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この世界に生まれてきてくれて有り難う、私と出逢ってくれて有り難う20年一緒に生きてくれて本当に有り難う貴方でよかった、貴方でないと駄目だった…   

11月の7日の明け方四時20分、私のベッドで我が愛猫が逝きました。
最後、喉が渇いているのが解った為シリンジでお水を3回に分けてゆっくり飲ませると上手に飲んでくれました。
二十年前、同じキジトラ3兄弟揃って段ボールへ入れられたまま、ガムテで固く封じられ、ゴミの集積所へうちの坊やは遺棄されていたのです。ゴミ収集車へすんでのところでおじさんに投げ込まれそうなところ中から聴こえてくる弱々しいミャアミャアに気づき段ボール箱をこじ開けると中から三つ子のキジトラの男の子ばかりがパッチリと円らな瞳を向けて私を見てくれていました。
収集車のゴーンゴーンという騒音にまぎれて聴こえてきたあの声がなければ私も誰もきっと気づかなかったことでしょう、
あんな棄てかたをしながら仔猫達を棄てた人には心のどこかで誰かに拾われて欲しい、可愛い仔猫なんですという複雑な人間特有の錯綜する気持ちがあったのかもしれません
固く封じられていた箱の中の仔猫達はそれぞれに可愛らしいチロリアンテープのようなリボンが首に巻かれており、
一番小さくて首も細長く華奢な男の子はブルーに白の水玉模様、
一番大柄の仔猫は赤と白のチェック柄、そしてのちに私の子になってくれた愛猫くんは中間くらいでミルクティーのようなベージュの地色にマーガレットの花の刺繍が並んだ可愛らしいリボンが首に結ばれていました。
三頭飼うことはとても無理と思いながらも私は初代の茶トラくんを亡くした後であった為、悲しみの淵に病んで沈んでいってしまいそうな心を拾った仔猫達を懸命に育てることで救われたのです、
やがて一番小さな男の子が貰われてゆき、一番大きなうちの坊やと顔がそっくりさんだった仔猫が次いでもらわれ…
もともと愛猫くんは『この子だけは私の手元に残そう』と決めていたのでそのままうちの子となりました。
よく“猫がいるなんて毎日癒やされるでしょう?”と言う人がいます。癒やされることも無論ありましたがそんな端から気軽に言われるほどには猫の一生を看取るというのは生易しいものではありませんでした。最後の数年間はほとんど介護に等しく今年はまさに介護そのものでした。
でも与えられた命を゙懸命に“生きる”という一心な姿を彼は自分の一生を通して私に見せてくれました。
そして人間なら能弁過ぎてきっと逆効果となってしまうであろう大切な気づきや゙訓(おし)えを私の胸に確かに残していってくれたのです。

仔猫時代、猫用粉ミルクを作ってその温度を確かめる私にしびれを切らしてピャアピャアと赤ちゃん特有の甲高い声で鳴きながら私のジーンズの脚をガジガジ爪を立てて肩までよじ登ってきたあの可愛い可愛い仔猫、
普段やんちゃくれの癖に少しでも雷が低い音でゴロゴロと鳴り響くともうおったまげてソファーやベッドの下へ逃げ込んで隠れる怖がりさん、
3兄弟見つけて保護したての頃、うちの坊やはあとの兄弟達におっぱいに吸いつかれて芯から困惑したような顔を見せていました。
同じ色柄で同い年の兄弟であることは間違い無いとはいえうちの坊やはそれを拒むこともなく他の兄弟達にそのなんにも出ないおっぱいを与えていたのです。 
恐らくは仔猫達は親猫から突如引き離され、今まで吸っていたお母さんのおっぱいが急に無くなり仔猫達なりに不安だったのでしょう、お乳は出なくても吸いつきたいのはきっと誰かのおっぱい、
優しい坊やは自分も吸いたい、
そのさみしさをこらえてまで敢えて兄弟からただ吸いつかれる側に回っていたのでした。
他の兄弟達が猫用粉ミルクを卒業し、次いで離乳食もようやく卒業し、
やっといっぱしのカリカリ(ベビーフード)を食べられるようになった頃里子としてそれぞれの家庭へ貰われていったその後で坊やはやっと安心したのか、その後今度は私の右手の薬指の付け根近くをチュパチュパ音をたてて吸うようになりました。
今まで赤ちゃんなのにしなくていい我慢を兄弟の為にしてきたからでもあったのでしょう、
坊やは我を忘れて無心に私の指を吸い、吸ったあとよく舌をしまい忘れてピンクの可愛い花びらのような舌を出したまんまで寝ていることがよくありました。
お好み焼きを作ろうと豚肉を切っているとまだほんの仔猫なのにシンクの上へ物凄い跳躍力で音も無く飛び乗るなり私の手元からあっという間もなく豚肉を奪い取り、
一目散に廊下やリビングを逃げ回ったことも懐かしい、
豚肉を生で食べては大変と追いかけ回し、とっ捕まえると無事奪取したもののくわえていたスライス肉をしっかりくわえ込み、離すまいと必死なその愛くるしい顔で食いしばった小さな顎をつい昨日の事のように思い出します。

愛猫は大人になってからも表情豊かで実に悧発で魅力的な猫でした。
ここ数年間介護漬けの暮らしでしたが思い出とともにかけがえのない時間の中で遺していってくれた気づきの数々は人からよりも遥かに私の中に残され、同時に蘇るものではありますが
正直それは懐かしいと同時に苦しいことでもあります。
ですがやっぱり大切な気づきでもあるのです。
坊やは子供であり、親友であり、
時に恋人でもありました.
かけがえのない家族でした。
愚かな私にはもったいない清く聡明な心優しい、そして愛くるしく美しい猫でした。

