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そこそこの目利き

日曜日、
いつもより時間が早かったけど、美容院で先月の読書の続き。最近本を読むのが遅い。
で、内田樹氏の「コモンの再生」。読みやすいけど考えさせられる文章がたくさん。

その中に「旦那」についての一文があり、おおっ、となりました。
そうかあ、ワタシは「そこそこの目利き」なのか…(以下、抜粋)

日本にもパトロネージュの伝統はなかったわけじゃないんです。伝統芸能を支えてきたのは「旦那」たちでした。義太夫とか謡曲とかを支えていたのはお稽古好きの旦那たちなんです。落語『寝床』の義太夫のようなもので、とても人にお見せするほどのものじゃないんだけど、それでも師匠について少しでも芸事を習っていると、そこそこの「目利き」にはなります。玄人の芸を見て、それがどれくらいすごいものかはわかる。至芸を見ると鳥肌が立つというくらいのことはできる。この「玄人の凄さがわかる半玄人」の分厚い層があってはじめて伝統芸能は生き残れる。一人の玄人が食ってゆくためには、その数十倍の素人が芸事を習って、そこその「目利き」になっておく必要があるんです。(「コモンの再生」【旦那と青年という社会層】より)

同じ師匠に習っていたのに、ただの目利きになっている自分と、師匠の芸を受け継ぎライブシーンで注目され活躍するピアニストと。

まあそれぞれ役目があるということはわかるけど、とほほな自分ではあります

てなわけでライブ全部聴くと落ち込みすぎるので2nd setだけ聴いて応援しよう…

てなわけでライブ全部聴くと落ち込みすぎるので2nd setだけ聴いて応援しよう、と思ったら時間間違えてアンコールしか聞けなかった。でもチャージはちゃんと払ったし、700円の缶ビールビールも飲んだ。
ささやかなパトロネージュね。


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