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【エッセイ】我が家の特定外来生物

 うちにはアカミミガメがいる。あるいはミドリガメと言ったほうが通じやすいのだろうか。独身時代に買い物に出かけたホームセンターで、水槽の中から私の顔を見つめていた。あれからもう14年。今ではむしろ夫のほうに可愛がられている節がある。欠伸をしては写真に撮られ、うたた寝しては写真に撮られ。

 中でも、見出しに採用したこの写真は、私の大のお気に入りである。何ということのない寝顔に見えるが、よく見ると左右の鼻穴にひとつずつ泡がついている。間抜けな姿が笑いを誘う。

 そんなアカミミガメは、2023年6月1日から「条件付き特定外来生物」に指定されることとなった。特定外来生物とは、生態系や農林水産業に影響を及ぼしたり、人に害を与えたりする外来生物のことだ。そんなものにあちこちほっつき歩かれては困るので、野外へ放出するのは当然アウト。「だって逃げちゃったんだもん」という言い訳も通用しない。無責任な人の手に渡らないよう、販売、購入、頒布、飼育、譲渡、輸入のすべてが原則禁止だ。どうしても飼いたい場合は、相応の設備を整えてから国に許可を取らなければならない。

 通常ならそういう扱いなのだが、アカミミガメの場合は「条件付き」となっている。一体どういうことだろう。

 私もまだ勉強中なのだが、簡単に言うと「新しく売ったり買ったりはダメ。でも今飼っている亀については、許可とか面倒くさいのはナシにしとくから、責任持って面倒見てね。飼いきれなくなったら次の飼い主を見つけてあげて。絶対に逃したりしないでね」ということのようだ。個人的には、そこまで厳しい条件ではないと感じている。

 「無責任な飼い主が悪い」とか「輸入規制が遅すぎた」とか、この件ではさまざまなことを言う人がいる。しかし、私の関心は最初からひとつだけだった。

「この子、飼っててもいいの? それとも悪いの?」

 どうやら「飼っててもいい」ということらしい。心からホッとした次第である。

 実は、アカミミガメの特定外来生物入りは相当前から噂されていた。最初に「そろそろかも知れない」と聞いてから、もう10年くらいは経ったように思う。500mlペットボトルの底より小さかった生き物が、私の靴より大きく育つくらいの時間である。その間、私はずっと亀との別れに怯えながら暮らしてきた。

 彼らはたくましい生き物である。その辺にあるものはだいたい何でも食べる。だから野外に放り出されても、そう簡単に死んだりはしない。繁殖力も旺盛だ。しかしその強健さが仇となり、国の大事な固有種であるニホンイシガメの生息地を圧迫したり、イネやレンコンといった農作物を食べてしまったりと、各地でトラブルが絶えなかった。つまり実害があったというわけである。これでは、国としてもそういう扱いにせざるを得ない。

 来たるべきその日のために、心の準備だけでもしておこう――私はそう考えるようになった。

 最初に検討したのは、飼育許可を取る準備を整えておくということだった。当時一緒に暮らしていた両親に事情を話し、「許可を取るには、今の水槽をこんなふうに変えなければいけないんだけど、どうかな?」と尋ねてみたのだ。

 しかし答えは「ノー」だった。曰く、

「そんな大仰な水槽を置かれては困る。今でもちょっと迷惑しているくらいだ。大人しく譲渡先を探しなさい」

 とのことだった。まあ無理もない話である。

 そこで、受け入れてくれそうな施設に目星をつけ、「亀の引き取りってどうですかね」と問い合わせを入れてみた。担当者の答えはシンプルだった。食い気味に「無理です」と。清々しいほどの一蹴だった。

「困るんですよ、そういうの。私も亀は嫌いじゃないので、以前は引き取っていたんですが、あまりに数が多くてですね。しかも最近は、うちの前に勝手に置いてっちゃう人までいるんです。流石にもう面倒見きれません」

 私は「すみませんでした」と電話を切った。何というか、担当者の心の叫びを聞いたような気がした。

 しかし困った。飼育許可もダメ、譲渡もダメ、逃すのは当然ダメとくれば、あとは殺処分しか道がない。

 「苦しいな」と思った。あとは法律がどう決まるかに掛かっている。だから待ち続けた。10年間。実に長く感じたものだ。

 そんなことがあったので、「許可なしで飼い続けていい」というのは本当に嬉しかった。私は自分のペットを死なせずに済んだのだ。

 だが、安堵してばかりもいられない。継続飼育に許可が要らないというのは、手続きを嫌って亀を野外に逃してしまう人が出るのを防ぐためだ。いくら罰則を設けても、日本全国全ての水場を監視するわけにはいかない。それに、国内におけるアカミミガメの飼育頭数は160万匹(2019年時点)とも言われている。すごい数だ。これでは、国としてもいちいち申請を受け付けてはいられないだろう。

 確かにアカミミガメを飼うのは大変だ。換えても換えても汚れる水。大型の個体は甲羅のサイズがA4のコピー用紙ほどにも達し、そのうえ寿命も長いときた。40年生きたという話も聞いたことがある。心が折れる気持ちは分かる。飼いきれなくなる事情もわかる。

 でも覚えておいてほしい。特定外来生物とは、日本に存在してはいけない生物ということだ。ペットとしての立場を失った先に、アカミミガメの未来はない。野外に放り出された個体がどうなるか、それは「アカミミガメ 防除」で検索をかけると分かる。残酷なようだが、彼らが現に農業と生態系に害を及ぼしている以上、当然の対策と思う。

 そして知っておくべきだ。環境省のWebサイトによれば、特定外来生物の適用除外について、あくまで「当分の間」とされていることを。「飼っててもいいよ、許可も要らない」という緩い状態がいつまで続くか、それはあくまで国次第なのである。

 私を含め、アカミミガメの飼い主は常にアンテナを張っておく必要があるだろう。亀との生活を失わないために。もはや、愛だけではペットの命を守れない時代になってしまったのだから。

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