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2024京都市長選 接戦の"陰の主役"に迫る


1万6000票差の「接戦」

 16年ぶりに新人同士の争いとなった2024年の京都市長選挙は、2月4日に投票が行われ、自民党・立憲民主党・公明党・国民民主党が推薦する元参院議員の松井孝治が、無所属市民派の福山和人、元・京都党代表の村山祥栄、元・自民党府議の二之湯真士らを破って新たな京都市長に選ばれた。

 しかし、松井は与野党相乗りの体制を組んだものの、猛追した次点の福山との差は、約1万6000票差。
 どのメディアも、「松井氏 組織戦辛勝」(朝日新聞京都版 2月5日)、「薄氷の勝利」(京都新聞 2月5日)とする一方、福山和人に対しては、「福山氏の猛追」「市民の怒りが福山さんを押し上げた」(京都新聞 2月5日)と健闘を評した。

京都市長選 | 地方選挙 | NHK選挙WEB

 この選挙は、自民党の裏金問題が起こる中で行われ、選挙直前に、京都民報が村山祥栄の"架空パーティ"を報じ、日本維新の会や京都党などが村山への推薦を取り消すこととなった。
 これにより、選挙戦における政党対決の色が弱まるとともに、「政治とカネ」の問題への態度が争点の一つとなり、「無所属市民派」で政治資金パーティーを開いたことがない福山が急速に追い上げていく一因となった。

この選挙の"陰の主役"たち

 メディアは維新の関与や共産党が20年ぶりに候補者を推薦しなかったことなど政党構図や政局に関心を向けたが、福山追い上げの原動力となった支援者たちの動きは十分報じられることはなかった。

 筆者は、4年前の京都市長選で、福山事務所に集まる若い支援者たちのことを取り上げた。
 あれから4年経ち、当時の支援者たちは今回の選挙にどう向き合ったのだろう。そして、新たに立ち上がった人たちは、どのように福山を押し上げていったのだろうか。
 この選挙を接戦に持ち込んだ"陰の主役"である支援者たちを追った。

「このままでは保育園がつぶれていく」

 保育士の林楓華さんは、4年前に福山を支援した一人だ。彼女が今回、福山との二連ポスターに登場したことは、「保育」がこの選挙の大きな争点であることを印象づけた。

林さんが登場したポスター

 門川は、公立保育所25園を民営化で13園に減らすとともに、民間保育園で保育士確保に役立ってきた補助13億円を削減し、市内66園が職員給与を引き下げることになった。
 林さんは保育士7年目で、福祉・保育分野の労働組合でも活動している。門川の行革以降、「保育士を続けられない」という周囲の声を聞いていた。さらに、京都市はコロナ禍を理由に保育団体と行ってきた交渉を書面に変更し、何度話し合いを求めても拒否する態度を取っていた。
 「福山さんが市長にならないと保育園がつぶれていく」(林さん)というのが、仲間たちの共通認識になっていたのだ。

4年前よりアップデートされた活動

 林さんは組合の仲間と、4年前の市長選で「3人集まったら行動する」と決めて活動したが、今回はこれを2週間続けた。工夫したのは一票でも多く得るために行動が一か所に固まらないようにしたことだ。
 保育園門前でチラシを渡すグループと、地域をまわるグループに分散して行動し、「福山さんをお願いします」だけでなく、「広げてほしい」と声をかけていった。

 林さんによると、「福山さんの話はいっぱい聞いたから今度は広げる側だと思っていました。保護者の方にチラシを渡して『広げてくれませんか』と頼むと、『3人は渡せる』『7枚ぐらいはいけるかな』と反応がすごかった」という。

街頭で福山への支持を呼びかける支援者

 また、保育士とは別に、保護者からも福山を応援する動きが起こった。4年前の記事で登場した当時の保護者会長も、「保育園に通って今年で8年目。一緒に子育てしてくれる保育士さんはかけがえのない存在です。先生たちが安心して長年働ける現場に保育現場にしてほしい」と、3人の子育てをしながら応援弁士やアナウンサーとして活動した。
 この保護者はLINEアカウントのアイコンを福山の写真にしていたため、別の人たちが福山のチラシを配っていると、受け取った人から「ああ、このチラシの人、見たことある。○○さんのLINEアイコンや」という反応があったという。
 保育士も保護者も前回から4年間で活動ノウハウをアップデートしていたのだ。

