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イノセンス

マグさんと見た!!!今回はちょっとわかる!!

何見たらいいかわかる

前回はSFとか音楽とか粋なセリフ回しとか、めちゃくちゃすごいのはわかるけど教養がなくてわからん〜!!!みたいなことが多く、それでも無知を貫通して良さが伝わる映像に圧倒された。

だけど今回はわかります!!!バトーさんを見ればいい映画です。明快。画面にいるバトーさんから無限に描写される「人生」をみてたらわかる映画だった。嘘です、相変わらず攻殻機動隊のことは何もわかりませんがバトーさんの描写にメロメロになったので今回は主にそのことを書きます。

老犬飼ってるバトー

老犬?!!!!???!!!!!!老犬って!!?!!!

前回の「ずっとここにいてもいい」という少佐への提示をあっさり拒否され、相棒を失ったバトーは新しい相棒のトグサと一緒に仕事をしているし、家にわんちゃんを飼ってる。

ここでバトーが家に置いてるのがこの犬なことにずっっと脳を焼かれている。明らかに少佐で開いた穴を埋めるために動物を飼ってるんだけどここで「近くにいる野良猫に餌をやって何日かに一回、餌の減りを確認する」とか「一切世話がかからない犬で事件の解決の手助けもしてくれる」とかならこんなにめちゃくちゃにならなかった。

なぜならこれらは「草薙素子で埋まる穴」を埋めれる犬や猫だから。草薙素子の代用品として正しく機能している存在がイノセンスのバトーの横にいるなら「早く戻ってきたらいいね〜」ってみてられた。

でも実際のところバトーの横にいるのは老犬(ガブリエルって名前らしい)で、この子はめちゃくちゃ世話がかかるし靴を汚すし部屋をクッションだらけにするようなわがままだしバトーが寝てると問答無用で胸の上に乗ってきて顔を舐めたりする。これらの明らかに「バトーが甘やかしてるので」と言わんばかりの態度がずっとわんちゃんから発せられるの、完全にどうにかなってしまう。

だってバトーの他者への愛情とか奉仕とか気遣いってこのガブリエルレベルじゃないと受け止めきれないし、バトー側も満たされないってことじゃないですか…?

ガブリエルは明らかに草薙素子がいなくなってから引き取ってるので「手のかかる犬である」のは承知の上で家に入れていて、そんなすごい手間がかかって甘えたで自分の生活がこの犬中心に回るのにバトーから不満の一つもでてないの、バトーの他者への情の向け方が犬の形をして画面を歩き回っているようなもん。

身内と認識したらかなり面倒見がいい男が惚れ込んでるのが誰の助けも必要としてないのに自分の「足りなさ」には自覚的だから必要な時だけ頼る女なことを2作かけてわからされてしまった。つまりこう、バトーにとって草薙素子って絶対ファムファタルというかかなり女の形をした人生の特異点なんだけどバトーにとっての運命の女ではない、というのがめちゃくちゃいい。

出会ったから草薙素子について行ってるけど、ちゃんと自分の在り方に向き合うなら絶対に草薙素子ではないし、草薙素子としてもそれを受け取れるような人間ではないのを承知で最高の相棒をやっている2人が一作目で「そうだったね」とお互いに認めてさよならを言ったのが今作だった。

あ〜!!!!!!!!性癖すぎて困る!!!!
イノセンスは映像美とかをみに行って、実際に最高の映像だったんだけどその手前のバトーと素子の関係でえらい傷を負ってる。

だって、バトーってそもそもトグサとかなり性質が近くて他人の隣にいれるしいたいと思ってるけどトグサほど強くないというか臆病なところがあってなんでもない人間を自分の生き方に巻き込めない殊勝さがあるから1人だし、巻き込んでも大丈夫な上に逆に自分をどこかに連れて行ってくれるから9課をやっている。

バトーは絶対に子持ちにはなれないし、それどころか世帯を持つことさえ躊躇う男が本質的には誠心誠意尽くすし世話を焼くし心配してどこにでも探しに来るし生活の中心を「誰か」にできるだけの柔軟さがあるの、あまりに人生が不器用すぎて最高。ここに当てはまるピッタリの人はどこかにいるかもしれないけど、少なくとも勝手に死んだりはしなさそうな他人としての草薙素子は尽くしたりなんだりを受け取らない女なのでバトーってイノセンスではずっと寡夫みたいな雰囲気を醸し出してる。

でもバトーって草薙素子が誰にも変えられることがなくて自分の在り方とかゴーストのことについてずっと悩んでて苦しんでて人に踏み込むのがちょっと怖いのにめちゃくちゃ強いから前線を走り回って真実を自分の手で掴もうとするところがめちゃくちゃ好きで…好きというか…他人として最上の敬意を払っていて…この人を人生の真理としてやって行ってもいいと思うくらいには信用してるけどイノセンスに置いてはその思いは遂げられることなく終わってしまう。最高…もうだいぶ無理…想ってるから、慕ってるからと言って同じ思いや望む向きの感情が返ってくるわけではないし、そうだとしてもお互いが唯一無二だと言い切る映画、最高すぎる。

