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「世界が終るまでは…」歌詞徹底考察。上杉昇がラブソングに終止符を打った曲。

日本アニメ史に残る名曲の一つ。

「世界が終るまでは…」

アニメ「SLAM DUNK」の第2期EDテーマにして、ミリオンセラーを記録したこの楽曲は、世代の人なら知らない人はいないでしょう。
むしろ世代を超えて愛されているアニソンと言って差し支えないと思います。

ですが、この曲は知ってても歌詞はなんとなくしか意味わからんっていう人も多いんじゃないでしょうか?

ということで、歌詞を丁寧に一文ずつ読み解いて考察していきます。
J-POPのラブソングの概念を覆した上でヒットさせた上杉昇さんのすごさが感じられると思います。

読む前と後で「世界が終るまでは…」に対するイメージがガラリ変わること間違いなし!…のはずです。

歌詞考察

「世界が終るまでは…」は、1994年6月8日発売のWANDSの8枚目のシングル。
作詞はボーカルの上杉昇さんが担当し、作曲は当時のビーイング曲には欠かせなかった織田哲郎さん。
「世界中の誰よりきっと」や「愛を語るより口づけをかわそう」も織田哲郎さん作曲です。

では、ここから早速歌詞考察に入っていきますが、前提としてジャンルが何にあたる歌詞なのかを説明しておきます。

大枠で言うと「ラブソング」に入ります。
が、上手くいってるハッピーなものではなく、「アンハッピー絶望失恋ソング」ですね。

なので、ラブソング(失恋ソング)として読み解いていきます。
それではいってみましょっ。

1番

"大都会に 僕はもう一人で
投げ捨てられた 空きカンのようだ"

「世界が終るまでは…/WANDS」より引用

この時点ではまだ恋愛要素はなく、ラブソングという感じもしません。
ただのっけから寂しいのなんのw

人がたくさんいるはずの大都会なのに、僕はもう一人。
孤独感に苛まれています。
人が多いからこそ、逆に孤独が際立つのです。

「もう」と書いているので、誰かいたはずだけどいなくなって一人になったことを表現してます。
ちなみに上杉さんは「東京」という街をネガティブな要素として歌詞に登場させることが多いのが特徴。

そして次は上杉さん得意のメタファー(比喩表現)。

缶の飲み物って中身が入っているから価値があるのであって、飲み終わった缶なんて無価値だし、その辺に捨てられてる缶を「おっ!空き缶落ちてるラッキー!」なんてわざわざ拾いに行く人なんていないから、むしろあるだけ邪魔っていうか早くゴミ集積所に行ってくれませんかってなもんですよね。

ゴホン。ちょっと言い過ぎましたが、一人になった寂しさを道端にポツンと落ちている空きカンに喩えているわけです。
ラブソングと捉えると、価値がなくなったからポイ捨てされた、という皮肉を込めた自虐的表現とも取れますね。

"互いのすべてを 知りつくすまでが
愛ならば いっそ永久に眠ろうか"

「世界が終るまでは…/WANDS」より引用

ここで「愛」というワードが出てくることで、ラブソングであるとわかると思います。

この部分を言い換えてみると、
「お互いの全てを知ることが愛って言うんだったら、俺たちは愛し合ってなかったってことだし、いっそ4のうかな」

ちょ…え?…ぇえっ!?
4のうかなってあーた…急に物騒なこと言うんじゃあないよっ!

と、およそミリオンセラーを記録したと思えないほどの歌詞をサビ前にぶっ込んできます。

上杉さんは後のインタビューで「これまでのスタイルの1つであったラブソングに終止符を打ちたかった」と語られたそうです。
当時の上杉さんはラブソングばかりを求められることに嫌気が差していたので、この曲を機にラブソングを書くのを辞めたかったということだったんだと思いますが…相当気合い入ってますねこれは。

しかし、これは4のうかなというのも「そのくらいの気持ちで愛していて、本当は分かり合いたかった」ことを表現したいのであり、そしてそれをストレートではなく「永久(とわ)に眠ろうか」と婉曲表現することでその強烈なイメージを和らげています。

