泉聲悠韻

中国古典、香港、北京、台湾、大谷翔平、中島みゆき

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  • 中国古典インターネット講義

    中国古典文学の概説です。 第1回  詩経 第2回  楚辞 第3回  漢代の詩 第4回  魏晋の詩 第5回  陶淵明 第6回  南北朝の詩 第7回  初唐・盛唐の詩 第8回  李白 第9回  杜甫 第10回  中唐・晩唐の詩 第11回  宋代以後の詩 第12回  論語 第13回  孟子・荀子 第14回  老子・荘子 第15回  史記・十八史略 第16回  辞賦・騈文・古文 第17回  文言小説 第18回  白話小説(一) 第19回  白話小説(二) 第20回  戯曲

  • 中国の歴史・思想・文化

    中国の古代思想と伝統文化について、現職時に研究テーマとしていた論考や、授業で使った講義ノートなどをアレンジしてみました。

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    中華圏の映画・ドラマ・サブカルチャーの紹介と感想です。

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    道家(老荘思想)の精髄を集めてみました。

  • 教養としての故事成語

    中国の故事成語の中で、成り立ちが興味深いものを集めました。

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【中国の思想と文化】陶淵明「桃花源記」~「洞天」の別世界、「小国寡民」の理想郷

ユートピアと桃源郷 理想郷を語る時、わたしたちは、しばしば「ユートピア」や「桃源郷」という言葉を使います。  「ユートピア」は、ギリシャ語で「どこにもない場所」という意味で、 16世紀イギリスのトマス・モアの著書に由来します。  一方、「桃源郷」は、中国・東晋の詩人陶淵明の文章「桃花源記」に登場する架空の土地の呼び名です。  漁夫がふと迷い込んだ別世界、俗塵から隔絶された桃源郷は、東洋の理想郷の代名詞です。  「桃花源記」は、漢文教材に採られることも多く、我々日本人

    • 「国士無双」韓信~天才武将、非業の最期

      天下を統一した秦がわずか15年で滅びると、再び世が乱れ、新たな天下取りのドラマが動き出す。 秦末から漢初までの歴史劇は、主役の項羽と劉邦二者間の綱引きではなく、数多の脇役が横から押したり引いたりしてドラマを盛り立てている。 その脇役の筆頭が韓信、のちの淮陰侯である。 波瀾万丈の生涯、稀有な個性を伝える数々のエピソード。主役の二人に勝るとも劣らぬ存在感を示している。 人物としての面白さは、項羽に匹敵。劉邦より遥かに面白い。 では、『十八史略』に沿って、韓信の生涯を追っ

      • 中国古典インターネット講義【第16回】『十八史略』『蒙求』~初学者のための歴史教材

        前回は、『史記』と『資治通鑑』についてお話ししました。 今回は、『十八史略』と『蒙求』です。 『十八史略』『十八史略』の構成 『十八史略』の著者曾先之は、字は孟参、宋末元初の人です。 『十八史略』は、初学者向けの歴史教材です。太古の神話伝説の時代から南宋王朝滅亡までのことを記しています。 『史記』以下の「正史」は、人物の伝記を中心に構成する「紀伝体」で書かれています。 紀伝体の史書は、歴史の中の一人一人の人物について詳しく知るには優れた記述方法ですが、ある時代全体の

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        • 映画『テラコッタ・ウォリア/秦俑』~甦った兵馬俑

          前回、始皇帝に関する記事を投稿しました。 そこで、今回は、始皇帝繋がりの香港映画です。 映画の原題は、『古今大戦秦俑情』。 邦題の『テラコッタ・ウォリア』は、英語タイトル『A Terra-Cotta Warrior』をカタカナ読みしたものです。 ( terracotta はイタリア語で焼いた土、つまり兵馬俑。warrior は戦士。) 1989年の香港映画、厳密に言えば、中華人民共和国と当時はまだイギリス領であった香港の共同製作です。 秦の始皇帝の時代から1930年代

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          始皇帝と仙薬~飽くなき「不老長生」の妄執

