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#211025の記録

少年期に聴いた音楽はその後の人生でずっと残る。
まだ何も知らない頃に素直に純粋に吸収したから、折にしてその扉が開く感じ。
歴史的価値とか、文化性とか、そういうのではなく。音が好きとか歌詞が好きとかリズムがいいとかメロが好きとか声が好きとか好きな要素があればあるほどいいし見つけられるもの。
めちゃくちゃ嫌いになる時期があっていい。
好き過ぎるから嫌いにもなれる。愛憎表裏の方程式。コインのどちらを選んでターンを終わらせる?その時々。でも結局また好きを選ぶ方が気持ちがいい。その繰り返しのようなリプレイ。
好きも嫌いも人の数だけ存在しているから誰かにとっての光は誰かにとっての闇になる。
興味の対象が車窓からの景色のようにどんどん変わる人もいるだろうし、ひたすらビルばかり追ってしまう人もいるだろう。
人の数だけ人の数だけ人の数だけ違いがあるから、エゴが強い時代になってきた。多様性という表現が【自分以外】を傷つける道具にもなり得る時代になっている。
少数派が多数派にマウントするために多様性という表現を取ることも増えたように思う。
傷つくことに対して人がどんどん弱くなっている。自分を守るためのバリアのような言葉、ラベルがたくさん増えてきて、そしてそれらは社会的に強くなってきている。
関わり方、触れ方、人との距離のどれもが、息苦しい時代だなと急速に感じたのは、1025という今日この日が、街中で、電車の中で、もう、瞬足で秒速で、この約2年のことは気の迷いだったのよ
もうお触れは解けたのだから、呪いなんてなかったのよ
そう言う空気に感じてしまったからだろう

関係がない人なんていなかった筈なんだけど、嗚呼まあそれが本質なんだよなと思い、この世には、自分と他人しかいなく、他人はどこまでも他人であり社会とは他人の集合体であるということを再認識するのだった。

いつでも会えることってありがたかったんだなと感じられたのは一瞬のこと??特別なことが毎日続いていると感じ、万事、感謝する気持ちを持っておきたいと私は思う。

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