『天気の子』と「正しくない」選択の話
『天気の子』の帆高の選択の正しくなさの話は、観客視点で見ていると「少女一人と東京のどちらを取るのか?」という選択になるけど、帆高は観客ではない登場人物だから、少女一人の重みは観客と全く異なると思うんですよね。
つまり、前提が異なるのに、観客視点のトロッコ問題を用いて、帆高の選択を正しい正しくないと観客が判断できるのかという点が気になっています。抽象的な「少女」ではなく、「自分が愛する恋人や家族と、その他の有象無象のどちらを選ぶか?」という問題だと、「正しい」選択をすぐに選べる