Twitter個人史(2007年〜2023年)

 7月からTwitterで閲覧制限がかかるようになり、他のSNSへの移民も増えた。それに関連して、音楽ライターの伏見瞬さんがTwitterに関する個人史の記事を書いており、面白かったので自分も書いてみようと思った。

https://iwasonlyjoking.hatenablog.com/entry/2023/07/04/233132

 私がTwitterに登録したのは2007年5月だから、もう今年で16年もTwitterをしていることになる。小学校から大学卒業までストレートで過ぎたのと、同じだけの年月を経ているのだ。そう考えると、過ぎていった時間の長さと早さに驚いてしまう。
 中学や大学などは卒業式という儀式があるからこそ、過ごしてきた日々が終わったことを意識できる。ある意味では、RPGでそれまでの冒険を記憶媒体にセーブすることで、ゲームを止めて他の作業を行うことができるのと似ているのかもしれない。

 ところが、大学卒業式以降は、基本的にそういう儀式に参加する機会が少なくなる。様々なライフステージごとに、結婚式や子供の入学式や親の葬式などがあるものの、基本的に自分の意志で過去をセーブしないと、過去は過去ではなく「本人の中だけで長く続いた現在」となってしまう。客観的な過去と主観的な過去は異なり、私も2009年頃のTwitterの雰囲気を思い出すと、それが過去のことだとあまり思えなくなってしまう。

 イーロン・マスクがTwitterに関わるようになってからユーザー無視の意味不明な仕様変更が続き、それに対する怒りはある。ただ、それはそれとして、16年も続けたことに対して、一度、過去を過去とするためにセーブするのは良い機会だ。
 これはそのための記事だ。セーブの後、Twitterを続けるにせよ、他の分散型SNSに移るにせよ。

2.

 私がTwitterを始めたのは2007年だが、実際にはそこから2年程度は他人の呟きを読むだけで、自分からはほとんどツイートをしていない。というのも、当時の自分はスマホを持っておらず、Twitterを読み書きするのは自宅のデスクトップパソコンからだった。
「いまどうしてる?」と言われても、「mixiでマイミクの記事を読みつつ、ニコニコ動画でMAD動画を垂れ流しながら、ニヤニヤ笑って麦茶を飲んでいる」以外の状況がない。
 いわゆるガラケーも当時持っていたものの、他の人のツイートを流れるように読むにはあまり適していなかった記憶がある。ボタンを押すと餌が出るマシンに夢中になった猿のように、タイムラインを何度も更新したがる人間には、ガラケーでは物足りない。
 2009年6月26日にiPhone3GSが発売されたのをキッカケにスマホユーザーが増えてから、外出先でインターネットに接続することも一般的になっていった。それ以前は、まだ自分もインターネットは自宅のパソコンが中心で、外出中も携帯機器経由でネットに常時接続という状況ではなかったと記憶している。当時は電車の中で文庫本を読むか、目を閉じて妄想するか、といったことに明け暮れていた。

「いまどうしてる?」というTwitterの何気ない書き込みは、スマホを片手に外を散歩して、ふと思いついたことをメモ書きできる環境でこそ真価を発揮する。2007年から2008年にかけて、自分はTwitterのユーザーであるにも関わらず、これが流行することに懐疑的だった。「有名人が自分の日常を呟くならともかく、一般人の日常なんて面白いわけないだろう」みたいなことを考えていた。

 今から考えると、とんでもない非見識だ。
 当時はmixiで記事を書いてはいたものの、まだ自分はネットで文章を書くことよりも、読むことの比率が高かった。20代の頃まで「俺が何を書いても、それを本当に共感してくれる人は一人もいない」……自分はエイリアンなんじゃないかという謎の疎外感と諦念に取り憑かれており、mixiにしろ2ちゃんねるにしろ、そこで文章を読むことを中心にインターネットを捉えていた。誰にも届かない文章なら、書く必要はない。自分の頭の中に閉じ込めておけばいい。
 だから、Twitterのツイートに対しても、主に自分が書くのではなく、他人の呟きを読むことを念頭に置いていたのだ。

 ブログにしろ、mixiにしろ、記事は他人に読まれることを前提に書かれる。記事が公開される過程で、いくつもの思考がこぼれ落ちていく。Twitterは、まさに他人に読まれることを前提としていない独り言を共有し、読むのではなく繋がることの楽しさを教えてくれたネットワービスだったと思う。
 深夜二時頃になると、ニュースに対する言及記事も少なくなる。その時間まで起きているフォロワーが呟く内容は独特だ。もう、誰の目も気にしなくていい環境は、その人にとって「本当のこと」を呟くのに適しているからだ。そのツイートに対して直接リプライはせず、「わかる」という気持ちを籠めてふぁぼる。そういうゆるい繋がりをネット上で実現できたのは、Twitterが最初だったのかもしれない。

3.

