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お堀を走る 泣いた後の目元が乾いて元に戻ろうとしている最中のような、朝陽に照らされた青白く、湿った階段だった。 上から誰かが降りてくる気配がする。それがひゅーいの足音だと私には分かる。軽く、最小の力で心地よい音が鳴るギターのような音だと思っていると、それは本当にひゅーいだった。私は思わず足を止め、その振動でこの恥ずかしい気持ちを伝えられたらと思う。そんなに甘くはないことを知っているが、上手く言えない。 「ひゅーいさん」 彼を足音だけで聞き分けられた安堵をひゅーいの目
横断歩道 朝陽に救われる寝室。カーテンを開けると窓ガラス越しにバイクや自動車の走行音が聞こえる。階段の踊り場を通る度にどこかでパンが焼けた匂いと、はしゃぐ子供の声が聞こえる。シャボン玉がはじける瞬間の音を引き伸ばしたような明るい街のノイズ。 おいしいコーンフレーク。私が注いだ牛乳とコーンフレークのバランスをきっと今、ひゅーいがダイニングテーブルに座って味わっている。私がいない間くらい、美味しいの一言でも呟きながら食べてね。私がゴミ捨てから戻ってベランダで洗濯物を干し終
君子の心 「私が大切にしているものは、一つしかないのかって……思うのだが」 心の中で言ったつもりが声に出ていた。私の話し方に慣れているゆきは微笑みながら拾ってくれる。 「思うのだが、ってなんでそこだけおじさんみたいな言い方なの?」 「ずっと考えていて……例えば、私はそのグラスの底に残ったミントみたいな状態で、氷に埋もれて動けないの。誰かがストローでほじってくれるまで……」と言いながら、私は目の前のゆきのかわいさに感動している。この時間が大事なんだ。私がまとまらない事を言っ
私は田園都市線の駒沢大学駅の近くで一人暮らしをしている。 家は狭いけど近所に駒沢公園があり、住宅街は静かで落ち着いている。 渋谷や目黒にすぐに行けて、最悪歩いて帰って来れる。 付き合って1年半くらい経つ彼は中野に住んでいて、全然別な仕事をしているがその気になれば平日でも会いに行ける。 ふざけてダイチャリで環七をひたすら走って彼の家まで行ったこともある。 途中、下北沢で餃子を買ってそれを自転車のかごに入れて、彼の家に着いたら彼が冷やしてくれたビールを飲む。 そういうコンビネー
この街に降り注ぐものを、私はすぐに感じ取ることはできない。 見上げると雲と灰色の建物。不安になるくらい明るいモニターの広告。人が多すぎて自分と同じ人だと思えない。 「今日ここに来た全員の一日を足すと、あっという間に私の寿命を超える……」 交差点のスタバの二階に座っている人が交差点を歩く人を見下す時は、こんなことを考えているのかなと、私はハチ公口からスタバを見て想像する。 なんとなく暗い。なぜか寂しい。なぜか忙しい。さっき誰かが踏んだ生温かい通路。誰かと同じような人
目黒川沿いを歩きながら、もう会わなくなった人たちを思い出す。 ここは私にとっての渋谷。 用事がないのに目黒駅を降りてしまう。 平日は人が少なく、時間もゆったり流れている。 ゴルフの打ちっぱなしをする音が聞こえ、深呼吸すると生臭い川の匂いが入ってくる。 中目黒に向かって歩いているとアトラスタワーの方から来た飼い主にそっくりの犬とすれ違う。 「なんでここにあなたが?」と飼い主の気持ちを代弁するように犬がこちらを見つめている気がする。 確かに私はここに住んでいない。 スティングの
二週間くらい一人暮らしになっている。 いや、猫がいるから、あと野良猫も庭に来るから一人ではない。 私は24歳。 大きな布団を持て余しながら、遮光カーテンが8時に開き、庭から黄色い光が差し込む。 芝生がレース越しに茂っているのが見える。 何も思わずカーテンを閉め、もう一度寝て昼過ぎに起きる。 静まり返ったキッチンとリビング。 ここにも差し込む黄色い光。 冷蔵庫にはびっしり食材が入っている。 日光は心地いいが食欲はない。 北側の玄関から門までは長い長いアプローチがあり、沿う