街頭に31日間立ち続けた支援者

 選挙戦の間、西京区で福山のチラシを配っている支援者に出会った。
 この選挙で初めて本格的な活動を展開した一人、20代の山中聡美さん(仮名)だ。

 山中さんは、高校生の頃から政治に興味があり、これまでTwitterデモやニュースのシェアなど、「タップ一つでできること」はしていたが、同い年の友人が大阪でデモに参加しているのをSNSで知り、「かっこいいいな。いつかやりたいな」と思ったという。
 2023年春の統一地方選で、選挙ボランティアを募集していた近くの共産党事務所にメールし、ビラ配りを手伝ったのが最初の選挙体験だったが、本格的に関わったのは今回の市長選が初めてとなる。

桂駅前でチラシを配布する山中さん

 山中さんは、福山の選挙母体「つなぐ京都」に結集する「民主市政の会」が学生や20代の関心を高めようと発足させた若者プロジェクトに9月頃から加わり、街頭宣伝用のプラカードをつくったり、Instagramを更新したりしつつ、街頭に立ち続けた。時には早朝の宣伝にかけつけることもあったという。

 「対話は苦手だけどチャレンジして、12月半ばぐらいから行動していて、1月3日からは22日連続で街頭に立ちました。『ちょっと休んだ方がいい』と言われて、2日間だけ家でSNS更新をして、その後は投票日まで街頭に出ました」。

 投票日の前週には、二つの高校門前で地域の支援者たちと4、5時間宣伝にとりくんだ。高校生の多くが「選挙のことは知っているけど、候補者については何も知らない」という反応で、「学生支援が争点で、返さなくてよい奨学金をつくるかどうか」などと話すと興味持ってくれたという。

「京都が変われば国にも影響する」

 山中さんのモチベーションはどこから生まれたのか。山中さんに聞くと、「ミーティングで、京都市長選は国政の観点から見ても大事だという話を聞いたことです。私自身、衆議院選挙への関心の方が高かったんです。でも全国に13しかない政令指定都市の京都が変われば、国にも影響するんだなと思った」という。
 地方選挙を国政と結んで大きな視点で打ち出すことの大切さとともに、選挙ミーティングでの情勢共有で山中さんが活動をアレンジしていったことが伝わってくる。

 「ミーティングにかかさず行って、いま何を街頭で伝えるか、勉強するようにしていました。チラシを渡す時に、『市長選挙です』『福山和人です』だけじゃなく、どうやったら受け取ってもらえるかと考えて、年末はパーティ券問題、年始は防災対策、その後はネタをインプットしては、スピーチでアウトプットしていくことを繰り返しました」。

投票箱が閉まるまで…

 そして投票日。接戦が伝えられる中で、ある人は電話で棄権防止にとりくみ、ある人は街頭でプラカードを持って投票所を案内した。

 林さんは、午前中は北区で「選挙行こうね宣伝」にとりくみ、北区に残る人たちと別れて伏見区に移動し、ここでも駅前と商店街を歩くグループの2隊で投票を案内してまわった。さらに北区に戻ると、北野白梅町で16時から18時すぎまで宣伝し、「同じ所でやっていても、通行人が出入りするだけだ」と上七軒に移動して行動を続けた。
 山中さんも午前中は電話かけを行い、午後からは日が暮れるまで桂駅周辺で投票を案内する活動に立った。
 いずれも4年前はしていない活動で、文字通り投票箱が閉まるまでたたかい続けた。

投票日前日(2月3日)に保育士の仲間と肉声で訴える林さん(右)

「できることは全部やりきった」

 NHKなどの出口調査で福山の優勢が伝えられると、福山事務所はどよめきが起こる一方、松井の開票会見場は重苦しい空気が漂い、壇上に座る各党の国会議員らがスマートフォンで情報収集する姿が見られた。
 福山は上京区、左京区、北区でトップとなったものの、期日前投票を含めた開票がすすむにつれ、次第に松井との差は埋まらなくなり、午後11時すぎに「松井当確」が報じられた。