「眠る」と言うワードは普段使うから馴染みがあるしトゲもないので、それほど刺激があるように感じませんよね。
その辺りも上杉さんのセンスが光る部分だと思います。

「互いの全てを知り尽くすまでが愛ならば」と言ってるので、主人公はそれを求められて応えられなかったんでしょうか。
相手の求める「愛」のやり方がわからず分かり合えなかったからこそ、空き缶のようにポイ捨てされたのかもしれません。

どうすりゃよかったんだよ!あぁもう4のうかな…っていう。
落ち着いてくれ。

"世界が終わるまでは 離れる事もない
そう願ってた 幾千の夜と
戻らない時だけが 何故輝いては
やつれ切った 心までも 壊す
はかなき想い このTragedy Night"

「世界が終るまでは…/WANDS」より引用

「ずっとずっと一緒にいようね。世界が終るまで一生ラブだよ。」

これはおそらくほとんどの人が初期の恋愛相手に抱くであろう感情です。

俺は違う?
言ったことがなくても、ずっと一緒にいたいと願って毎晩相手のことを考えていたはずですよあなたは。僕にはわかる。

「幾千の夜」としているのは大袈裟と思えますが、「1000日=3年弱、5000日=13年半」と考えるとなくはないかもしれませんね。
ただ「そう願ってた 三年弱」なんてクソださいじゃないですか。

「そう願ってたんだ 幾千の夜ね」
かっけぇ…。

そしてその「一生ラブ願い3年弱夜」と「戻らない時だけ」が「輝いている」と続きます。
つまり、ラブラブしてて楽しかった戻らない時間が、2人の関係が終わってから振り返ると余計に輝いて見えるんだと。

あなたもそういった経験ありますよね?
何も恋愛だけじゃありません。
上手くいっていた時を思い返すと、「あぁ…あの時は楽しかったなぁ」と感傷的になってしまう人は多いはずです。

そして、その「輝いて見える過去」は、やつれ切った絶望なうな僕の心までズタズタに壊してしまう。
追い討ちされている様を想像するとこっちが病んでしまいそう…。

次の「はかない」という言葉は「束の間であっけないさま、むなしく消えていくさま」を表します。
別れて消えゆく相手の想いをそう表現しているのでしょうか。
え、もうやめてつらいんですけど…。

そして、サビを締めくくる「Tragedy Night」。
訳すとどういう意味なんでしょうか?

A.「悲劇の夜」という意味です。

まてまてまてまて何この救いようのない歌詞w
4のうかなとか言って、締めが悲劇の夜?
暗すぎるって…!
J-POPとはwラブソングとはw

そう。ヤバいんですよ、この歌詞。
上杉さんの「ラブソング終止符宣言」は伊達ではないのがわかってもらえるかと思います。

ラブソング?書くけど最後にするし、普通のやつ書かねーから。
かっけぇ…。

2番

"そして人は 形を求めて
かけがえのない 何かを失う"

「世界が終るまでは…/WANDS」より引用

2番の頭のフレーズは「形」と書いて「こたえ」と読んでいます。
人は「形」という「こたえ」を求めて、「無くなったら他に代わりになるもの(かけがえ)がない何かを失う」とはどういうことか?

例えば恋愛における「形」で考えると、付き合うことだったり、結婚だったり、愛情を物や言葉や態度で示すことだったり、様々な「形」があると思います。

そして、時にその形を求めすぎることで互いの間に摩擦が起こり、理解し合えない状況になって、その結果別れを選び、かけがえのない相手を失ったりする。

本来は相手のことを好きでずっと一緒にいたかっただけなのに、自分の理想の形を求めすぎてしまうことで、本末転倒な結果を招いてしまうこともあります。

これは恋愛においてだけでなく、人間関係では家族・友達・会社など様々な場面で起こりうる現象です。
例えば、仕事で結果という形を求めて働きすぎて、結果家族というかけがえのないものを失うパターンなんかもありますよね。

