悔しさを言葉にする

先月から相次いで、自立生活運動の先輩や仲間が帰らぬ人となり旅立っていった。
1人はお会いしたことがない方だったが、自立生活運動の創成期から活躍されている大先輩。多くの人から慕われ、優しくユーモアあふれる方だった。そしてやはり理不尽な差別には真っ向から立ち向かう強い人だった、関係者の方からの発信で伝わってきた。
遅ればせながら、著書を読ませて頂きたいも思う。


ここまで書いていて、筆がとまる。
もうお一方は、と書こうとしたのだ。
あと2人思い出を綴らないといけない、胸が苦しい。
それでも、少しでも書かなくてはいけない気がしている。自立生活運動というムーブメントに全てを投じ全力を尽くした方々のことを自分の知る限りではあるが、しっかりと記しておきたい。

高知の村田さんと出会ったのは7年ほど前だったと思う。推進の研修で出会った時、趣味の電動車椅子サッカーの話になり、ちょうどその夏高地で大会があったのをわざわざ見学に来てくださったのだ。
うだるような暑さの中、特急南風のデッキで会場へ行き、これまた蒸し風呂の様な体育館で行われた大会だった。そんな時、
村田さんは見学に訪れた。気管切開をしていて声は大きくないが、大きな瞳を輝かせながら「めっちゃかっこええね」と言ってくれた。褒めるのが上手い人だった。
この後の研修で、会うたびに一言必ず褒めてくれていた気がする。
地元高知で地道に活動を続けておられて、つい最近自立生活を始める方もおられたと風の噂で耳にした。
さあこれから!というところだったのだろう。突然の訃報に驚いた。
高知の地に自立生活の芽をたくさん撒かれたと思う。その芽を無駄にすることなく、しっかりと受け継いで生きたい。

後郷さんとの思い出はない。否、ありすぎて書けないというのが正解か。
そして、僕の目に映る後郷さんは、もうリーダーとして完璧すぎて何かこうプライベートなことは一切わからない人だった。
コロナ禍になり、さらに関わる機会が多くなった。月に2〜3回は電話会議で話すしメールのやりとりもしていた。
電話会議で話が止まると必ずと言っていいほど、進行を引き受けてくれて話を進めてくれた。
九州や全国の仲間を救おうとできることを率先して、誠実で穏和でそれでいて話す言葉は理路整然とし、説得力があった。
後郷さんとの別れもあまりに突然で、まだ実感もわかないし、嘘だと思いたい気持ちもある。
それでも弔電を送ったり、ぶるーむの方からメッセージを頂いたりすると本当なんだなと、胃の奥から悲しみが押し寄せてくる。

つらい。

言葉にしてしまうと簡単で空虚で、虚しくなってしまう。
僕らは毎日形は違っても、障害を持った人が当たり前に地域で暮らしていけるように運動をしている。
権利として当たり前にあるべきはずのものを、社会は無いことにして、見て見ぬふりをして、回し続けている。
その歯車の中から、こぼれ落ちた僕たちは、一つの塊となってその大きな歯車にぶつかっていく。
途方もなく、長い道のりだけれど一歩一歩着実に進んでいく。
こんなことを書いてもしょうがないし、意味がないことはわかっている。でも僕は書きたい。書き記しておきたい。

たくさんの障害者の人生を破壊してきた社会を許さない。
声を言葉を無視して、無いものとして扱ってきた人々を許さない。


人のために尽くしてきた人たちが報われるようにならなければいけない。
僕にできることは限られている。みんなのことを忘れないこと。そして伝えていくこと。
自立生活の意義を。
当たり前の権利を。
この社会に認めさせる。
共生社会なんて生ぬるいこと、言わないで欲しい。
人として当たり前の権利を僕らにください。
他の誰かが許しても、僕は絶対に許さない。

たくさん悩んで
たくさん考えて
仲間のために行動した彼らの功績を無駄にしない。


明日も前を向いて走ろう。
やることは明確だ。
3人の先輩方に心からの敬意を表して。
ありがとうございました。

そして本当にお疲れ様でした。

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