「戦えば国を守れる」という思い込み11

以下、引用は中国研究者でジャーナリストの田輝氏。

>筆者はこの一文から早くも違和感を覚えてしまった。

・・・として田氏は、日本から先に仕掛けたことと日本が侵略されたことがきっかけではなかったことを挙げ、「露ウ戦争と太平洋戦争の2戦争を同一視するのは不可解」と反論している。だが彼のこの主張は論点摩り替えだ。何故なら、三枝氏が同一視しているのは「ゼレンスキーと東条英機(の発言・姿勢)」だからだ。
相手の趣旨を都合良く拡大解釈すれば、違和感を覚えるのも当然。田氏の主張はストローマンという詭弁にも該当する。

>しかしその後ヒトラーが「英仏は介入しない」と見てポーランドにまで侵攻していったのは歴史が示すとおりだ。

この理屈を地で行くなら、和平交渉で仮に停戦条約等を締結しても一切無駄なので実力行使するしかない、ということになる。だがかつてのドイツがそうだったからと言って今のロシアもそうとは限らない。それでも田氏がプーチンとヒトラーを同一視するのであれば、彼は三枝氏を批判できない。

>三枝氏は「奪われた土地はもともと親ロシア地域で、勝手に独立を宣言している」と述べているが、ウィキペディアを参照すると、

日本語のページであってもwikipediaはあまり参照しない方がいい。両陣営に都合のいい編集合戦が繰り広げられており、何が事実かは不明だからだ。田氏が引用した部分もウクライナ寄りの内容だが、おいそれと鵜呑みにするのはメディアリテラシーが低い者だけである。

>(略)57万人以上をシベリアに連行して長期間抑留し強制労働をさせたことや、旧満州にいた日本人女性や中国人女性を次々と強姦した事実を三枝氏は知った上で、降伏しろと言っているのだろうか。

言っているのだろう。何故なら戦争が長引けば、その57万人どころの犠牲者数では済まないからである。それとも田氏は「強制労働や強姦されるくらいなら他の犠牲者と共に死んだ方が良い」と言いたいのだろうか。

>ウクライナの人々が求めているのは、単なる国の「威信」ではなく、ロシアに奪われてしまった「日々の穏やかな暮らし」なのではないか。

一日も早く降伏すれば、その暮らしは早く戻る。徹底抗戦すればするほど、その日は遠のく。自明の理だ。日本もミッドウェー海戦後や東京大空襲後、或いは沖縄戦前等々のタイミングで見切りを付け潔く降伏していれば、どれほど多くの人々が元の暮らしに戻れたことか。

>香港人がもし自らの国を持っていれば、自分たちの自由をこうした形で奪われることはなかったのではないか。

国や軍があれば自由を奪われないとは限らないことは、ウクライナが証明している。

>こうした人々にも、「抵抗すれば命をなくすだけだから、降伏した方が良い」と説教すべきなのだろうか。

どのみち徹底抗戦すれば、その間「総動員」を掛けられ自由を奪われ人権を蹂躙された時点で、実態は田氏が嫌悪する独裁国家と変わらない。よって抗戦はせず降伏・逃亡するのが、「命を守り平穏な暮らしに戻るため」の最も確率の高い策である。
「国の為に戦え」は、己のアイデンティティを国に依存した国家主義者、若しくは国を己の所有物と勘違いした支配層側の発想でしかない。

>少なくとも精神的には目いっぱい応援する、というのが、人権を大切にする日本人のすべきことではないか。

基本的人権である人命を第一に考えるなら、死屍累々の惨劇を齎す徹底抗戦を「目いっぱい応援すること」は、例えるなら、街角で殴り合いをする2人を止めもせず煽り嗾ける野次馬に等しい。無責任・偽善の極みである。

結局、田氏のように人命軽視な思想の持ち主がいる限り、戦争は起こり続ける。人類はいつになったら戦う以外の抵抗法や問題解決策を学ぶのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?