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つらなっていく、いのちの詩|絵本『チェロの木』


ドイツに暮らす人たちは口々に、過ぎた夏を惜しんでいる。
「そうですね」とは答えられない正直者な私。

私は、季節の中で『秋』が一番好き。

朝 凛として澄んだ空気
高く突き抜けるような青空
星を見上げ 吐く息の白くけぶる夜道

特に私がわくわくするのが、小さくも暖かい部屋の中で、熱いココアをすするひと時だ。

ぽっかりと空いた時間、ただただぼんやりとしてココアだけに向かう。
なぜか不思議なことに、昔からこの至福の時間は冬ではなく、秋でなくてはだめだった。

日本からドイツへと移ってもそれは変わらない
私の秋は 『ココア』


至福の時間は郷愁の時間。
心は思い出の中へと立ち返る。

その日の私は、ドイツへ来たばかりの頃へ。

一冊の絵本が、久しぶりに目に入ったのだ。


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(2017. 10. 3. 著)


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『あとがき』


秋冬の到来を嘆くという感覚を、今まで抱いたことがありませんでした。

私は暑さにも寒さにも弱く、毎年夏バテはするし、寒い時期への変わり目には必ずといっていいほど風邪を引きます。
それでも、どんな季節の始まりも、昨年の忌まわしい記憶に憂鬱になるよりも、その体験さえ楽しみにしている自分がいるのです。

うだるような暑さも、動きたくないとだるい身体も。
寒さに痛む耳も、ほとんど顔を覗かせない太陽も。

それらは、その季節がこなければ味わえないものです。
なのでこの時期、人と会話をするたびにそんな話ばかりが話題に出ることに、まず驚きを覚えました。
それと共に、大多数の他人と自分との感覚の違いを面白いと感じ、ドイツでの風景のひとつとして書き留めておこうと思いました。

ぼーっとできる時間というものは尊いものです。
平和でなければ、持つことはできません。
その象徴は私にとって「秋のココア」で、それはみんなが惜しむ夏が終わらなければ味わえないもの。
絵本からカザルスへと思考が移り、彼の逸話を思ったとき、今自分が享受している幸福を思い知らされました。

カタルーニャのニュースと時期がかぶったことは、まったくの偶然でした。
しかし私は、本の持つ力というもの信じています。
実際、本によって引き起こされる“導き”を何度も経験しました。
「人が本を選ぶのではなく、本が人を選んでいる」
そんな感覚をいつも覚えます。

本はそもそも、人の意思によって書かれたものです。
人の意思や思いには磁力があり、何かを引き寄せたり引き寄せられたりすることがあります。
作家の思考、思想、歴史、性格、叫び…様々なものがさらけ出された、本。
物体でありながらもより強く、その力を秘めているのだと私は思っています。

私がドイツへ渡った4年前に比べ、圧倒的に移民は増え、目に見えないほどの小さな変化が日々確実に起こっていることを肌で感じます。
なにを願っても、私は自分の思いを、チェロの音に託すことしかできません。
それを精進していく道を歩いていくことが、私が今できる最大なのだと信じ、歩み続けています。

紹介している、いせひでこ先生。
先生の絵本には、絵にも言葉にも、人の心を惹きつける力があります。
それは先生が信念にしたがった仕事をしているから。
幾度か直接お話をさせていただいく機会に恵まれ、そのことを痛感しました。
ほかの作品もぜひ皆さんに読んでほしい・・・とても素敵な絵本作家さんです。


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