1. "ゲーム"っていう言葉の意味広すぎません?というか曖昧すぎませんか【ゲームデザインとは】

▼導入

 Pongのようなシンプルなものから、スーパーマリオ、Forgotton AnneやFlorenceまでひとくくりにすべて「ゲーム」という言葉で表現されてしまっている現状があります。もちろん、ゲームの中でも「ジャンル」という言葉によって、違った内容のゲームであることを表現はできるのですが、それでも明らかに目的を異にする娯楽作品を同じ「ゲーム」という言葉でくくっていることには変わりありません。例えば、スーパーマリオとForgotton Anneは、娯楽として達成したい目的が全く異なることが明らかですが、ジャンル的にはどちらも「2Dプラットフォーマー」に属します。ゲームとしての「遊び」を分析して二者の違いを論じることはできます(例えば、スーパーマリオはアクション成分が主で、Forgotton Anneはパズル要素が主成分である、など)が、それでも娯楽としての本質として明らかに異なっていることを、これらゲームとしての分析では正確には区別できません(※1)。
 この違いを示す用語が存在しないのは、現在の、またこれからの「ゲーム」産業を考えていくうえで致命的な欠陥だと想われます。というのも、パブリッシャーはスーパーマリオのような「ゲーム」を欲していて、しかし作り手と(非ゲーマーを含めた)一般大衆は、Forgotton Anneのような「ゲーム」を欲している、といった状況がすでに発生しているためです。
 これら2つの違いを正しく理解していないがために「ゲーム」は誤解をされ、世の中で不当な扱いを受けていたり、本来「ゲーム」を楽しむ人々に届けらえていなかったりしています。例えば、キノコを踏みつけたりクッパ城を攻略するのは全くの時間の無駄だと感じる人でも、Forgotton Anneのストーリーを楽しんだり、Florenceで新しい操作方法に触れたりする感動は人生の貴重な時間を割く価値のあるものだと考える人がいる可能性が大いにあるわけです(私がその一人なわけですが…)。つまり、これらの全くの異なる娯楽を、「ゲーム」という乱暴な言葉で表現しているがゆえにかなりの機会損失を生み出し続けているわけです。

 そこでわたしはこれらふたつの「ゲーム」を区別するための用語を導入したいと考えています。

▼ ゲームを大別

 私たちが普段「ゲーム」と呼んでいるものを、大きく2種類に分けたいと思います。

1. SoR (Set of Rules)
2. IE (Interactive Entertainment)

 これらは、作品のコンセプト/目的を「ルール」に置くのか「表現」に置くのかによって分類されます。よって、これらは全く別のカテゴリというよりは、一直線上の対極にあるものか、2軸だとイメージしたほうが良いと思います。なにせ両方を満たす場合が全然あり得る、というか良作は両立するので。

▼ 1. SoR (Set of Rules)


 プレイヤーを繰り返し遊ばせるための中毒性を持った「遊び」にすることを目的とした作品のことです(リプレイ性)。また、このタイプの作品の核となっている、ルールの集合体こそSoRともいえます。
 ゲームを新たに企画するときは、必ず新しくて面白いルールを思いつき、それをタネにして中毒性のある遊びとして遊び全体を設計することを要求されます。これが世の中で「ゲームデザイン」と呼ばれているものの正体かと。
 新しくて面白いルールがなければ、新規性のない作品になってしまい、だれも遊ばない、、、(存在価値のない作品)と考えられてしまうことが実際にゲームを作るときは多いと思います(既存IPを使って"ガワ替え"ゲームを作るのでない限り)。
 あくまで新しい「ルール」が作品の核になっている以上、様々な演出や表現は、そのルールを「より面白いもの」にするためのあくまで「手段」としてとらえられます。そのため、「すげード派手な演出を出すゲームを作りたい」みたいなのはゲームの企画とはあんまり認めてもらえません。実際にそう思ってゲームを企画し始めたとしても、じゃあその演出が映える新規性あるゲームをつくるためにはどんなルールセットが必要か、を考えてSoR企画を練る必要があります。

 ゲームデザインの内容は、大別して3種類に分けられると私は考えています。

1.1. メカニクス (Mechanics)
1.2. 調整 (Tricks/Tweaks)
1.3. ゲームサイクル (Iteration Design)

1.1. メカニクス(Mechanics)