いつか彼との思い出を(過去の猫達すべて)仔猫時代だけでなく大人になってからもとてもチャーミングな猫でしたので、彼の魅惑をゆっくりエッセイのような形で楽しく嬉しく綴れる時が来るといいな、
今はまだその余裕がとてもじゃないけどありません 
もしかしたらずっと出ないかもしれません、

発達障害の二次障害の鬱が悪化し今は大変苦しいさなかにありますが淡い桜いろの覆いに包まれた骨壺と共に少しずつ少しずつ日常を取り戻してゆかないとと思う今日このごろです。 
連載中ですがほぼ書き終えて既にある80章の推敲が全く進まなくなってしまい、いっそのこと推敲なんてしないでこのまんま出してしまおうか?と投槍なことすら思う今の私にはちょっぴりだけど他の考えもあります。

エミリーキャットを書くことは私にはライフワークに近いことなので頓挫は出来ません
それは幼少時代からずっと継父母に虐待を受けて育った自分のトラウマに対する気持ちがあるからです。どんなにそれを乗りこえようあるいは忘れようと足掻けば足掻くほど、努めれば努めるほど、
苦しみがフラッシュバックして苦しむ悪循環に人知れず悩み、私はいつしか書くことでその痛みを克服しようと思い立ったのです。

書いたところでその癒えない悲しみは克服どころかどうにもならない底無し沼のようなものではあるやもしれません、
それはやってみないとわからないことですが私はエミリーキャットを書くことは自分で自分の傷を縫い閉じる作業だとずっと思っています。
自分のトラウマは誰も癒やしてなどくれません、
生きている限り血を流し続け精神的体力を奪い続けるものでもあります。でももうそれを止めたい、
私は本気でそう思うようになりました。
激しい虐待を受けた人というものは恐らくは一生その記憶にことあるごとに苦しみます。
ですが苦しくても続いてゆくのが人生です。 
一生このフラッシュバックに苛まれ続けるのか?と思う中私には書くということがあってよかった、
そう思っています。
書くということは神様が私に与えてくれた唯一の私の中の賜物だと思っています。
無論私の連載は多分人から思われているような決して私小説ではありません、 
なので過去人から聴いた体験や経験をパッチワークのように紡ぎながら、そこへ自分の経験や゙体感、考えも添えて創っています。
そして想像力も多分にあります。また数年アメリカに住んでいた経験もイギリスの今は亡き大切な師からの様々なお話もスパイスや゙エッセンスにはなっているかもしれません、

なので純粋に私小説とかでは全くありません、乳癌になったこともなければ森の中の洋館に住んだことも当然ながら無いからです、
それでも私にとってエミリーキャットはまるで不完全な自分の肉体の一部のように大切な世界です。
その世界を紡ぎ終わり、私のカンヴァスへエミリーキャットを描き終わった頃私は継父母もなのですが虐待下にあってきた自分をやっと赦せるようになるのではないかと自分に期待しているのです。
虐待下育った人の中には何故自分はあんな目に遭ったのだろうと苦しむ一方そうなるには自分に一番の問題があったからなのだと自分を゙責めてしまう人が一定数居ます。 
私もそうです、
これはもう本人にはどうにも出来ないことで苦しみの砦に独り森奥で棲むようなものです。
ですがいつかそこから出ないといけない時も来ます。
人によっては無理矢理出なくてもいいのかもしれない、
でも私は出たい、 
そのことを改めて気づかせてくれたのはやはり猫からの気づきであり、関係であったのだと私は思います。愛猫がいなかったら私は恐らく一生継父母を憎んだまま、
ただ恨んだまま、それだけに終わってしまい、そのこと事態にすらきっと微塵も気づくことはなかったと思います。

ですが今は受け取ったバトンの重さに気づくと共に絶対に完走したい長距離選手の気持ちでいます、
ですが今の私は少しお休みが必要です。
お休みといっても全然なんにも書かないお休みではなくてエミリーをお休みする間、他のものも書く(短編やエッセイなどなど)つまり心のリハビリのような休み方をしたいなと思っています。 
小さなものを書きながら休む、
でも全く書かないわけではない、
それが今の私にはちょうどいいかな、少し休んでエンジンがあったまってきたらエミリーキャットを゙再開させたいです、


過去の愛猫達も入るペットの共同墓地へいずれは坊やも入れるつもりですが重い鬱の今の私にはキツいほど忙しい師走、
なかなか思うように今はまだ休めません 
納骨は来年となりそうです。

沈香といういい香りのお線香を゙あげながらお骨に話しかける朝と就寝前よく猫に囁やきかけていることはただひとつ、
また逢おうね天国でまた暮らしたい、愛しているよ今もこれからもずっと、
生まれてきてくれてありがとう、私の子になってくれてありがとう、共に生きてくれた二十年間を忘れない、
ごめんなさいとありがとうと今はまだ涙しか出てこないけれど、
いつの日かまた逢えるその日を信じて愚かな人間は愚かな人生を゙生き長らえるしか有りません

どうかいつの日か、いつの日か、
虹降るその麓の郷で私たち逢いましょう、
ありがとう大好きな私の可愛い坊や!今は貴方のために祈りを゙捧げるしか出来ません
来年の4日、事情により手術をするので“書くリハビリ”はもう少し遅れそうです。作品を通してまた皆様とお逢い出来る時を楽しみにしています。

皆さぁんご機嫌よう〜!
よいクリスマスとよいお年を、
そう遠からずマタネ(=^・^=)


翼猫



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