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noteのクルーの皆様へ聴いて欲しい本音

エミリーキャットの下書き、まだアップしていない71章、下書きの状態で5回消されました。
ほんの僅かな時間、目を離した隙にざっくり力作部分をくり抜いたように…
今までもエミリーキャットを始めた2018年から何度となく消され、それでも性懲りもなくまた最初から書き上げた大切な下書きがあとはアップするだけとなっていたのをすっかり再度白紙にされてたなんてこともありました。
こういうことは昔からあったことではありましたが昔は機械に疎い私はなんらかの操作ミスで自分が大切な自作を消してしまったのではないか?と思っていました。
今年に入り、2018年当時に昨年末までちゃんと載っていたエミリーキャットの○章が後半壊されたような形にされたまま半壊状態で載っているのを発見しました。
長年アップされていたものを消されるなんてどういうことなんだろう?と思うと同時にその消された箇所は川沿いを歩く自然の描写でしかなかったので不適切と、捉えられ消されたとも考えにくい、
消されるにしても今さら何故?というかんじです。
実はnoteでは下書きやあるいは長年アップされていた作品が急に消滅あるいは部分的に破壊されるということはちょくちょくありCAKESのプロの作家さん達の間でも弁護士騒動になるほど問題視されているようです。
そしてズブの素人である私もまた執拗なまでに次々と消され、壊され続けています、
私の知り合いも消されて落ち込んでいたという話を男女取り混ぜて次々読んだり耳にしたりしています。
よっぽど間抜けだったのだと自分のことをしみじみ思いますが私はnoteが消したのではない、ドンくさい自分のせいだろうとずっと信じていました。
お間抜けですね
幾度となく消されてきた下書きや既にアップされて何年にもなる作品、消されたなんて生ぬるいものではなくこれはまさしく破壊以外の何ものでもありません、
5回壊され私は心理的に重い不安障害、PTSDを今回のことで併発してしまいました。
この一連のnoteでのことを知ってくれている読者でもある親愛なるカウンセラーの先生も心配してくれていますが、思うに
長文の作品や小説を載せている方々は私以外にもたくさんいらっしゃいます。
「もう少し短くして載せたら?」という方々の意見もありますが長編を書きたい作者も当然ながらいます。
というか居ていいのです。
その作者達が無事に作品を載せることも出来ない文学系サイト(必ずしも文学とは限りませんが)なんて片手落ちだとしかいいようがないと思っています。
長い文や小説を書く権利だって短文エッセイを書く人同様の権利があるからです。

エミリーキャット71章、
下書きをしている、その最中でもほんの僅かな時間、用事でちょっと目を離した隙に大きな穴を空けられたようにざっくりとえぐり取られるように壊されたことも(まさに秒殺)ごく最近ありました。
バックアップして保存し、
壊された場合それを保険として載せるということをしてもまたもや執拗に破壊、
これを繰り返していて本当にさすがの図太い私も心が複雑骨折を起こしてしまいました。ましてや最初の3回目くらいの時はバックアップをしていなかったのでまるきり喪失してしまい、嘔吐が止まらず一晩中トイレから出られないほど苦しみ悩み果てました。
noteは多様性を大切にしたいと声高に仰られるそのテーマは短文に限らず長い小説も安心して恐れず書ける、怯えず載せることの出来るということもまた含まれていると思います。
人によっては簡単なもの、複雑なもの、長いもの、短いもの、エッセイ、写真、漫画、書評、ブログのようなものと様々です。
『うちはこういうものだけに限ります(短文長文に限らず)』という限局的なサイトであればそういうところもあると思うのでそれはそれでいいと思います。

でもnoteはそういうとこではないと私は思っていたのですが違うのでしょうか?

