にロシア語で書いていったのですよ。“あなたの名前を教えて欲しい。日本大使館に電話をするので”と」
 ほほう。
「数年前に、ロシアでは警官の汚職を防止するために法律が改正され、どんな警官でも取り調べの際に氏名を名乗らなければならなくなったのです。これを見せたら、みんな放免してくれましたよ」
 なるほど!
 そんな法律ができたのならば活用しない手はない。不良警官が要求してくるワイロは日本円にして200~300円ぐらいの大した額ではないから困らなかったが、そのやり取りに費やされる時間の方が惜しかったのだ。

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 では、ハバロフスクからチタまでの間の悪路を356でどう切り抜けたのか?
 僕らは途中まで走ったものの、あまりの悪路だったのでブラゴベシチェンスクという小さな村でシベリア鉄道にカルディナを乗せ、僕らも一緒に貨車に乗って切り抜けることにした。
「まったく問題ありませんでした。きれいに舗装されたバイパスのような立派な道が通っていましたよ」
 ええっ、そんなはずは……。
「その間にカネコさんたちはシベリア鉄道に乗ったと本に書いてあったのを良く憶えていたので、“バイパス”からちょっと外れて村と村をつなぐ細い道を行ってみたら、まさにカネコさんたちが走ったような悪路でした」
 そうだったのか。15年間の進化は大きい。では、インターネットは?
「日本でレンタルのモバイルルーターを借りていって、それを起動すればほぼどこでもWiFiに繋げることができましたよ。ホテルにもWiFiの電波は飛んでいましたし」
 ええええええっ。そんなに環境は整備されているか!?
 15年前に僕らが走った時は、町の郵便局で日本にファクシミリを送ると偽って電話線を抜き、ピーヒョロヒョロとモデムに繋いでいた。Facebookどころか、テキストメール一本送るのにも時間を要したので、途中から止めてしまった。雲泥の差ではないか。
「デジタル機器にはずいぶんと助けられました」
 iPad上で開いたグーグルマップスのアプリでルートを確認しながら走り、ホテルに着いたらFacebookを更新したり、翌日以降のホテルをBooking.comで予約したり、インターネットはフルに活用した。
「Facebookは心の支えになりました。出来事をアップすれば、必ず、日本の仲間から応援のコメントをもらえるのは励みになりました」
 僕にメッセージを送るのも訳が無いのだ。鈴木さんの話を聞けば聞くほど、15年間のロシアの変化が良くわかった。驚くには値しないのだ。

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 あまり一般的でない、日本からのクルマによるユーラシア大陸横断という経験とそこに発生する課題に対する意識が僕と鈴木さんとでは一致しているので、会話はテンポ良く進んでいく。
「お二人のような苦労をしなくて済んだので、申し訳ないような気持ちです。ハハハハハハッ」
 そう言って頭を掻きながら笑う鈴木さんだったが、ツラかったのは食事だという。
「“メニューを読めないから、おススメ料理をお願いします”と、例によってロシア語で書いた紙も持っていって見せる作戦を採ったのですが、ロシアのオバちゃんたちは“言葉がわからないなら、ダメだ”とレストランやカフェに入れてくれませんでした」
 それが続いたので、ランチは日本から持参したカップ麺やポテトチップ、良くても店で買えたサンドイッチなどだった。
「ちゃんとした食事は、ホテルでの晩御飯だけでした。だから、ずい分と痩せました」
 ナビゲーション、ホテル探しなどはインターネットを活用して、問題なく西へ進んでいけた。356も快調だった。
「無理はしないことだけ守って走りました。加速は各ギアで4000回転までしか引っ張らないようにして、4速3000回転で90km/hを維持して巡航しました」
 電磁ポンプが作動しなくなり、持参したスペアと交換した。モスクワ近郊ではトランスミッションの1速ギアが欠けてしまったので、それ以降は2速発進だった。それが最も大きなトラブルだった。
 ロシアからラトビアに入り、リトアニア、ポーランド、チェコ、オーストリア、ドイツと走った総距離は1万5400kmあまり。
 予定より早く進めたので、ポルシェ創業の地であるオーストリアのグミュントでは5泊もしてイベントまで時間を潰した。
 グミュントからはニュルブルクリンク、ミュールーズ、ハイデルベルクと巡って、シュツットガルトに入った。
「6月6日にシュツットガルトに着いた時には感激しました」

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 356でポルシェ本社まで行ってみたいという願いはずい分前から漠然と考えていた。ポルシェ70周年イベントに参加したらどうだろうかと思い付いたのは後になってからのことだ。若い頃の自転車ツーリングだけでなく、50歳で排気量たった50ccのホンダ・スーパーカブで一般道を走って北九州まで行ったことがある(約1100km!)ので、元から超長距離をひとりで旅行して仲間を驚かせるのが好きな人なのである。
「自分の60歳とポルシェ70周年がたまたま同じ年になりましたね」
 356クラブ日本のメンバーの間では、鈴木さんが大きな難もなくドイツまで走り切れたのを知って、現在創立43年目のクラブの50周年の記念にドイツまで行ってみようではないかと言い出しているメンバーが出てきた。
「もう一回行きたいくらい楽しかったですよ」
 それはそうだろう。鈴木さんの笑顔を見ていると僕も再び旅立ちたくなってきた。クルマ選びとルート設定を少しづつ始めていこうか。

(このテキストノートはイギリス『TopGear』誌の香港版と台湾版に寄稿し、それぞれの中国語に翻訳された記事の日本語オリジナル原稿と画像です)
文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho (STUDIO VERTICAL)
Special thanks for TopGear Hong Kong http://www.topgearhk.com

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