ラブソングの歌詞ですが、抽象度が高くていろんなことに当てはまる表現だと思います。

人は「形という答え」を求めてしまう生き物だからこそ、本当に大事なものが何かをしっかり認識しておかないと、いつの間にか失うことになる可能性もあると。
ふ、ふけぇ…。

上杉さんも自身の経験の中で、形を求めてかけがえのない何かを失った経験があったのでしょう。
この言葉が実体験から来ているものならそれが恋人だったのかもしれません。

ここのフレーズは個人的にかなり好きですね。

"欲望だらけの街じゃ 夜空の
星屑も 僕らを 灯せない"

「世界が終るまでは…/WANDS」より引用

ここでも東京という欲望の渦巻く街をネガティブな表現として使っています。
でも東京では星が見えないとはよく言いますけど、実際は全く見えないというわけではなくてw

ただ、僕も福岡の田舎出身で上京しているので、その差は歴然だと感じます。
東京の夜空、特に都市部では星が見えてもポツポツと。
眠らない街と表現されたりするように、繁華街はネオンなどの光が眩しかったりするので、星の光が届きません。

そして、上杉さんも埼玉や横須賀に住んでいたので、上京する前は星がよく見えた環境だったんじゃないでしょうか。

ここの「星屑も僕等を灯せない」という部分はどう解釈するのか迷うところですが…

カップルが夜空を見上げたら、一面に星が広がっていた。
2人は何を感じるでしょう?

もし、些細なことで言い合いになって喧嘩していたとしても、そんなことなんてちっぽけなことだと思えて笑い合えるかもしれません。
そんな光景を「星屑が2人を灯してくれているようだ」と上杉さんは比喩したんじゃないでしょうか。

ロマンティックぅ〜。なんてロマンティックなの。

しかーし!ここは欲望の渦巻く穢らわしい街・東京。
そんな素敵な力を持つ星屑も「僕らを灯せない」のであった…つらたん。

もしも星のよく見える田舎だったのなら、二人に訪れた別れは来なかったのでしょうか…。

ちなみに「星」を使った表現は「星のない空の下で」(アルバム『時の扉』)も素敵です。

"世界が終わる前に 聞かせておくれよ
満開の花が 似合いのCatastrophe
誰もが望みながら 永遠を信じない
なのに きっと 明日を夢見てる
はかなき日々と このTragedy Night"

「世界が終るまでは…/WANDS」より引用

2番サビ頭のフレーズは、何を聞かせてほしいのか明確に書かれていないんですよね。
次の文章に掛かっている内容でもないので、一文で完結しています。

はっきりとはわかりませんが、ラブソングという文脈で考えると、「別れの理由」だったりするのかもしれません。

そしてここの「世界」という単語ですが、1番の「世界」とは違った意味を持っているようにも感じます。

「人生、一生」という意味で、4のうかなと思っている主人公の「世界」が終る前にという意味ではなく、
この「2人が共に生きた世界」、つまり「付き合っている世界」が終る前にというようなイメージの方がしっくりくる気がします。

理由を聞かされないままポイ捨てされたから、2人の世界が終る前にせめてそれだけでも聞かせておくれよ、と。
いやきついて…。

そして次に出てくる「カタストロフィ」って何ぞや問題。
その直前は「満開の花が似合いの」とポジティブな感じのワードが並んでいます。

この「カタストロフィ」という言葉はギリシャ語に由来していて、元々は「大災害・大惨事」という意味を持つそうです。
おいおい、雲行き怪しいぞ…。

そこから転じて、「悲劇的な結末」という意味になりましたとさ。
いや悲劇大好きっ子かて!