 自分にとって最もTwitterが楽しかったのは、2009年から2014年にかけてだった。
 iPhone3GSを購入したことと、2000年代終盤に大学を卒業して就職後にストレスが増したのも相まって、ツイ廃になってしまった。
 タイムラインが面白くなるように、分野を問わず少しでも面白そうなダメ人間がいたらフォローするようになった。「おまえ、おもしれークズだな」と感じた人を無作為にどんどんフォローしていったら、文学、哲学、プログラマ、数学の4パターンに大体収束してしまったのは、自分でも想定していなかったが。

 私も大学時代に文学や映画のサークルに所属していたものの、大学卒業後は学生時代の友人がバラバラの場所で就職するようになり、小説や漫画や映画について語れる相手が激減してしまった。そのぽっかりとした穴に、Twitterで知り合った人達との深夜の交流は噛み合わせがとても良かったのだ。

 今となっては瓦解しているものの、2010年代前半に自分は「深夜クラスタ」というTwitterの界隈にいた。
 通常だと、クラスタの名前にはその人たちの専門分野(映画クラスタなり、法学クラスタなり)がつくはずだが、「深夜クラスタ」は「深夜まで起きているツイ廃」くらいの意味で参加資格がとてもゆるく、文学にしろ哲学にしろ法学にしろ様々な分野の人が集まって深夜二時頃までツイートしたり、Skypeで会話したりするのが楽しかった。

「深夜クラスタ」の人たちが、エアリプを多用していたのを何となく覚えている。エアリプとは、ある人のツイートに対して直接リプライをせず、独り言形式でツイートすることだ。
 今となっては、皮肉や当て擦り、勘違いした見知らぬ人からクソリプが飛んできたりと面倒臭い事態の原因となりかねない行為だが、当時はTwitterのユーザー数も少なく、フォロー外へリプライする人もまだそんなにいなかった。
 むしろ、一見、エアリプに見えないツイートが、実は自分宛のエアリプであることを確認するゲーム的要素があり、また直接リプライと違って返信をしなかったとしても「見落としてしまった」と言い訳するだけの余地もある。
 都合が良くて楽しい交流だった。

 当時も様々な人と交流したが、畏敬の念を持っている友人として、いぶりぃさん(@iwri)をあげておきたい。
 いぶりぃさんはドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデに大変造詣が深い方で、Twitterでエンデbotの管理人をしている。幼少期に児童文学をあまり読める環境ではなく、日本昔話ばかりを読んでいて一番好きな昔話は『かちかち山』という児童文学に疎い自分でも、文学にしろ漫画にしろアニメにしろ政治にしろ、何の話をしても時間を忘れて深夜まで面白い会話のできる、懐の深い人だった。今でもたまに、お互いを煽りながらネット麻雀をしている。

 彼を中心に話していて何とも心地良かったのは、「働きたくないよね」という話を当たり前のように話せることだった。会社の同僚に対して「働きたくない」という話はなかなかできないし、「働きたくないよね」「俺はもうダメだ」という会話を居酒屋で楽しく話せた大学時代の友人とも、日常的に会う機会があるわけではない。
 昼間は会社で働きつつ、帰宅後に深夜二時頃まで「働きたくないよね」と言いながら、その時々に読んだ本や映画やアニメに関する話を延々とする。ある意味では、Twitterという公開された環境にも関わらず、部室的な居心地の良さがあった。

