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Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ⑨

(9)「巡礼の再開」
 
8/23(火)第5日、晴れ。16°C
  本日から巡礼の旅が再開するが、二日間の休養は有難かった。朝、まだ暗い中に宿を出る。歩いていると、ここからも、あそこからもと宿を出て歩く巡礼の人たちが増えてくる。こうやって歩くと町の大きさが実感できる。スマホに入れているアプリのナビのおかげで、迷わずにブルゴス市内を抜け、郊外に出ることができた。

 道端にゴミ回収用の大きな箱が町の至るところに置いてある。5−6個あって、そこに分別して入れる仕組みのようだが、町の美観を損ねている。また、犬を連れて朝の散歩をしている人に多く出会う。スペインでは多くの人が犬を飼い、大事にしている。それも大型犬である。この後に通過する村では、全部がシェパードであった。しかし、犬の糞の処理に関してはいただけない。処理をする場面を見たことがない。道路の至るところに糞が転がっている。後で行くマドリードやバルセロナなど大都会ではそうでもなかったが・・・。

「巡礼に ブエンカミーノ  声かかる」

 8時頃に太陽が昇り、私の影が道に長く伸びる。郊外もこの辺りまでくると、前後に巡礼の姿はなく、歩いているのは私ひとりである。しかし、道標がしっかりしているので、道に迷う心配はない。風景は、次第にメセタ(Meseta)へと変わっていく。
 私がいるのはカスティージャ・イ・レオン州で、メセタとはスペイン中央部に広がる高原状の大地のことで、標高は700m前後もある。そのため気温は少し低いが、乾燥しているので非常に暑い。

このザックは約10kgで、帆立貝を吊るしている

 両側には刈り取りが終わった小麦畑が広がり、視界を遮るものは何もなく、低い丘の地平線まで見渡せる。畑には大小の石が混じっていて、日本の農地と比べると痩せている。この石は硬く、これが風化して土になるのは容易ではないと思われる。スペインの大部分を占める生産性が低いこの土地で、人々はどうやって生計を営んでいるのだろうか。私の関心はそこに向けられていた。

こういう道が延々と続く

 11時過ぎに村のレストランに入ると、パエリアがあった。久しぶりのコメ飯で嬉しかった。壁には巡礼が書いたメモ類がびっしりと貼ってあった。日本人が書いたものも少しあったが、いずれも古いものであった。

レストランの壁に貼られた巡礼が残したメモ

 小さな教会の扉が開いていたので、短い時間だが、旅のため、家族や友のために祈った。今回の旅は独力での単独行ではあるが、それでも一人になると、支えられている自分があることがよくわかる。この後、1日に1度は祈る機会を持った。

 村の道端で、野菜や果物を売る露店があると、必ず何か買った。水だけでは飽きてくるし、どんなものがあるのか見るだけでも楽しい。こちらでは量り売りで、いちいち重さを測る。1個いくらとか、一皿いくらという売り方ではない。この旅では、ミカン、リンゴ、スモモ、洋梨、ブドウやプルーンの他、今まで食べたことがない果物を食べた。

 午後になると、炎天下を耐えながら歩くことになる。ここからは辛い時間帯である。メセタでは緑がなく木陰がないので、休憩する場所がない。更に私を苦しめたのは、ひっきりなしに襲ってくるコバエの群れであった。追い払っても、追い払っても、アブのように顔にまとわりついて離れない。これが実に鬱陶しいのだ。持っている杖をグルグル振り回すと、その時だけは退散するのだが、止めるとまた同じである。蚊取り線香か防虫用のネットを持って来なかったのが失敗であった。
 ようやく見つけた小さな木陰で休んでいたら、若い男性がやって来た。日本人だった。東京にある大学の獣医学部の学生だという。彼もハエに悩まされていたようで、何か手立てはないかと尋ねられたが、私も同じである。大学の後期の授業が始まる前に帰国しなければならないと焦っており、休憩もそこそこに先に行ってしまった。私も距離を短縮しなかったら、きっとこういう余裕がない雰囲気であったのではないだろうか。

 小さな村に入ると、レストランがあった。砂漠の「オアシス」である。バナナと冷えたコーラで一息ついた。先ほどの学生もいた。道向こうの家の壁に写真が貼ってあったので、近寄って見たら、それは“The Way”(『星の巡礼者たち』)のポスターであった。

“The Way”(『星の巡礼者たち』)のポスター

そこに書かれていたのは、
“You don’t choose a life.You live one.”
(人は自分の人生を選ぶことはできない。ただ、それを生きるだけだ)
という台詞であった。
いかにも巡礼路にふさわしいもののように思えたが、何か違和感を覚えた。確かにそうには違いないが、私たちは人生の過程で多くの「決断」を行うし、「選ぶ」こともできる。すべてが決定された道を歩む訳ではない。この言葉には、人生を高みから見て、運命論的な悟りきったような、押し付けがましさがある。すっと気持ちの中には収まらない違和感を感じるが、皆さんはどうであろうか。

村を出ると、また同じ風景で、巡礼路はヒマワリ畑の中に続いていた。

道沿いのヒマワリ

「マメ潰れ ヒマワリ笑う 巡礼路」

これまで我慢して取っておいたミカンをここで食べた。ミカンひとつで気持ちまで落ち着く。
 ようやく次の村が見え、今日の行動が終わった。アルベルゲで出してくれた水を、お代わりした。今日は2段ベッドではなく単体のベッドで、2食付きで23€。夕食はサラダ・豆の煮物・スイカ、それにパンで、朝食はトースト・コーヒー・ゆで卵・ジュースであった。この豆の煮物はこれから何回か出たが、馴染めなかった。
 宿で一緒になったラテン系の男性ばかりと一緒に食べた。日本から来たというと、九州や福岡といってもわからないので、長崎と同じ島だと言うと何となくわかってもらえた。「広島」と「長崎」の名前は知られているようだ。「折り紙」ができるのかとも聞かれた。

夕食後のコンサート

 食事の後、店の前でギター一本による即興のコンサートが開かれた。曲は「ガンタナメラGuantanamera」で、サビの部分ではみんなで声を合わせて歌う。これが何度も繰り返される。村の人たちも寄ってきた。

オンタナスHontanasという泉が湧く小さな集落の夕べで、教会の鐘が30分ごとに時刻を告げていた。(31.7km、48,724歩)

「泉湧く メセタの宿は オンタナス」

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