          天下統一を果たし、この世で欲しい物は全て手に入れた始皇帝が次に求めたものは「不老長生」であった。 不老長生は、始皇帝にとって「夢」とか「願望」とかと言うものではなく、正真正銘の「本気」であった。 今でこそ人は「妄執」と片付けるが、当の本人は大真面目であった。 始皇帝はただ「いつまでも生きていたい」と願ったわけではなく、自らが「神」になるためには「不老不死」が必要不可欠の条件だったのである。 前221年に天下を統一すると、秦王政は「始皇帝」を称し、法の整備、郡県制の施行

          始皇帝と仙薬~飽くなき「不老長生」の妄執

          中国古典インターネット講義【第15回】『史記』『資治通鑑』~中国史書の「体質」

          これから2回に分けて、中国の歴史書についてお話しします。 今回は『史記』と『資治通鑑』、次回は『十八史略』と『蒙求』です。 司馬遷漢の司馬遷は、字は子長、景帝の中元5年(前145)、太史令(天文・暦法を司る史官の長)の司馬談の子として生まれました。 元封元年(前110)、武帝は、泰山にて「封禅の儀」を挙行しました。 封禅の儀は、天と地を祭り、地上の帝王として世を治めていくことを天帝に報告する大規模な儀式です。 司馬談は、太史令の職にありながら、病を得てこの大典に参列す

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          【荘子】「無用の用」~処世術としての「無用」

          前回の投稿で、老子の「無の用」について書いた。 今回は、荘子の「無用の用」である。 両者は継承関係にはあるが、似て非なるものである。 さて、「有用」なものがよいか、「無用」なものがよいか、 一般通念では、「有用」なものがよいに決まっている。 荘子は、数々の寓話を並べて、この先入観を突き崩そうとする。 『荘子』の「人間世」篇に、次のような寓話がある。 この寓話の主旨は、最後の一文に集約されている。 「人は皆有用の用を知りて、無用の用を知る莫きなり」 世の人々は、有用

          【荘子】「無用の用」~処世術としての「無用」

          【老子】「無の用」~「有」を活かす「無」の役割

          老子の言葉は常人の意表を突いてくる。 『老子』第十一章では、「有」と「無」について、次のように語っている。  「有」と「無」という抽象的な概念を「車輪」「器」「家屋」という具体的な比喩を用いて説いている。 要するに、「車輪」「器」「家屋」など形のあるもの(物体そのもの)が機能を活かせるのは、形のないもの(空間)の効用があるからだ、ということである。 さらに詰めて言えば、「無」があってこそ「有」がある、ということだ。 さて、老子のこの概念は、しばしば「無用の用」という

          【老子】「無の用」~「有」を活かす「無」の役割

          【老子】知足の智恵~「欲望は身体に悪い」

          「無為自然」と「小国寡民」 道家は、儒家と並んで中国の精神文化の支柱となっている思想である。 元祖の老子は、謎に包まれていて、実在したのかどうかもわからない。 老子の思想の中核は「道」である。中国語音で「タオ」とも呼ばれる。 老子の「道」は、儒家の説く人倫における「道」とはまったく異なる。 老子の説く「道」は、天地万物の根源を指す。万物を生成消滅させながら、自身は生滅を超越した唯一普遍的な存在、宇宙自然のあらゆる現象の根底に潜んでいる原理のことを言う。 老子は、人間

          【老子】知足の智恵~「欲望は身体に悪い」

          中国古典インターネット講義【第14回】老子・荘子~「無為自然」と「万物斉同」

          老子老子は、中国春秋時代の哲学者、道家の祖とされる人物です。 儒家の孔子と並んで、古代思想界の双璧ですが、この人物の経歴はほとんどわかっていません。 まず、名前が奇妙です。 そもそも「老」という姓はありません。 「老子」は、老先生、偉いお爺さん、という意味の言葉です。 『史記』では、 とありますが、李姓であるなら、なぜ「李子」と言わないのか、よくわかりません。 『史記』では、続いて、 とあります。 「楚」はいばら、「苦」は苦しい、「厲」はたたり、「曲仁」は、

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          毒を仰いだ韓非~天下統一、影の立て役者