ガブリエルへの懇切丁寧な世話焼き描写もめちゃくちゃよかった。ご飯を食べようとする時に長くてたゆたゆの耳が汚れないようにそっと手で避けてあげるところとか悲鳴が出た。それにガブリエルは何人かの人間に抱っこされてるんだけどあの抵抗のしなさは年齢もあるけど常日どころ抱っこされてる犬の顔だったし、顔を舐めるのも駆け寄るのも躊躇いがないのもいつも飼い主を構いまくってる犬のそれだった。イノセンス、機械や人形の「知らないけど地に足ついた物理の動きをする」描写と人間や動物の「知ってる生き物の動き」の描写に違いがなく、ガブリエルの皮膚のたるみの動きと大きな人形が歩き回る空気感が完全に同じ世界のものとして描写される変態の描写力があるのでどの描写も信用できる。

ジャケット

草薙素子の裸体の貴重さは前回からバトーの態度のみが担保してる、と思ってたけどここまでとは思わなかった。舐めてた。

攻殻機動隊シリーズを見るたびに思うんだけど、草薙素子って紅一点とかヒロインではなく女主人公というか主人公が1/2の確率で女だった、みたいな空気がある。

めちゃくちゃキモい言い方しかできないんだけど、草薙素子の裸体って…嬉しくないんですよね…。ヒロインとか女性の脱衣ってどうであれサービスショットとしての役割を果たしてしまうところあると思うんですけど、草薙素子って脱いでもあんまり嬉しくなくて…脱いだね…で終わってしまうんだけどバトーだけが目を逸らしたりするから「確かに女性の裸体でしたね…!!」ってなってる。

これも「バトーは草薙素子に好意を持ってるから」で片付けてたんだけど今回でだいぶ印象が変わった。

バトーは草薙素子の”ゴースト”にジャケットを羽織らせてる。

イノセンスのあのシーン、「肉体ではなくその人の精神に敬意を払っている」という表現としてこれ以上ない。

あの人形は草薙素子の肉体ではないし、もっと言えばあの時点の草薙素子はもう「一個人」として存在できるかも怪しいんだけど、それでも自分の前に現れて草薙素子を名乗り、自分もそうだと認識した存在を裸ではいさせられないし相棒に敬意を払う男、あまりにもいい。

草薙素子もバトーの諸々の感情を分かった上で応えられないから気付かないふりをしていると思うんだけど、それでも「お前は変わらないな」とこの行為に関しては口にしてくれるのがお互いの距離の妥協点だったと思う。彼らはお互いに相棒以外の名前のついた何かにはなれないけど、自分ではない他者として唯一無二だから敬意を払うしそれを受け入れている。

それにここに至る前のトグサとバトーとの会話との温度の違いもすごかった。よその作品に比べたらかなりハイテンポに粋な会話が繰り広げられて引用もかっこいいんだけど、草薙素子とバトーの会話はトグサとのそれと違ってめちゃくちゃ滑らかだし応酬も綺麗に決まっていた。あまりに「見せつけられて」いる。

ラスト、「インターネットに繋げばいつでも私がそばにいる」という言葉、最大限の愛情だったと思う。バトーは言わないまでもどんな形でもいいから肉体として草薙素子にそばにいて欲しくて、でも草薙素子のあり方はこの映画のラストが1番相応しいと本人が自覚しているからこその「そばに」だったと思う。

途中でバトーが「幸福はゴーストの数だけ」というシーンがあるんだけどあのセリフのことを草薙素子とバトー自身の幸福のあり方のすれ違いを改めて言い聞かせているように聞こえたのでそこから「そばに」って草薙素子が歩み寄りをしたのだいぶ感動した。愛だった。

竹中直人?!!!!?スタジオジブリ?!!?

エンドロールでマグさんと2人で「竹中直人?」「竹中直人!?!!」「スタジオジブリ!!!!??」になってた。

そりゃあ、高笑いの天才に高笑いをしてもらい、胡乱セリフの名人に胡乱セリフを言ってもらえるならこれ以上ないし、書き込みのすごい背景をやりたい時にスタジオジブリには来て欲しいですけど、みんなできないから色々やっててさ…??そんなことできるならみんなやってて…そんな…。

攻殻機動隊、基本的にニュアンスと雰囲気を浴びる映画だけど何故かキムの言ってることだけ異様にわかりやすくてびっくりした。あれ何なんだろう、人形になりたいからこそ人間の在り方を明確に語るおかしさとかだったんだろうか。

とにかく…バトーにめちゃくちゃにされました…よかった…ありがとうございます

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