 ゲームメカニクスとかゲームシステムとかゲームプレイとかいろんな名前で呼ばれる、ゲームを成立させるための最小限のルール(とルールの集合体)のことです。よくプランナーとかゲーム好きとか課金者が「ゲームになってない!!」とか怒るのは、たいていメカニクスが崩壊してる場合です。
 メカニクスは、実際に試作品を触ったり、これらのルールを読んだ瞬間に「楽しい!」と思わせるものである"べき"なのは確かですが、ぶっちゃけ特に文章だけだと大したことないです(どんな世界観を被せるかで面白そうに見えたりするから厄介なのですが)。
 パックマンでいうと、
- プレイヤーはパックマンを移動させる
- パックマンは自動的にドットを食べる
- オバケはパックマンを食べる
- パックマンがすべてのドットを食べたらパックマンの勝ち
- オバケがパックマンを食べたらパックマンの勝ち
といった一連のルールを指します。
 メカニクスは、その必ずユーザーの入力とその結果を含みます。また、プレイヤーの入力の結果は、可能な限りすぐに反映されるようにするべきです。ゲーム内でのプレイヤーキャラクタ(PC)の行動とその結果は即時反映されないと、何が原因でその現象が起こったのか直感的には理解できないので、触れた瞬間の楽しさにつながりにくくなります。
 ただし、触れるだけで楽しい十分なメカニクスが構築された状態であれば、これを逆手にとって演出やゲームデザインの一つとすることはできなくはないです。この手法は直感的ではないので、あんまり「ゲームデザイン」としては認められていないように思います。ナラティブデザインの一種として使用されることはよくあります(複雑なエンディング分岐など)。

e.g. Pong
- プレイヤーはお互いにパドルを移動させる
- パドルはボールに触れると反射する
- 跳ね返せなかったプレイヤーの負け

1.2. 調整(Tricks/Tweaks)

 よくギミックとか呼ばれる気がします。無くてもルールとしては成立しますが、存在することでよりゲームが深みのある/中毒性の高いゲームになる、ルールや細かな仕様のことを指します。メカニクスだけだといまいちピンとこないときや、試作してみたはいいものの、いまいち面白くなかったときとかにひと一味足すもので、そのゲームを攻略したいとか思わせてくれるルールのことです。実際に触ってみるまで楽しい/面白いかどうかわからないことが多い部分だったりします。 パックマンの例だと
- パックマンはオバケよりの早く角を曲がれる
- オバケには色/行動パターンがある
といったものを指します。
 新規IPの作品を作るときは、たいていユニークなギミックが入っています。そのギミックが、このゲームの新規性/特徴/特長なんだぞ、と自信たっぷりに宣伝するわけです(まあ、相当テストプレイと調整を重ねないとなかなかうまくいかないものですが)。そのギミックで遊ばせることを作品のコンセプトに据え、そのためにそれ以外のゲームのすべてが設計されていきます。

e.g. Forgotton Anne:
  "アニマ"と呼ばれるエネルギー源を使って空を飛んだりパズルを解いて道を進んでいく。

1.3. ゲームサイクル (Iteration Design)

 場合によってはゲームデザインに含まれないことがあります。繰り返し遊びたくなるような仕組みのことですが、一瞬で理解できる直感的なものではなく、メカニクスで引き付けたユーザーをそのまま繰り返し遊ばせるための仕組みを指します。メカニクスと調整がしっかりしていれば、そんなに手の込んだゲームサイクルを設計する必要は必ずしも必須ではありません。ただ、あまりに型にはまっていると「このレベル上げに何の意味があるんだ…」と呆れられてしまう可能性は否定できません。演出とか世界観とか駆使してでも、何とかしてごまかしましょう。運営型のゲームの場合、「アップデートし続ける」ということもこのゲームサイクルの設計内に含めることができます。

e.g. ハック&スラッシュ: 
 モンスターを倒して新しい装備を手に入れる。手に入れた装備は新しい能力を持っていたり、より強力だったりする。それを使ってさらに別のモンスターを倒し、また新たな装備を手に入れる。新しい能力を試したい、とか、せっかくだから使わないともったいない、といった気持ちを駆り立てる。
e.g. PUBG:
 毎回参加者が異なるため、毎回敵の動きが異なる。そのため、「いつか勝てるのではないか」という気持ちを駆り立てる。また、敵が実在する人間であることが、より「負けを認めたくない」という気持ちに拍車をかけ、またプレイしたくなる。

▼2. IE (Interactive Entertainment)

 「お客が参加する娯楽」をIEと定義します。何度も遊んでしまうような中毒性をもつことを必ずしも示唆しません。つまり、子供向けの美術館や科学館においてあるような体験型の展示もIEには含まれます。