つまり、ここは「悲劇的な結末なのに満開の花が咲いてらぁ。こりゃ今の絶望俺君にお似合いだなぁ。ははっ」という、皮肉マックスな自虐表現…。
ポジティブかと思いきやすげーネガティブ。

まとめると、
理由も聞かされないまま捨てられるなんて、満開の花が似合う悲劇的結末やな。
草…いや笑えないってば。

でもここは満開の花と聞いて「桜」を思い出す人が多いと思いますし、それはスラムダンクの舞台である学生生活に欠かせない春に咲く桜であり、さらにはそこから「桜木花道」を連想させる作りにもなってます。
天才か?(天才ですから)

そして次も好きなフレーズ。
「誰もが望みながら永遠を信じない なのにきっと明日を夢見てる」
いやー人間の真理を突いた的確な表現ですよね。

「幸せな日々がずっと続けばいいのに」と望んではいるけど、「んなわけねーよな」と信じずに諦めも感じている。
でも、人は「楽しい明日を夢見てしまう」ものだと。

この主人公も信じてないつもりだったけど、夢見ていたんでしょうねぇ。一生ラブを。

この部分も恋愛に限定された言葉というより、かなり抽象的で広い意味で当てはまる表現になっています。

そして2番の締め!

「はかなき日々と このTragedy Night」

「むなしく消えていく輝かしい日々とこの悲劇の夜」
やめてくれー!!!
もう…やめてくれっ。。。

そして、この後に1番のサビが繰り返されて終わります。
締めはロンモチでこれ!

「この悲劇の夜」(しかも二回繰り返す)

これが上杉昇流ラブソングだ!
ドン!!!!!

作詞家・上杉昇のすごさとは?

何も言わずとも、ここまで読んでもらえていれば十分すごさがわかってもらえたと思います。

これでもかと悲劇の主人公である自分を痛めつけることで、どれだけ相手を愛していたかを表現しているという、逆説的でドMなラブソング。
それが「世界が終るまでは…」じゃないでしょうか。

卑屈で暗くてアンハッピーで退廃的な雰囲気を持っている歌詞にもかかわらず、ミリオンセラーを記録してアニソンでトップクラスの人気曲になるとかハンパないって。そんなんできひんやん普通。

明らかにJ-POPの一般的なラブソングとは一線を画す作風。
そうでありながら、詩的クオリティが高く、かつ大衆に受け入れられている稀有な楽曲。

超嫌な言い方するとこの歌詞って、「メンヘラ振られ男の泣き言」じゃないですか。
「悲劇の夜やー!悲劇の夜やでー!」って喚き散らす。

それをこんなにもカッコよくラブソングに落とし込んで、むしろ恋愛だけじゃなく、人間の真理や人生をも教えられるような歌詞を作り上げたわけですよ。
それは内容の重さを感じさせないような、言葉選びやその配置、抽象表現の仕方など、上杉さんの歌詞センスの為せる技だと思います。

なおかつ、ずば抜けた歌唱力で表現力豊かに歌われたらどうでしょう?

ミリオンセラーを記録して、後世まで語り継がれる名曲になった理由も頷けるんじゃあないでしょうか。

もちろん織田哲郎さんの楽曲の良さもあり、WANDSメンバーの演奏もあり、上杉さんの歌唱力ありですけどね。
いや鉄壁すぎるて。

なぜ歌詞があいまいにしかわからなくても多くの人に受け入れられているか?

それは恋愛という大衆の求めるフィルターを通して歌詞が書かれていて、抽象的で広い意味に当てはまる歌詞がキラーフレーズだったりするので、通して意味がわかっていなくても、リスナーに刺さるというのがあるかと思います。

頭のフレーズも孤独を感じているような人なら誰でも当てはまるわけですし、過去の栄光は今の自分を惨めに感じさせたりするし、結果を求めすぎて逆に上手くいかなくなったりするものじゃないですか。

そういう抽象的な表現の歌詞は「スラムダンクの世界」ともリンクしてくるんですよね。
三井寿の歌だ、なんて言われるのもそう言ったところに理由があるんじゃないでしょうか。

というところで、今回はこの辺りでお暇しようと思いますけど…
どうでしょう。この曲に対してのイメージ、ガラリと変わりましたか?
変わってなくても怒らないでくださいね。
思いつきで言っただけなので。

最後に、YouTubeで「世界が終るまでは…」の上杉昇さんの歌い方を完コピした動画をアップしてるので、心優しい方は3.4回くらい観てもらえると僕はお漏らしをします。

そして、後日に歌い方の完コピ講座を投稿するので、また上杉さんのヤバさを一緒に体感しましょう!w

それではっ!


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