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「国士無双」韓信~天才武将、非業の最期

天下を統一した秦がわずか15年で滅びると、再び世が乱れ、新たな天下取りのドラマが動き出す。

秦末から漢初までの歴史劇は、主役の項羽こうう劉邦りゅうほう二者間の綱引きではなく、数多の脇役が横から押したり引いたりしてドラマを盛り立てている。

その脇役の筆頭が韓信かんしん、のちの淮陰侯わいいんこうである。

波瀾万丈の生涯、稀有な個性を伝える数々のエピソード。主役の二人に勝るとも劣らぬ存在感を示している。

人物としての面白さは、項羽に匹敵。劉邦より遥かに面白い。

韓信

では、『十八史略じゅうはっしりゃく』に沿って、韓信の生涯を追ってみる。

股くぐり

若い頃の韓信は、貧しくてだらしなく、役人になれず商売もできず、親類の家に居候して食いつないでいた。

淮陰(江蘇省)の屠殺業の若者で、韓信のことを馬鹿にしている者がいた。仲間が多いのをいいことに、韓信を侮辱してこう言った。「お前は図体ばかりデカくて、格好付けて剣などぶら下げてるが、肝っ玉は小さいんだろう。死んでも平気なら、その剣で俺を刺してみろ。できないなら、俺の股の下をくぐれ」。韓信はじっと相手を見た後、腹這いになって股の下をくぐった。それを見た人々はみな韓信を臆病者と笑った。

町のチンピラに絡まれ、韓信は甘んじて相手の股をくぐった。
くぐらなければ、韓信の生涯はここで終わっていたかもしれない。

笑い者にされようが何であろうが、韓信は恥を忍んで言いなりになった。
あるいは、屈辱を意に介さず、股くぐりを恥とも何とも思っていなかったのかもしれない。

とすれば、この話は、つまらぬ者に対して自尊心は無用、という韓信の度量を示すものである。

また、無駄な危険は避けて賢く立ち回るという「明哲保身」の生き方を示すものでもある。

歌川国芳「韓信胯潜之図」

なお、『十八史略』では省略されているが、『史記しき』の「淮陰侯列伝」には、後日談がある。

のちに楚王となって故郷に凱旋した韓信は、このチンピラに仇を討つことなく、却って「壮士」と呼んで讃え、楚の治安を司る官に任じている。

国士無双

韓信は、初め項梁こうりょうに従い、項梁亡き後は項羽に従った。
度々献策するが用いられず、逃げて漢王劉邦の側に鞍替えをした。

ところが、劉邦にも重用されず、また逃げる。

韓信の才を見抜いていた丞相蕭何しょうかが、こう進言する。

「諸将ならいくらでも替えが利きます。韓信は『国士無双』でございます。王様が漢中王のままで良いと仰るのであれば、韓信を用いるまでもございません。しかし天下を取らんとされるのであれば、共に計を謀ることができるのは、韓信を置いて他におりませぬ」。

蕭何は、韓信を「国士無双」(国に並び立つ者がいない傑物)とべた褒めして、天下を取りたいなら、ぜひこの男を重用するようにと進言する。

劉邦が「将軍に取り立ててやろう」と言うと、蕭何は「それでは不十分」と首を横に振る。「では、大将軍に」と劉邦が言うと、蕭何はさらに注文を付けて、「子どもを呼びつけるような真似はなりませぬ」と進言する。

そこで、劉邦は、典礼の祭壇を設け、礼を尽くして任命の式典を挙げた。

かくして、韓信は漢の大将軍に大抜擢される。

背水の陣

趙を破った際、韓信は、兵士に川を背にして戦わせるという、兵法に反した陣立てをした。

そこで、諸将が韓信にそのわけを尋ねる。

諸将が問うた。「兵法では、山を右や前にし、川を前や左にするのが定石です。今回、川を背にしたのに勝てたのは何故でしょうか」。韓信は答えた。「兵法にあるではないか、『之を死地にとして而る後に生き、之を亡地に置きて而る後にそんす』と。」諸将はみな感服した。

韓信の戦法に特徴的なのは、この「背水の陣」がそうであるように、兵法の正攻法を逆手に取る「奇計」であった。

奇計とは言え、直感的な思い付きではなく、

 之を死地に陥として而る後に生き、之を亡地に置きて而る後に存す。
(絶体絶命の危機的状況に追い込まれてこそ生き延びることができる。)

