死にたくなる夏画像botが、たまに「Media not displayd」になるエモさについて

 Twitterに、死にたくなる夏画像bot(https://twitter.com/natu_gazou)という、架空の夏の思い出に浸れる画像を投稿し続けるbotがあります。たまに、このbotが「Media not displayed」になる画像を投稿することがあるんですが、僕はその瞬間をすごく好きなんですね。もしかすると、普通に日本の田舎の夏の写真を投稿するよりも、好きかもしれない。
 でも、何故、僕は「Media not displayed」になった画像が好きなんだろう…と考えてみると、他の人に一言で説明しづらいんですよね。だから、思考メモとしてここにまとめてみます。

 そもそも、夏の画像を見てなぜ死にたくなるのか。普通、夏の画像を集めたbotだと、「懐かしい夏の画像bot」とか「ノスタルジックな夏の画像bot」とか、そういう名前でいいと思うんですよね。貼られている夏の画像には、ノスタルジックな要素は含まれているけれど、特に死にたくなる要素は含まれていません。
 死にたくなる要素が含まれているのは、夏の画像を見ているフォロワー側の事情なんです。既に過ぎ去った過去としての青春、体験したかったのに手が届かなかった願望としての夏…そういう夏の要素をあのbotが投稿している画像から見出してしまう。"あの夏"が過ぎ去った現在の視点から過去の夏画像を見て、もう手が届かなくて願望と後悔が混ざった死にたさを感じる。
 だから、"死にたくなる"夏画像botという名前からして、手の届かない夏への後悔と感傷に浸れる人をフォロワーとして想定しているんですよね。「懐かしい夏の画像bot」だと、過去への感傷に必死さが足りない。
 未だに"あの夏に戻りたく"なるのに、僕らができるのは戻ることではない。せめてツイートをRTして、同じ感傷罹患者に届けることしかできないんです。

 その上で、死にたくなるほど焦がれていた夏の画像が「Media not displayed」になった場合、どのような意味になるのか。もちろん、bot製作者が間違って画像を削除したまま気がついていないというオチもありますが、そういう無粋な事情は置いておきます。
 このbot製作者も夏画像を見て戻りたいけど戻れない、死にたくなる側の人だと思うんですね。戻ることはできないけれど、せめて思い出の画像を元にbotを作成して、Twitter中に拡散することで思い出を残そうとする。
 それなのに、"死にたくなる"ほど焦がれていた夏の画像すら消えてしまう。その現象に、僕はbot製作者の記憶を見出してしまうんですよ。ただ一つの画像の欠落から、今後は他の戻りたかった夏画像も消えていき、最終的には戻りたい情熱も消えてしまうんじゃないか。そういう人間が年老いて記憶が消えていく過程を、「Media not displayed」という現象から見出してしまうんです。それでもこのbotは、既に消えている夏画像を投稿し続ける。きっと、記憶から夏の光景が失われても、戻りたいという意思までは失われていないんだろうな…(いや、妄想なんですけど)

 青春と呼ばれる季節は短く、気がついたら過ぎ去ってしまう。でも、感傷に浸れる対象の記憶すら、いつのまにか「Media not displayed」になってしまう。僕らが"あの夏"への感傷に浸る行為も、同じように過ぎ去っていく儚いものなんじゃないかな。
 そういうことを考えてしまうので、僕は死にたくなる夏画像botがたまに「Media not displayed」になる現象が好きですね。

 同じように、XVideosのエロ動画が「This Video Has Been Deleted」となる現象もエモいのか5秒くらい真面目に考えてみたんですが、多分、感傷の前に怒りがきますね。うん、無理。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?