もの言わせない一方的な破壊ではなく話し合いをさせてください。

大袈裟でもなんでもなく私は我が魂を1編1編に削ってこめるほどの情熱を傾けて書いています。
こんな過集中と熱量でしか書くことの出来ない人間は普通の方達から見て異様かもしれない、
ゆるくバランスよく心地好く生きようというのが今の時代たとえば啓発本などで現代人への心身を蝕まないですむバランスのとれた上手な生き方であると頻りに書かれているようですが私のようなたとえばASDの人間にとってはそっちのほうがむしろ自分らしさを圧し殺しかえって苦しく、より難しいがゆえに不必要な苦労を伴う生き方となってしまうことがあります。
啓発本というのは大抵において作者はあくまでも無自覚とはいえ定型の人々相手に書かれたものでしかなく様々な意味での異種な人達、マイノリティな人達からすれば迷惑なおしつけであり私達には必ずしも有益ではないのだけどなぁとボヤきたくなってしまうことも多くあります。
足の不自由な障がい者の方に「なるべく毎日よく”自分の足”で歩きましょうウォーキングはとても大切です」と言う人はなかなかいないでしょう、

比喩が多くて申し訳ありません、
noteの長文か短文かの選べるか否かについてに話は戻りますがそれでも人様の迷惑にかからない方式であればそれを選ぶ自由は障がい者であるなしに関わらず誰しもあるのではないでしょうか?
noteの皆さんそして加藤様、
何か問題があるのであれば有無を言わさず作品をぶっ壊す前にクリエイターに直接意見してみて下さい。
ちなみに先月から他サイトへ入りましたがそこでもまた違う小説は書きたいと熱望しているものの『エミリーキャット』と『恐怖についての考察』に限っては(特にエミリーキャットは)ここで始めたものなのでここで最後まで書きたい。
noteで始めた作品はnoteで終わらせたい、
ここでこのまま完遂したいのです。
恐怖についての考察の下書きもそれ以外のエッセイの下書きも詩の下書きもことごとく破壊され消し尽くされ、(アップされた作品含め)とても言葉で言い表せないほど深く傷ついています。
私にとって大切なサンクチュアリであったはずのnoteが今や決して安心出来ない信頼度の低いサイトと化してしまったものの、多くのクリエイター達同様同じような?サイトの選択肢は今はまださほど世の中に置いて豊かではありません、
(だんだんに増えてはくると思いますがもっと選べる時代が来てくれたらいいな)
いずれ他サイトへ純然たるシフトをするとは思いますが、エミリーキャット、恐怖についての考察あたりはどうかnoteで完結させて下さい

もしnoteさんにとってご迷惑なことがあるようであれば私に直接具体的にお教えいただけますか?
5回も壊されたエミリーキャットの71章は6回目になんとか書き直したものの(むろん危ないのでバックアップをとりました)自分では苦痛と我慢の限界を越えてしまいどうにも納得のいくものはとうとう5回目には書くことは出来ませんでした…。
願わくばもうこのように心血を注いで書くものを消滅、破壊の恐れのないnoteであって欲しいというのが私の個人的な本音です。
あるクリエイターさんから「noteは使ってはいるけど信頼はできない」と聴きました。私も今は同じ気持ちです。そしてそのことをとても悲しく思っています。
100%は無理かもしれないけど少なくとも下書きの内容が急に消えて無くなったり半壊されたりといった不安や心配、既にアップされて何年にもなる作品が消されたり壊されたりする心配をクリエイターがしなくて済むようにしてはいただけないでしょうか?
いっとき正直いって私はnoteを恨んでもいたし憎んでもいました。
大切な作品を何度も何度も消されたり、とうに数年前からアップされているものを破壊されたりなんてことが頻繁にあったら懸命に創作している人間からしたら至極当然の気持ちだと感じます。
ですがnoteという場があってくれたからこそ私はここで表現が出来てきていたのだし、今までもたくさんの作品がここであくまで私の中だけでしかないかもしれませんが掲載されるという現実によって昇華されてきたことも事実なのです。
だから私はnoteを芯から嫌いになれないし恩義も感じています。
私はnoteで始めたことはnoteで終わらせたい、
完遂したいのです。
発達障害の人間は異様にこだわりが強くて申し訳ございません、
でも並み並みならぬ熱量での創作を気持ち悪いと思ったとしてもどうぞ最後まで見守ってはいただけませんか?
何か問題があるのであればどうぞ遠慮なく仰って下さい

私はただひたすらに書きたいだけでしかないのです。


noteのクルーの皆様へ


翼猫








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