          韓非は、戦国時代末期、韓の王族に生まれた。 尊称で「韓非子」とも呼ばれる。 法家思想の第一人者である。 韓は、「戦国七雄」の一つに数えられる。 とは言え、国土は狭く、七雄の中では、最弱。 周りを大国に囲まれ、存立を脅かされていた。 韓非は、初め荀子のもとに遊学した。 吃音であったため、口頭の弁論は不得手であったが、著述には長けていた。 韓非は、富国強兵の策として「法」の理念を韓王に進言した。 再三進言したが、採用してはもらえなかった。 時に、七雄の中で、秦が最も

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          恐るべし、元祖教育ママ~孟子の母親の話

          孟子は、理屈っぽい。 諸子百家の時代、弁舌で身を立てるのだから、当然と言えば当然だが、 孟子の理屈っぽさは、筋金入りだ。 『論語』を見る限り、孔子は体系的にものを考える人ではなかったようだ。 それに比べると、孟子のものの考え方は、すこぶる理路整然としている。 気分屋の孔子がアドリブで喋ったバラバラの話をちゃんとまとめている。 孟子の弁舌は、説得力があるのだが、よくよく見ると、実は詭弁に近い。 「仁・義・礼・智」の端緒を説いた「四端説」がいい例だ。 論拠を挙げてきちん

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          中国古典インターネット講義【第13回】孟子・荀子~人の性は「善」か、「悪」か

          孟子孔子の没後100 年ほど経った戦国時代、魯の隣国である鄒の国に孟子が生まれました。 孟子は、名は軻、孔子の儒家思想を継承発展させました。 孔子に次ぐ聖人という意味で「亜聖」と呼ばれています。また、孔子と並列して、儒家の教えを「孔孟の教え」とも言います。 青年孟子は、多くの学者と切磋琢磨して学問を身につけました。当時、斉の威王・宣王は、都の臨淄(山東省淄博)の稷門(西門)の外に集団居住地を造営し、そこに天下の学者たちを集めて、自由に学術論争をする場を設けました。これを

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          【論語】君子の過ちはエクリプス~「改過」が株を上げるという話

          誰にでも過ちはある。 『論語』には、過ちを語った章句がいくつもある。 孔子は、「過ちを犯すな」とは言っていない。 過ちを犯したらどうするか、を問題にしている。 過ちては則ち改むるに憚ること勿かれ。――「学而」篇 (過ちを犯したら、躊躇することなくすぐに改めよ。) 過ちて改めざる、是を過ちと謂う。――「衛霊公」篇 (過ちを犯しても改めないこと、それこそが過ちだ。) 顔回なる者有り、・・・過ちを弐たびせず。――「雍也」篇 (顔回という者がいて、・・・過ちを繰り返すことが

          【論語】君子の過ちはエクリプス~「改過」が株を上げるという話

          孔子の一番弟子顔回の話

          孔子の弟子は 3,000人いたと言われている。 もちろんウソである。 3,000 という数字は、孟嘗君の「食客三千人」然り、李白の「白髪三千丈」然り、「たくさん」を大袈裟に言う慣用的な数字だ。 そのたくさんの中でも優れた弟子が 72人 いたと言われている。 これもあやしい。 72 という数字は、季節の「七十二候」とか、悟空の「七十二変化」とか、 暦や陰陽五行に関わる数字だ。 そのあやしい 72 人の中でも卓越した弟子10人が「孔門十哲」と呼ばれる。 これは本当の

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          あぶない『論語』~儒教の功罪

          中国の伝統思想は、儒家思想である。 道家思想もシェアは広いが、万年野党みたいなもので、与党の座は常に儒家が占めてきた。 老子がどれだけ裏で人気があっても、表舞台では孔子に勝てない。 『論語』は、儒家の最も重要な経典である。 元祖孔子の言葉なのだから当然である。 ところが、この『論語』、極めて雑な書物である。 非体系的と言うか、全くまとまりがない。 20篇から成るが、時系列で並べているわけではなく、主題別に整理しているわけでもない。 師匠がこんなことをおっしゃった、

          あぶない『論語』~儒教の功罪