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第四夜・もしも問題があるとしたら転がっている石コロ一粒にも草葉にも思想があるという事だが君は気にするか?それとも。【前編】

この一連の記事は、幣劇団のヒストリーを紹介しつつ、9/23より開催される展示「死の表象と再生術」へと繋がる仕組みになっている。

もちろん、後からここに辿り着いた人にとっても、作品に別の視座を与える意味としても書いているので、必ず全てを読む必要はない。


今回トップの画像になっているのはSAIの作品「C」。
活動初期2005〜2009の一番最後の演目になった作品だ。

というわけで今夜は活動初期についてを書きます。


はじまり。
SAIは2004年9月に、埼玉県にある蕨市という場所で結成。
翌年2005年9月に旗揚げ公演を、蕨市市民会館にて行いました。

活動初期の劇団名は
「演劇エンジン彩」
読み仮名は「エンゲキエンジンサイ」です。


その名の通り、演劇の活性化を目的とした冠と、埼玉を指し示す言葉である「彩」を組み合わせてつけられた名前です。
「彩」に関しては、前身ともいうべき劇団(倉垣の所属していた高校演劇部の卒業同期で作った劇団)の名前〝劇団ステンドグラス〟からニュアンスを引用している部分もありました。

「個性豊かな色が集まり、ひとつの大きなアートを作り出す」その意味合いと、その後、冠が演劇エンジンから何か別の冠に変わったても通用する名前。
「彩」から「サイ」「SAI」に変わっても良いようにという事、音の響き等から、当時のメンバーと共に決めた経緯があります。

活動初期のメンバーは、高校演劇部の中で東京に出て来ていた者が集まり作られました。(その後、旗揚げ公演をした後に増えたり減ったりありましたが)


活動初期からのメンバーは、
演出・脚本の倉垣吉宏
楽曲のCuu-の2人のみ。
他のメンバーに関しては、現在は演劇活動から離れているものもいるためここでの紹介は割愛します(バックナンバーには出演者クレジットが出ているので、そちらをご覧下さい。)


高校演劇の延長でSAIは始まったのか?
と言われると、半分は正解で半分は間違いです。

というのも、私が居た高校の演劇部というのは一般的に言われる高校演劇よりも、小劇場的な精神性での活動が強かったからです。


どんな高校演劇部だったのか??

・部員の半数が生徒会役員。
・部員の半数が運動部・文化部の部長や副部長。
・アクティブな部員10名程に加え、幽霊部員20名弱。
・顧問が顧問として機能していない。
・部室を私物化・改良し、シューティングレンジもどきがあった。
・部員の1/3が同人活動をしていた為、夏の部活動が常に危機を迎えていた。(みんな夏コミに行くから)
・しかし秋の文化祭公演は盛況。

そんな部活だった。
特別感があるように書いているが、おそらくこういった部は日本全国至る所に存在したと思うししていると思う。なので特別ウチが変だったとは思っていないが、個性的なメンバーが多く、また大人に敷かれたレールに乗らずに自分たちでルールの裏を突いたり、提案をしたりして、自分たちのやりたい事を常に通して来た。

顧問をしてくれていた美術部の顧問の先生が、野田秀樹や現代美術等が好きだった事もあり作風は縛りなく、自由にやれていた一因にもなっている。
高校演劇の場合、顧問がイニシアチブを握ったり、生徒に選択肢を投げかける事が多いと思うし、本来はそれが正しい形なのではないかなと思うが、私たちの高校演劇というのはインディーズ感満載のDIY精神上等なところからスタートしたのでした。

現在に続く、無いなら作ればいいの精神

SAIをはじめたキッカケは上京した際に自分がやりたい演劇が見つからず、ないなら自分で作るしかない!と思ったこと。
0から1にしていくやり方は高校時代に学び、技術的な部分は養成所で学び、あとはそれらをどう組み合わせて自分の面白いと思うものを作っていくかだな!と15年前に思い立ち旗揚げをしました。

一番最初は三鷹に居て、友人宅に転がり込んでいたのですが、その友人と揉めて(揉めたというか生活感の不一致)、当時付き合っていた女の子の家に転がり込みそれがその時は埼玉だったという、それだけの話です。
もし中野で旗揚げしてたら中野猛虎会みたいな感じの名前をつけていたかもしれない。たまたま埼玉だったからサイという名前になったのだと思うと、場所やタイミングって重要だぜ。


活動初期は地域演劇の活性化
埼玉で蕨市というと、現在は「ゲッコーパレード」という劇団が活動されてます。ちょうど僕らが練馬区へ移動した時期と彼らがアクティブに活動をはじめた時期が被っているため接点はあまりないですが、SAIの一番最初は地域演劇の活性化を目的としていました。
地域の公共の場を借りて、そこに演劇作品をかける。普段、演劇を見ないような人がフラッと見に来たり出来るような、その街に住む人に向け、演劇をやろう。
というものでした。

実際、旗揚げの「KNIGHT OF GOLD」から「PARADE〜終焉の詩」までは蕨市と大阪と秋葉原でしか公演を行っていません。
路上演劇をコンスタントにするようになってからもスタンスは一貫していました。

路上が劇場になる

大阪の梅田陸橋にて路上演劇を上演したのは旗揚げから約2ヶ月後の11月。
この時は、旗揚げ公演が自分で思うほど面白くなかったというフラストレーションが野外に興味を向かわせたのでした。

SAIのメンバーは殆どが大阪の人間でした。旗揚げ公演後、後に初期SAIを支えてくれた本田良がメンバーとして加入することになりました。
彼もまた高校の同期なのですが、大学卒業後一旦は就職し、SAIの旗揚げを手伝ってくれた後にその仕事を辞めて上京して演劇をはじめたのです。

その時の演目が「ケロイド」であり、稽古は大阪でしていました。上京前だったので。
この時、寝屋川でCuu-と本田良と3人で稽古した事が、外で芝居するのはやるのも観るのも絶対面白い!という確信に繋がったのです。

長くなったので

明日の更新に続く。

展示の詳細は下記より。
https://stageguide.kuragaki-sai.com/guide/deathrebirth/

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倉垣吉宏

舞台芸術創造機関SAIのという劇団の主宰。ほぼ全公演の劇作・演出を担当。 俳優酒場「月光密造舎」「SAI BAR」を運営。2017年より東京江古田にあるアトリエ・サードプレイズを管理しています。演劇を使った交流と交錯の思考実験・備忘録として書いています。

舞台芸術創造機関SAI展「死の表象と再生術」製作日誌

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