という、同じく兵法にある道理に基づいている。

無鉄砲に見えても決してそうではなく、計算し尽くされた戦法なのである。

狡兎死して良狗烹らる

「鴻門の会」から「四面楚歌」に至るまで、一進一退しながらも、しだいに項羽と劉邦の形勢は逆転する。

劉邦の勢力拡大に最も功績があったのは韓信であった。
これには劉邦も一目置かざるを得ず、韓信を斉王とした。

項羽を垓下がいかに追い詰め攻め滅ぼすのに最も戦功を立てたのも、やはり韓信であった。

項羽が自刃して楚漢戦争が決着を見ると、劉邦は韓信を楚王に任じ、自身は漢の初代皇帝となった。

劉邦は、優柔不断なだけでなく、猜疑心の強い男であった。
劉邦が警戒心を抱いていたのは、今やナンバー2となった韓信である。

そこへ、「韓信が謀反を企んでいる」という報告が上がった。

劉邦は陳平ちんぺいの献策に従い、天子として巡幸し諸侯と宴を開くと偽り、韓信をおびき出す。

韓信が到着して謁見すると、劉邦は武装兵に命じて韓信を縛り上げさせた。

韓信は言う。「なるほど、人の言う通りだ。『狡兎こうと死して走狗そうくられ、飛鳥尽きて良弓しまわれ、敵国破れて謀臣亡ぶ』と。天下がすでに定まったからには、わたしはもとより釜ゆでとなる定めだったのだ」。

謀られたと知った韓信は、

 狡兎死して走狗烹られ、飛鳥尽きて良弓藏われ、敵国破れて謀臣亡ぶ。
(すばしっこいウサギが死んでしまえば、猟犬は無用となって煮て食われ、飛ぶ鳥がいなくなれば、良い弓もしまい込まれ、敵国が滅びれば智謀の臣下は殺される。)

と嘆く。

どれだけ有能で戦功を挙げても、敵がいなくなれば、却ってその有能さゆえに危険視され抹殺される、という戦乱の世の道理を悟るのである。

韓信は、手枷足枷をはめられ洛陽に連行される。

のちに赦免されるが、楚王の座は剥奪され、淮陰侯に格下げされた。

三族の刑

漢の十年、だい国の宰相陳豨ちんき鉅鹿きょろくで謀反を起こすと、劉邦が自ら兵を率いて鎮圧に向かった。

韓信はその隙を狙って謀反を企てるが、事前に情報が漏れてしまう。

「韓信が陳豨と組んで謀反を企んでいる」と密告する者がいた。そこで呂后りょこうと蕭何が示し合わせて「陳豨は敗死した」という虚言を流し、韓信を騙して、平定の祝賀に参内させた。やって来た韓信は捕らえられ斬り殺された。処刑の間際、こう漏らした。「蒯徹かいてつの計を用いなかったばかりに、女や小僧に騙されるとは」と悔いた。そして、とうとう三族が皆殺しにされた。

韓信は再び同じような計略にはまり、今度は赦免されることなく即座に処刑された。

信頼していた蕭何に裏切られ、韓信はついに非業の死を遂げたのである。

蒯徹の計とは、かつて韓信が斉王となった時、配下の蒯徹が、「劉邦に背いて自立し、項羽と劉邦との三人で天下を三分すべし」と説いた献策のことを指している。

歴史に「もし」は無いが、もし、韓信がこの計を用いていたとしたら、三国時代の前にもう一つの「三国志」が存在していたのかもしれない。

「三族」は、父の一族、母の一族、妻の一族を皆殺しにする刑を言う。

かくして、天才武将と謳われた英雄韓信は、親族もろとも根絶やしにされたのである。


韓信が主役の中国ドラマ『天意/レジェンド・オブ・キングダム』


蛇足であるが、「国士無双」と言えば、麻雀の役満だ。

韓信は、民間伝説では「賭博の神」とされているらしい。

麻雀とサイコロを考案したのは韓信であり、兵士の士気を高めるために陣中で賭博をした云々、という言い伝えがある。


残念ながら、私の麻雀歴では「国士無双」でアガったことは、一度も無い😂



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