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【日記】露天風呂…

二年ぶりくらいに銭湯に行った。
人前で全裸になるのが嫌という…小学生がとりあえずピーマン嫌いって言っておきたい。みたいな変な意地みたいなのが32歳の現在でも継続していたせいで行っていなかった。

久々に行ってみて思ったのは、恥部を見られようとどうということはない。である。渋谷の交差点ですれ違う不特定多数の人々と同じである。見られたところで会話もしない。もし何らかの感想を抱かれたところで「どうせすぐに忘れられる」ので別に見られても何も失わない。というのが2024.3.8の最新の見解である。
今までは「知らんおっさんに見られたくない」の一点張りだったが、相手からしてみれば「誰もあんたにそこまで興味ないよ」であることはほぼ間違いない。やっと少し大人になれた気がする。

とはいえ、とはいえ、できれば見られたくないので、行ったは行ったが最も人が少ないであろう金曜の真昼間に行った。しかし、これが逆効果で、お年寄りばかりの時間帯になんか若い奴が来た、みたいな視線を感じた。自意識過剰か。

強力な蛇口から本当に湯水のごとく湧き出る湯船に浸る。という行為は好きだし、露天風呂みたいなスペースに置いてあった、さっきまでどんなおっさんが寝そべっていたのか不明な生暖かく濡れたデッキチェアにも抵抗なく寝そべった。
合法的に全裸で屋外に出られるという意味で露天風呂は貴重なポジションにいるのかもしれないが、全裸になったところで布を纏っているかいないかの違いしかなく、全裸の屋外ならではの精神性な解放感は特に感じなかった。

露天風呂は年賀状みたいなもので、年賀状を送った。外で風呂に入った。という事実に重きを置いている気がする。事実の内側でどういった精神的なやりとりが行われたのかをあまり重視していないコンテンツ。

もちろん年賀状にも色々あり、宛名も裏側も手書きの全て場合もあれば、両面完全印刷の場合もある。後者の場合だと思いもへったくれもなく、完全に事実のみである。露天風呂も後者寄りだと私は思う。別に、「なんで外?」と思う。中で浸かった方が温まりますけど。
パンケーキの上に乗っかってるアイスクリームみたいなもんで、アイスクリームがパンケーキの味を底上げすることはない。でも、乗っかってる方がなんか映えるから乗っているだけに思える。露天風呂もそう。なんか外の方が旅情あるくね?みたいな。
不要とは思わないが、私のようなひねくれた人間からしたら露天風呂は格好の的である。


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