2023年 岐阜市議会 11月定例会(12月5日) 代表質問「岐阜城天守閣の耐震化と岐阜城木造復元について」

○可児隆 岐阜市議会議員
 次に、2つ目の質問ですが、岐阜市の象徴の1つである岐阜城について、ぎふ魅力づくり推進部長にご質問致します。
 2018年、19年の調査にて、明らかになっている、岐阜城天守閣の耐震強度不足の件について、
岐阜市は2022年3月に、岐阜城天守閣耐震化計画を策定しました。
 この耐震化計画では、耐震性能を表す指数「ISO」と言いますが、ISO値0.7を目標耐震性能とし、構造的に合理的で、内部の利用に極力、支障のない補強とするため、1階から3階までは、各階同じ位置に補強袖壁を設置、加えて、片持ち梁などの工法で補強、4階は外観と眺望保全のため、開口部に格子鉄骨を設置するとしています。
 事業スケジュールは5年間、2年間かけ、実施設計を行い、その後、3年かけ、撤去を含む工事を行う予定で、耐震工事にかかる事業費は、約5億円から7億5千万円と想定されております。
 日本国内は、現在、天守閣が存在する城が91基、内、国宝に指定されている城が、犬山城、松本城、姫路城、彦根城、松江城の5基、重要文化財として福井の丸岡城、香川の丸亀城など7基、
この12天守閣が、江戸時代までに建てられ、現在までに残る、現存天守閣、国の宝となっております。
 現在、2032年完成予定で、名古屋城の木造化計画が進んでいますが、その他にも、1991年から2005年の間に、福島県の白河小峰城、静岡県の掛川城、新潟県の新発田城など、5基が天守閣を木造で復元し、歴史探訪の施設になっております。
 この木造復元天守閣の1つである愛媛県の大洲城では、城に宿泊し、城主気分が味わえるプランがあり、観光の目玉になっております。
 岐阜城は、元々、二階堂行政が、1201年に、稲葉山に砦を築いたのが始まりとされ、その後、斎藤道三によって整備された岐阜城は、織田信長在城時には、かのキリスト教 宣教師ルイス・フロイスの来訪記録があるなど、歴史上で大変貴重な山城であるのにもかかわらず、分類上の復興天守閣として、観光資源を目的に、1956年、コンクリート作りで復興されております。
 鉄筋コンクリート製の建造物の寿命が47年と言われる中、岐阜城は築城後、67年を経ており、耐震不足の評価は必然と思われますが、前述の袖壁や格子鉄骨の設置などで補修をすることに歴史的資料の山城としての価値や観光資源として寂しいとは感じます。
 岐阜城は、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉、この3英傑の生涯を語る際、必ずといって出てくる山城です。
 岐阜市民が最もシビック・プライドを感じなければならない象徴です。
 しかし、岐阜城を訪れた観光客の感想で最も多いのは山頂からの眺望です。
 コンクリートで建造され、窓もアルミサッシでは、松本城や犬山城を訪れた時に感じる戦国時代の生活や、刻まれた歴史などに対する感動は、得られないと思います。
 1994年に木造復元された、前述の掛川城の復興費用は10億5千万円、2004年に復元された愛媛大洲城の復元費用は13億円と言われております。
 岐阜城天守閣耐震化の事業が5億から7億5千万円、付帯工事を含めるとそれ以上と試算され、耐震工事を見直すとともに、その費用の一部を有効活用し、岐阜城天守閣を耐震、免震、制震を兼ね備えた木造で復元し、岐阜市のシビック・プライドとなる、また、歴史を感じることができる施設に変え、愛媛大洲城のように、金華山の山頂で宿泊ができる、観光の目玉を創るなど、岐阜城を劇的に変化させることが、将来的にも観光都市岐阜には最善と考えます。
