〝じゃないほう〟の文章だったとしても。
noteの編集画面を開いたときに、するすると言葉が出てくる日と、書いては消してを繰り返す日があります。今日は今のところ後者で、数十字書いては消して、また書いて…を何度か繰り返しているところです。
「今日は」というより、この頃は書いては消しての日のほうが圧倒的に多くなりました。下書きにいくつもの日記を溜めこんだまま、「noteを始めて5周年!」の通知をもらってしまいました。
ちょうど一年前、4周年の通知を受け取った私の言葉です。始めた頃は「自分の気持ちを書けるようになりたい」という思いが大きかったのに、いつしか「自分の気持ちを整理する場所」として大切な場所になっていて。改めて考えると、私は本当にこの場所に救われてきたなと思います。
一方で、書いては消しての日が多くなったのもここ一年のこと。理由は、「良い文章の基準がわかるようになってしまったから」です。あれこれ考えずに書いていた頃は、もっとすらすら文字が打てました。
(やや生意気な表現だと思わなくもないのですが、7年も編集の仕事をやっている身としては、自分で書くものに対してはそれくらいわかるようになっていなくちゃいけないはずなので、イキにさせてください)
もっと言えば、インターネット向きの文章とそうじゃない文章、読まれる文章とそうじゃない文章があって、私の文章は基本的に〝じゃないほう〟。ずっと紙の本に向けた文章を書いてきたので、そりゃそうだ!と思うのですが。
せっかく書くなら、インターネットにふさわしい、良い文章を書きたい。でも書くほどに、あぁまた〝じゃないほう〟の文章を書いているなぁとわかるから、書いては消して、いくつかを公開して、そのほかを下書きに仕舞い込んでしまうんです。
自信のなさそうな言葉たちを重ねてしまいましたが、自分の文章を卑下するつもりはありません。もちろんまだまだだし、その場にふさわしい文章を書けるようになりたい。だけどこの5年間、ここで書いてきた文章だってそう悪くないはずなのです。
「文章を書けるようになる方法は、もう一文字も直せないというところまで自分で直すこと。人に見せる文章は、いつもそうじゃないといけない」。
編集者になりたての頃に教わったことが、今でも私の指針です。
実際のところnoteでは普段よりも肩の力を抜いて書いているので、ちゃんと読み返せば直すべきところが、必ず、たくさん見つかるとは思うのですが。ぐずぐずした日も、くよくよした日も、最低限の体裁は整えてきたつもりです。…時々、大丈夫じゃない文章も混ざっていたかもしれません。
あらゆる意味で〝じゃないほう〟の文章だったとしても、5年間ぽつぽつと書きつづけて、それを読んでくれるひとがいた。お会いしたことはなくても、名前は知らなくても、いつも見守ってくれる人がいるということに安心する気持ちは今も変わりません。ただそのことに光を当てて、素直に喜んで、心からのお礼を伝えたいです。
6年目も、変わらずここで書いています。良かったら時々思い出して、寄り道してもらえたらうれしいです。そしてその寄り道が、何かちょっとでも良い時間であれたなら、それほど幸せなことはありません。
2024年1月6日 たつたかんな
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