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モヤモヤは、時に愛しいもの。

日記を書きたいと思うのは大抵、新しい気持ちを見つけたときか、積もったモヤモヤを紐解いて心に風を通したくなったとき。久しぶりにすっと書き始められた今日は、前者です。秋の終わり、新しい気持ちを見つけました。

ややきれいなタイトルをつけてしまいましたが、実際の私は日々いろいろなモヤモヤを抱えて生きています。誰かの何気ないひと言、納得いかないこと、モヤモヤの種は日常のあちこちにあって、ふとした瞬間に芽生えてはふわふわと広がっていってしまいます。

小さなものなら目をつぶるし、大きくなりすぎて風通しが悪くなるようなものであれば、書いたり、話したり、何らかの方法で乗り越えたり。いろいろなモヤモヤと付き合ってきたけれど、やっぱり好きにはなれません。乗り越えよう、向き合おうとするほどエネルギーを使うから、つかれてしまう。できることならひと粒の種も拾わずにいたいと思っていました。

モヤモヤって、とても曖昧で厄介な存在ではないでしょうか。たとえば、誰かのちょっとしたひと言が種になるとき。いったんは受け止めてみるのだけど、後になって「あんな言い方しなくたっていいのにな」とか「どうしてあんな風に言うんだろう」とか思うわけです。その人だって悪気はないのに。

その場でやんわりとでも「そんな風に言われたら、ちょっと悲しいよ」と伝えることができたなら。「そんなつもりじゃなかったんだよ」「そうだったんだ」と話ができて、誤解もすれ違いも生まれず、モヤモヤを持ち帰らずに済むのかもしれません。やんわりと(相手にもいやな思いをさせずに)伝えてみるということが、ものすごく難しいのですが。

同僚、家族、友人、恋人。どんな関係性であっても、人と人が一緒にいようとする限り、すれ違い(特に言葉の)はつきものです。

極端な話ですが、モヤモヤひとつない世界を求めるならば、一人でいるしかないように思うのです。現実的にはこれもまた難しいと思うのですが、一人でいる限り、誰かの何気ないひと言に傷つくことはほとんどないでしょう。

そう考えたときに初めて、モヤモヤは誰かといようとするから生まれるものなのだと気づきました。

たとえ「あんな言い方しなくたって」と思っても、明日も明後日も顔を合わせる相手だから、その場を平和にやり過ごそうとするんですよね。来週も再来週も一緒にいる人だから、伝え方に迷うんですよね。

「波風を立てず」。言い意味で使われることは少ない言葉ですが、それはきっと思いやりです。できるだけ穏やかに、できるだけ誰も傷つけることなく、変わらない日々を紡いでいこうとする人たちの、優しさだと思います。

その証が日々心に広がるモヤモヤなら、それはもしかしたら、ちょっぴり愛しいものなんじゃないかと思ってしまいました。

すべてのモヤモヤが、肯定されるものだとは思いません。社会にはたくさんの理不尽があるし、すべて受け止める必要はないし、その人がひとつも悪くない出来事も絶対にあるからです。そのときは、傷ついた気持ちのほうを優先させてくださいね。

だけどそこにもしも、ほんの少しの愛しさを見つけられるなら。そのときは、そっと抱きしめて歩いてみたいというのが、最近見つけた気持ちです。

noteの下書きばかり増えていく秋を過ごしていましたが、今日やっとひとつの日記を書き終えることができてほっとしています。きれいな秋を追いかけたくてやや生き急ぐように過ごしているので、どこかで自分のペースを整えたいと思っています。新しい気持ちを見つけられた11月の始まり、このまま良い冬に向かっていけたらいいな。





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