 建て替え資金調達のひとつの例として、ロープウェイ乗り場付近の展望台を改築し、宿泊施設を建設、または、岐阜城の最上階を宿泊できる客室とし、展望台宿泊は一般予約、岐阜城宿泊は、その城主の権利を1口200万円で寄附金として募集する。
 城主の権利は、年に1度、天守閣に宿泊することができ、生涯有効とする。
 岐阜城の最上階に2人の城主が宿泊できる天守閣を有すれば、365日×2人で城主権は定員730名。
 権利1口200万円で、14億6千万円の資金となります。
 前述の耐震費用と合わせて22億円以上の資金になり、木造復元も不可能ではありません。
 あくまでも、ひとつの案ですが、このような画期的な考えも、岐阜市には必要かと考えます。
 そこで、ぎふ魅力づくり推進部長にお尋ねします。
 岐阜城耐震化に向けて、現在の作業の進捗状況、及び、木造復元についてのお考えについて、お答え下さい。
 岐阜市のシビック・プライドである岐阜城が、将来的にもシビック・プライドであるべき方向を継続で、ご検討頂くことをお願いし、岐阜城天守閣の耐震化と岐阜城木造復元の質問を終わらせて頂きます。

○議長
 ぎふ魅力づくり推進部長、田川智史君。

○田川智史 ぎふ魅力づくり推進部長
 岐阜城天守閣の整備に関する2点の質問について、関連がございますので、一括して、お答え致します。
 現在の岐阜城天守閣は、昭和31年に再建された、鉄筋コンクリート作りの2代目の天守であり、
本市の観光振興に於ける、重要なシンボルであると共に、市民の皆様にとりましても、シビック・プライドの象徴的存在であると考えております。
 この、岐阜城天守閣は、金華山山頂に於いて、67年に亘り、現在の姿を保っていますが、平成30年から31年にかけて実施した耐震診断の結果、耐震性を満足しない階層があることが明らかになり、本格的に耐震化を進めるべく、令和4年2月に基本構想、及び、基本計画をまとめた、岐阜城天守閣耐震化計画を策定したところであります。
 計画策定にあたりましては、有識者の専門的な知見、文化庁との協議、さらには、パブリック・コメントなどを踏まえ、多角的な視点で、様々な整備方法等の検討を重ねて参りました。
 具体的には、現在の復興天守を解体し、新たに建て替える、再建整備案。
 耐震壁などを追加して、構造補強を図る、補強整備案に加え、
 慶長6年に廃城となった、木造の岐阜城天守閣を再現する、復元案や、復元的整備案についても、検討したところでありますが、天守の復元、復元的整備は、当時の姿を示す絵図や設計図など、再現に必要な資料が現存しないことから、文化庁の史跡内に歴史資料及び史実に基づかない構造物の建築は認められないとの方針とそれに基づく協議により、いわゆる、木造復元は不可能と判断したものであります。
 一方、2代目復興天守である、現在の岐阜城天守閣は、築城から67年余りが経過する中、本市の歴史に於いても、また、まちの景観上も、特別な建物として広く認知されており、平成26年に選定された、長良川中流域に於ける、岐阜の文化的景観や、平成27年に認定された、日本遺産「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町ぎふに於いて、重要な構成要素に位置づけられるなど、一定の文化的価値も認められております。
 また、計画策定に合わせ、実施した、鉄筋コンクリート建物の健全度調査に於いて、構造躯体は健全であると確認できたことから、こうした調査結果や文化的価値を踏まえ、耐震化計画に於いて、
現在の概観を保全しつつ、実現可能な耐震補強により、施設の長寿命化を図ることと致しました。
 そこで、耐震化計画の進捗状況でありますが、先の整備方針を具体化するため、昨年度から2箇年かけて実施設計に取り組んでいるところであり、この中で、構造補強の設計に加え、証明のLED化といった、電気、機械設備の改修や、外壁の保全設備の設計、資材運搬ルートの選定なども進めているところであります。
