見出し画像

人を傷つける文章を書きたい


文章を書きたいという欲望
そしてどうせなら、良い文章を書けるようになりたいという欲張り
でも良い文章ってなんだろう
私が書きたいことってなんだろう
そんなことを考えていたら、
最初に書こう思ってから、ずいぶん月日が経ってしまった
その間、どんなことを書きたいのか悩んでいたことは
本屋で漠然と本を探す時の感覚に似ていた
何かが頭の片隅に引っかかっているけど、それが何なのかわからない感覚
そして時間は過ぎていく
そういう時は、とりあえず何か買ってみないことには始まらない

良い文章ってなんだろう
おそらく人の心を打つ文章だ
問題はどのように心を打つかだ
共感を呼ぶ文章はたくさんの人に読まれるようだ
共感は人の心を打つからだ
でも、私はたくさんの共感を集めるための文章を書きたいと思わない
もちろん共感は人にとって大切だと思う
共感があるからこそ、
人は親しみを覚える
他人のことを自分ごとにできる
でも同時に、共感は危険だとも思う
共感は人を結びつけると同時に分断する
人が判断基準を共感に頼り過ぎてしまうと、
共感できないものを切り捨てていく
それも無自覚に
共感だけではなく、理解しようとすることが大切なのではないか
そんな文章が書きたい気がする

だからといって、
押し付けがましい、説教くさい文章を書きたいわけでもない
なぜなら、私は他人に説教できるような人間ではないから
なぜならそんな文章はつまらないから
それでもやるべきことを考えることは大切だと思う
読んでもらうためには、「〜するべき」という言葉はタブーだが、
この世界には必要なはずだ
共感できない人がいると気づくこと
そしてその人の立場に立とうと努力すること
今日の社会は、
先の見えない不安や、
やりたくもないことを毎日やらされている反動なのか、
「自由であること」や
「自分のやりたいことをやればいい」
という言葉が、
「自分の好き勝手に生きればいい」
「とにかく楽しければいい」
というような意味にすり替わっているような気がする
世の中のこと、
住んでいる町のこと、
会社のこと、
自分や家族の将来についてさえ、
誰もが言えるようなことしか答えられなかったりする
みんな目の前の自分のことで手一杯なんだ
それはわかる気がする
でも、だからそのままでいいというわけではないはずだ

読む人を肯定し、安心させる文章
それもいい文章だと思う
素敵だとも思う
今のすさんだ世の中を生きていくためには、そういう文章が必要だ
そんな文章に救われる人がたくさんいる
でもやっぱり、
「そうだよね」
「わかる」
といって安心しているだけでは何も変わっていかない
だから私は、あくまで「何をするべきなのか」を考えたい
都合の良いことだけに目を向けるのではなく、
嫌なことや耳の痛いことにも向き合いたい
私は、少なくとも自分が抱えている問題を解決できる自分でありたい

読んでもらえるように工夫することは大切だ
読んでもらえる前提でいることは間違っている
でも、どうせ読んでもらえないのなら
自分が本当に書きたいことを書いた方がいい
その結果、読んでもらえたらオッケー
読んでもらえなくてもまあしょうがない
そんな気持ちで書いてみる、、、ことにする
私はどこにでもいるような凡人だ
あまり上手く書けるとは思えない
けどせっかく書くなら、目指すべき目標が欲しい
私は人を癒すことができる文章を書けるようになりたい
しかしそれ以上に、
それを読んだ人が何かを考えさせられるような、
それを読んだ人が黙り込んでしまうような、
そんな、読んだ人を傷つけるような文章を私は書きたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?