 IEの核は「表現する」ということにあります。「ゲーム」よりも、もっと広範で原義的な言葉です。反対に、SoRは必ずしも現実を模倣し何かを表現するために作られたものではなく、ただ「楽しい」「面白い」という感情を呼ぶものであればその定義を満たします。例えば、ババ抜きやポーカーといったトランプゲームは特に世界観設定がなく、ただ楽しい/面白いという理由からルールが設定されている、純粋なSoRの代表格のような存在です。しかし、大富豪というトランプゲームは「トランプゲーム」というメディアを使って「生まれた環境による経済格差を踏まえたうえで、いかに出世するか」という現実世界を表現したゲームである、という解釈が可能です。この意味で大富豪はSoRであると同時にちょっとしたIEであると考えられます。

 いくらIEの核が表現にあるとはいえ、IEもお客に主体的に参加してもらう必要のあるメディアです。受動的なメディアである映画と比べて、ある程度やる気を維持してもらう必要があります。繰り返し遊んでもらうほどではなくても、少なくともエンディングにたどりつくまでプレイし続けてもらうような仕組みは必要です。以下に例を挙げます。
a) Forgotton Anne
 Animaを操り、ゼルダのようなパズルを解き先に進む。
 通常、この手のゲームは戦闘を移動の合間に挟みプレイのメリハリを作っている。本作は(シナリオ、美術どちらにおいても)戦闘は望ましくないため、パズルで代用している。同時に、「苦労して先に進んだ」感を演出し、「あんなに頑張ったんだからAnneの物語を最後まで見届けよう」というモチベーションにもつなげている。
b) Opus: the day we found the earth
  星の名前やステータスが異なる星をコレクションできる。
 実際に双方をプレイしてみた方か、ゲームをよくプレイする方なら、おわかりかと思われますが、きちんとSoRとしても成立させたForgotton Anneは飽きにくく、反対に単なるおまけ要素しか用意しなかったOpusでは、エンディングまでの飽きにくさに雲泥の差があります。私の個人的な経験でしかありませんが、Forgotton Anneは寝る間を惜しんで先に進めましたが、Opusは正直、中盤に一度飽きて寝てしまいました。Opusのこのコレクション要素は、実はメインシナリオの進行の妨げになっているという、SoRとしては致命的な欠陥があります。過去蓄積されたゲームデザインのノウハウはIEでも生かすべき、という教訓を含んだ好例です(続編では改善されました)。

 2019年現在、優れた作品とされる(シングルプレイヤー)ゲームは、たいてい、うまくデザインされたSoRがあったうえでIEとしての性格も有しています。例えば、NieR: AutomataはアクションRPGとして、レベルアップや装備品、戦闘のルールまでもを自在に変更できる中毒性のあるSoRですが、同時に、「3人のキャラクタを切り替えて同じシナリオを繰り返しプレイする」という手法で物語を表現しており、IEとしての側面を備えています。Forgotton AnneはAnimaという生命力を操る能力者Anneとして物語を進めていくIEですが、同時にAnimaを操ることでフィールドのパズルを解き先に進むSoRとしても機能しています。SoRとIEがうまく合致した好例です。

 反対にマルチプレイヤ(特に対戦)ゲームはIEとしては微妙なことも多いです。PUBGは優れたSoRですがIEとしての側面はほぼありません。わざわざパラシュートで無人島に降り立ち、そに降り立った者同士で殺し合いをするといった点や、電磁パルスに表現としての意味はありません。優れたSoRを作ったあとに、適した説明をつけたにすぎません。

▼まとめ
 ふだん私たちがなにげなく使っている"ゲーム"という言葉でも、上記のように考えると全く違ったものを内包してしまっていることがおわかりいただけたかと思います。IEだけどSoRとしての要素は薄い作品を明確にIEとかIS(Interactive Story)とか区別して呼ぶようになると今まで映画やマンガを作ってた様なひとがIEを作るようになってくれて良作が増えるだろうし、同時に現在の「ゲーム」のすそ野も広がっていいことだらけだと思います。

 実のところ、上記でSoRと呼んだものを「ゲーム」、IEとしたものを「アドベンチャー」という言葉で使ってくれるとありがたいなあ、と思っています。で、IE, SoRの両方を高い次元で満たした作品を「アドベンチャーゲーム」と呼ぶのがおさまりがいい気がしてます。

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