 また、岐阜城天守閣の耐震化工事の時期に合わせ、岐阜城資料館を含めた、展示の更新にも取り組む予定であり、さらには、現在、推進しております、史跡岐阜城跡の保存、活用計画、及び、整備基本計画、歴史博物館総合展示室のリニューアル、岐阜公園の再整備事業など、関係部署とも関係を密にし、岐阜城、金華山、岐阜公園が一体のものとして、さらなる価値と魅力向上が図られるよう、取り組んで参ります。
 何れにしましても、岐阜城天守閣は、岐阜市のシンボルであり、市民にとって、無くてはならない
、地域の宝であります。
 今後も、より多くの方々に、安心して岐阜城を訪れて頂けるよう、着実に耐震化等を進め、私達が先人から受け継いできた大切な財産を次世代へしっかりと繋いで参りたいと考えております。

○可児隆 岐阜市議会議員
 次に、岐阜城天守閣耐震化についてのご回答を頂きました。
 先日、名城と言われる長野県の松本城を視察して参りました。
 さすがに、名城と言われる城であり、当時のまま保存された城の内部は、戦国時代の戦い方や生活が想像でき、視察後もまた訪れたいと思える史跡に感動しました。
 その松本城の入場者数は、令和4年実績で66万5千人、年間入場者が25万人の岐阜城の2.6倍にもなります。
 それも、付近に長良川鵜飼や岐阜公園などの観光施設がある岐阜城と比べて、松本城に訪れる観光客は松本城が目当てです。
 ご返答の中で、岐阜城の文化的価値や歴史的景観、市民意識が、どこからの根拠なのか明確ではありませんが、私をはじめ、岐阜市に住む、私の知人のほとんどが、金華山と岐阜城という、遠くからの景観だけに親しみがあり、岐阜城に入場したことの無い知人も沢山います。
 松本城を訪れた際の感動や、また、来たいという思いは、岐阜城訪問時には、なかなか、抱かれないと思いますし、金華山は訪れても、岐阜城には入場しないという市民もいます。
 一度、市民アンケートを実施して頂ければ、この実態は明らかになると思います。
 今、観光は、守ることから創造すること、観光業が成立する時代になってきています。
 人工的な建物と自然景観とのコントラストで建てられるホテルが良い例です。
 長良川鵜飼も私達が若い頃の昭和48年に33万人、昭和60年には27万人の乗船者でしたが、令和4年には5万3千人弱までに減少しています。
 実に、最盛期の6分の1です。
 このまま、何もせずに、文化を守ることに専念すれば、岐阜の観光業は衰退する一方だとは思いませんか?
 当然、長良川周辺の宿泊施設、旅館業も同様です。
 令和2年度実績で、岐阜市を訪れた観光客は、4900万人、観光収入は1784億円です。
 単純に、観光客を10%増やせば、約170億円の収入増になります。
 20%の増加で340億円です。
 これは、あくまでも参考になりますが、今、最も使われているAIの試算では、岐阜城を木造で復元した場合の経済効果は2000億円、雇用効果は、1万人と予測されています。
 これに加え、岐阜城に隣接する、例えば二の丸、三の丸に加え、岐阜市長が推奨する信長の館 大庭園を加えると、経済効果の数字は計り知れない数字になります。
 是非、岐阜城をね、木造復元して頂きたいなと思います。
 魅力的なまちを作るために、将来的な観光の目玉となる、岐阜城の木造復元は、岐阜市のシビック・プライドにもなり、雇用の創出にもなります。
 文化庁の許可など、やらない理由を考えるより、どのようにしたらやれるのかを考えることが、今の行政には必要と考えます。
 是非、現状の耐震化計画を白紙に戻し、岐阜城耐震化を再考して頂けるよう、お願いします。
 市長はお城研究会に参加されていると聞いております。
 是非、ご協力をね、お願いして、木造化にしていきたいなと思っております。