 直近の2022年参院選の比例得票で比べてみると、松井を推す4党の合計は286,917票に対し、福山を支援した共産にれいわの得票を合計したとしても97,132票であり、3倍近い差があった。にもかかわらず、接戦に持ち込んでいることは注目に値するだろう。出口調査によると、福山は無党派層で約4割を獲得し、特に30代の支持でトップを掴んだ。
 メディアが、「肉薄 市民の勝利」(毎日新新聞京都版 2月6日)と福山の健闘を報じた一方、松井陣営のコメントは、「我々も反省しないといけない」(西田昌司・自民党京都府連会長)、「本当に厳しい選挙戦だった。とても重く受け止めないといけない」(松井候補)など事実上の敗北宣言だった。万歳の間、松井は頭を下げたままだった。

大勢が判明し、会見する福山和人候補

 松井陣営と対照的に、悔しさをにじませながらも「できることは全部やりきった」と語ってくれたのは、福山を応援していた人たちだ。

 「初めての私としてはやれることは全部やった。でもやってみたら、意外ともっとやらなきゃいけないことが見えてきた。情報を届けるのって難しいなぁと。街頭の対話ってすごく大事だと思ったけど、もっと広げる工夫を考えたい」(山中さん)
 
 「できることは全部やりきったので、『これしといたらよかった』ということは思いませんでした。自分がしてきたことには何も後悔していません。4年前の方が、後悔はありましたね。ただ組合の中で、みんなが主体的に動けたのか、一人ひとりが広げきったのかということは考えていきたいと思っています」
(林さん)

 選挙中、各地で「初めての選挙ボランティアです」という人たちと出会うとともに、従来から京都で住民施策の改善を求めてきた労働組合、団体の人たちが奮闘している姿が見られた。お互いの力が合わさった「猛追」といえるだろう。

 4年前の選挙後、涙を流しながら「でも、本当に楽しい選挙でした」と語っていた林さん。今回も「楽しい選挙でした」と振り返った。言葉は同じだが、筆者には4年前より力強く聞こえた。

思わぬ影響を与える京都市長選挙

 山中さんが語っていたように、京都市長選は一地方に限らず、その後の政治に影響を与えてきた。この記事の締めくくりとして、2012年の選挙をきっかけに起こったある運動を取り上げたい。

 2012年の京都市長選は、門川大作と中村和雄の"再戦"となったが、この選挙に向けて、前年12月に京都市左京区のクラブを会場にして、「脱原発トークバトル」が開かれた。
 このイベントに中村が参加した際、クラブのオーナーから風営法のダンス規制によって健全なクラブが過剰に摘発されていることが語られたのだ。

京都市長選挙で、クラブを文化として位置づけた中村和雄のチラシ

 これについて中村が、「国の法律である『風営法』自体を市長の権限で変えることはできませんが、時代おくれのこの法律の改正を国求めていく、そのムーブメントをつくることはできる」と表明したことによって、クラブの問題と選挙の投票行動に接点が生まれ、新たな政治参加を広げたことは特筆されるべきだろう。
 中村は、この選挙で得票を大きく増やし、現職・門川に対して得票率46.1%を獲得した。市長にはなれなかったが、音楽家の坂本龍一や大友良英らとともにレッツダンス署名推進委員会を呼びかけ、風営法の規制対象から「ダンス」を削除するよう求める署名運動を京都から始めた。

Let's DANCE ダンス規制法を考えるつどい(2012年6月10日)

 この署名によって、国会議員なども動き、風営法からは、「客にダンスをさせる営業」の規程が削除されることとなった。
 振り返ってみれば京都の首長選挙で、現職に対抗する陣営は投票率を上げるために、常に試行錯誤をこらし、新しい課題を政治の課題としてとりあげてきた。そして大接戦であったがゆえに、その後の京都市政や国も一定の影響を受けざるをえなった。

 今回の京都市長選挙が終わってすぐ、中学校給食用の巨大工場に反対・賛成の両方の請願が、京都市議会で再び継続審議となった。松井が勝っても無理がある計画は強引にすすめられない状況となっている。

 今回の選挙結果が、どのような形で今後に花開くのか。この選挙に参加した人たちの次の展開に注目したい。