ある日、男は計画的に仕事を辞めた。 奥多摩の山で自給自足すると決めたからだ。 上司には何年も前から話しており、引き止められることもなかった。 もう、丸の内線に乗って銀座の横にある新富のオフィスに通うこともない。 東京駅は八重洲側にしか降りた事がないのが自慢。 男は新富で20年以上オフィス家具のリースの営業をやっていた。 愛用していた白のADバンとトゥミのブリーフケース。 家で金魚を飼い、金魚の水彩画を描いていたが、結局は自画像を描いているような感覚しか生まれずうんざりてい
ある平日の昼下がり、私の子は歩道から車道の白線の内側へ飛び出した。髪は揺れ、ブルーのスニーカーが遠ざかった。素直な背中は止まることを知らない。 すぐに後ろから抱きかかえようと思ったが、車は来ていなかった。私はこの時なぜか俯瞰していて、安全なら好きなようなさせようと思った。今あの子が駆けている、いつもの歩道よりも一段低い車道。 振り返らずどんどん小さくなっていく背中を見ていると、柔らかいあの子の間接か、私の心の中か、その両方か「かくん」と音がした。確かにその音はした。
まだ爆撃の音が響いている街で、腕から血が出ていた少女に僕は話しかけていた。 「ほかに行くところは?」 少女は首を横に振った。 「ほら」と隣にいた坂倉は自分の思った通りだと言いたげな目をして言った。 「それなら、俺たちのシェルターにいればいい。地下にあるから、殆ど無事でさ、市のシェルターより広くてテレビも食料もある。ドアを閉めてもネットが繋がるんだ、外国の放送だって見れる」 「でも……まだお母さんの電話の電池が残ってるかもしれないから……」 瓦礫の粉塵を浴びた長い髪が場所によ
――忘れはしない。あれから10年。まだ元気に働いているのかな。 街中で同い年くらいの子が社会に揉まれているのを見るとつい見入ってしまう。青と白の縞模様の運送会社の子。今日もキツツキみたいにノックしている。かわいそうだと思う私。馬鹿にしている訳ではない。私も同じなのだ、そう今から10年前、言った本人はもう忘れているだろう。蒸し返す私もセンスがないと思う。でも、深い心の傷になっている。グループ面接の担当者の私に何も期待していない目。まだ話しているのに「はい」を被せる。間接的な
11月の木曜日の休日 新宿のイソップはどれもこれも違って、中央線で東京駅まで行った。ハンドクリームを買っただけの休日に思ったこと―― 朝7時半に起きて、9時45分くらいに家を出た。この秋の空よりも私の心の方が広いと思う。ただ広いだけで優しさはなく、空きテナントのようなスペースが果てしなく続いている。それに対する感想は今日もない。この空白感を希望だと感じ始めている自分に気づく時、私は誰よりも軽快に歩いていると思う。KITTEの通路を歩く時、足音は一人分。誰と出会って誰と
最近、彼のことを考えると、壁を這う蜘蛛を見つめているような気分になる。 バイアスが心の中で崩壊して、これから結婚するのだろうが、未来を事前に掃除して、私だけ精神的な更地に住んでいる。 壊れてしまった互いの温度計。私には灰色に見える秋の空。胸の奥にまで冷たい風が染みこんでくる。長過ぎる夜。鈍いオレンジの夕日。単純な赤ん坊の泣き声。 私が失ったものは他人を尊重する心と自分を愛する希望。生き続けることを無意味だとは思わないが、もう尊敬が剥離したのだろう。 孤独を夢見ている意識が
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