見出し画像

eスポーツが現状どう頑張ってもスポーツとして認められないワケと、その改善方法の話

eスポーツの一般認知が進んでいますよね。

You Tubeやツイッチほか、ゲーム配信可能なネットメディアの発達と、各ゲーム&ゲーム会社&プロスポーツゲーム集団協賛の、様々な大会の開催によって、ここ1〜2年で、日本でもeスポーツというのは急激に広がっています。

そして世界的には、国際オリンピック協会もeスポーツを検討する話もあるくらい、世界的に盛り上がっています。

その一番のポイントは「興行すれば金になるから」ですよね。

これはもう経済原理として当然なもので、仔細はどうであれ、おかしいものではありません。

ただ一方で気になるのが、そもそもの話として  eスポーツをスポーツとして受け入れることができるのか問題、というのがあるかと思いますので、そのあたりのお話で感じたことをいくつか。。


eスポーツはスポーツとして受け入れられるのか?

いやまあ爽快感、達成感、ゲーム性でいえば、eスポーツは間違いなくスポーツ要素があるものです。

ですが1点、eスポーツをスポーツとして認めることについて、強烈に違和感を抱かせる要素があるのも事実です。

それは、圧倒的なまでに「不健康」であること。

eスポーツのトッププレイヤーは、1日何十時間も椅子に座って、ときに寝食を追いやってゲームに没頭します。筋肉や視力は衰え、肥満や成人病が進み、視聴覚からの電子刺激によって脳は疲弊します。それは他のスポーツのように、鍛えられ、人間の体躯をさらなる高みへと導くような、健康的なものではなく、極めて不健康なものです。

ええ、もちろんある種のスポーツが、その特殊性によって身体の特定の部分を壊すものであるのは、フィジカルスポーツも同じですが、程々にやることで健康に寄与するという点において、eスポーツは大いにマイナス要素を抱えたレクリエーションなのです。

ですから、真面目に考えると「スポーツ・・・ではないんじゃない?」と、感じてしまうんですよね。

いかに儲かるからといって、それをそのままオリンピックに組み込むというのは、流石に金に目がくらみすぎじゃありませんか、なんて思ってしまいます。

今の状態から変える方法

じゃあどうすればいいのよ? って話なんですけども、まあまあここまでeスポーツが不健康すぎてスポーツとしてちょっと認知し辛いんじゃない、というのであれば、個人的にはその解決方法も明快だと思うんですよね。

ここはひとつ話を大きく広げて考えてみましょう。

そもそものオリンピックの発祥でいうと、あれは戦争の代理行為だったものですよね。殺し合いが不健全なので、運動で勝負しましょう、というものだった。

多くのスポーツが、狩りとか、戦争とか、殺し合いとか、そういったものをゲーム化したものです。そこにあるのは「後付けの美化」です。

そもそものスポーツが一般認知化する過程でやっているのは、本能や情動、加害衝動ととかの美化行為なんです。

殺し合いはしんどいものなので、その手前のスポーツという代理行為を生み出した。そしてそれをつかって競い合うことで「心身を鍛え、社会的にも個人的にも健やかなる人生の一助となりますよ」という思想をくっつけた。

そういうプロセスでもって、スポーツは健全化されているのです。
そこでは思想の転換が行われているんですね。

あるいは、空手やボクシング、フィジカル系格闘スポーツとかもそうなんですけど、殺し合い、殴り合いに秀でたある武道の求道者が、自分の一派でもって商売をしようと考えたときに、そこに思想をくっつけて、社会的美化や正当化を行っていますよね。

さんざん敵意むき出し向上心バチバチで殺し合ってきた武術家が、ある日突然、「武道を嗜むならば礼節をもち、心を落ち着かせ、メンタル清らかであることが大事である」とか云い出しちゃうわけです。

正当化のために節制と思想転換が行われるんです。

これをeスポーツなりにやればいいのです。

どんな思想転換を仕掛けるべきか?

やることは結構シンプルなんですよ。

一つはeスポーツをやることで身につく、社会的、人間的メリットをちゃんと定義し周知すること。

eスポーツはフィジカル的には不健康ですが、そのゲーム性、戦略性、チームのためのコミュニケーション等については、他のスポーツと遜色ないもので、良く知性が洗練され、心が健康でなければ、勝ち切ることは難しい。

それをきっちりとやりきることは社会生活にポジティブな影響をあたえるものとなります、と。

「eスポーツでやる際に必要になってくるいくつかの要素は、他のスポーツとなんら変わらないものである」という部分は、啓蒙できるものなんですよね。これをしっかりとやっていきましょう、という話です。

もう一つは、その不健康イメージの改善

これは2軸やりかたがあると思っていて、一つはトッププレイヤーが、健康な存在であることを義務付けそれをアピールするように仕向けること。第一線でやっているプレイヤーはこれだけ健全健康なんですよ、と。それをPRできるような、プロデュースをすること。またそうでなければプロにしないこと。いかにゲームがうまくても。

もう一つは、eスポーツにフィジカル要素を持ち込んでしまうこと。つまり心身頑強でなければ、勝てないスポーツにすること。

eスポーツって物によっては、本番スクリムふくめ長時間の試合もあると思うんですけど、これって突き詰めると、長丁場の試合になればなるほど集中力を保つために、走り込みとか筋トレしてる奴のほうが強いはずなんですよね。

ならば、そのゲームのプロスポーツとしてのレベルを、ゲームプレイがあたりまえにできることに加えて、プラスアルファの領域が勝敗を上げるレベルにまで引き上げてしまえばいい。

適切に走り込みと筋トレしてる奴が上位独占するようになり、さらにそれが周知されれば、eスポーツの不健全性は少なからず払拭されるんじゃないかな、と。

あるいは、単純にフィジカル要素が求められるeスポーツをオフィシャル競技として選び検討するのもありだともおもいます。

以上大きく2つが、eスポーツが世の中にやらなければいけない思想転換、一般人にしかけなければいけない思想転換だと思うのですよね。

誰が思想転換を社会にしかけるのか?

最後に、だれがそれをやるのかって話ですが、これはCRAZYRACCOONのおじじさんとか、渋谷ハルさんとか、名のある活動者や経営者がやればいいんじゃないかな(雑

こういうのは、そういう業界の一線を走っている連中が、ものごとを整備しつつ、有識者として、国の振興委員会みたいなものに参加しなきゃならんのです。あるいは、選挙で議員を国会に送り込んでやるんですよ。まあまあ既存議員でもゲーム好きがそうしてもいい。広告塔に梅原大吾をたてたっていい。

そういう、社会活動をしっかりとして、はじめてゲームはeスポーツとしていちジャンル、いち市場を気づき、人類の社会的営みのなかに公的に正当に組み込まれるって話です。

IT産業とかもそうですし、他の数多のプロスポーツ産業もそうですけど、一般認知をすすめるためには、だれかがそれをやってきた歴史がある。
遠からずたぶん、言われなくても誰かがやると思いますけど。

というかおじじさん渋ハルさんあたり、似合うよな〜、官公庁めぐりとか議員とか。


おじじ渋ハル描こうと思って気が進まず結局描いた花芽すみれ絵:かのえの

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?