「深夜クラスタ」に限らず、当時のTwitterはまだまだそのような部室的な居心地の良さ、プライベートの独り言を呟ける懐の広さがあった。
 2010年に日本語版Twitterでリツイート機能が公式採用され、2011年の東日本大震災での情報収集が使われてから、日本においてTwitterは情報収集/発信の巨大なプラットフォームとして定着していった。2013年にステーキハウス店員が店舗の冷蔵庫の中に入った写真を公開して炎上した事件があり、その延長線上に炎上と議論の続く、現在のパブリックなTwitterがある。

 ただ、2010年代前半のTwitterは、まだまだ苦渋に満ちた独り言や、捻りに捻ったネタツイートをボソボソと呟くアカウントが多かった。中には、誰とも交流せずに独り言をタイムラインに投稿するだけのアカウントも、結構いた。
 私にとってのTwitterとは、直接リプライや引用リツイートで見知らぬ人と議論をするのではなく、まさに「俺が何を書いても、それを本当に共感してくれる人は一人もいない」と考えているような独り言を呟き、それに対して「わかる」という反応が返ってくる「かもしれない」深夜のインターネットだ。

 この独り言(プライベート)と議論(パブリック)の二つの軸がTwitterにあり、前者の領域がジワジワと削られていき、後者の領域が増えていった。Twitterの歴史をまとめると、そういう大きな流れがあったように感じる。
 2011年の東日本大震災のように政治的発言が増えるキッカケとなった出来事もあったが、何かの出来事をキッカケに変わったというよりも、ジワジワと変質していったように感じる。その流れの末に現在のTwitterがある。
 そうなった原因として、Twitterのユーザー数の増加や、2010年代で日本の衰退が行き着くところまで行き着いたと実感するようになったこともあるだろう。
 自分はあまりTwitterで議論も政治的発言も好まない……というよりも、それをキッカケとして、上記の独り言を呟く環境としてのTwitterが崩れることを厭っているのだと思う。

 私見ではあるが、Twitterはツイートを拡散することには向いていても、他人と議論することには向かない。文章が140文字に分断されている点もそうだが、それ以上にTwitterで相互フォローではない人と話しても、相手を複数の属性を持つ一人の人間ではなく、一つの属性として捉えがちという問題がある。その属性はジェンダーだったり、国籍だったり、趣味嗜好だったりする。
 一度、相手に対してそういう見方をするようになると、相手に対する立場を超えた敬意は失われ、単に勝ち負けを決めるための議論になりがちである。
「お前は○○だから、こうに違いない」という話に付き合っても良い気分にはならない。

4.

 2015年のTwitterと言えば、自分の中ではアニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』(以下、『ここさけ』)にどハマりしてしまい、それをキッカケに『ここさけ』の舞台である秩父へ聖地巡礼が増えたことが大きい。

『ここさけ』を半年間で30回ほど劇場に観に行ったり、同人アニメ批評誌の編集長をしているNagさんに誘われて、『ここさけ』に関する感想記事を執筆して同人誌デビューしたりと、自分の人生に与えた影響は大きい。
この頃は半年の間、本当に『ここさけ』に関するツイートしかしていなかったので、地元に帰省した時に幼馴染のオタクの友人に「お前、大丈夫か?」と心配されたのを今でも覚えている。
(同作に自分が魅力を感じている点は、同人誌を転載したNote記事や当時のツイートなどで散々書いた上に、本記事の趣旨からはだいぶ逸れるのでここでは書かない)

 最も大きな影響は、『ここさけ』の聖地巡礼をキッカケに、全国のアニメやエロゲーの舞台となった、または「架空の青春もののアニメの舞台になりそうな田舎」を旅行するようになったことだろう。
 2017年にTwitterの友人の渇水さんと瑠夏さん(二人とも鍵垢なので、IDは書かない)と三人で、千葉県の大多喜を旅行した時に、いすみ鉄道の「ここには何もないがあります。」と書かれた田んぼと青空、ローカル線のポスターが大多喜駅に貼られており、その内容に凄まじい衝撃を受けた。

 元々、私は千葉県に生まれ育ったものの、20代の頃は千葉には「何もない」と考えていて、故郷に対して自虐と愛憎の入り混じった感情を持っていた。
 私の生まれ育った土地は千葉市ではあるものの、父親の故郷は「何もない」田舎であり、年忌法要のために訪れると野菜の天ぷらや根菜とこんにゃくの煮物がご馳走、という感じの場所だった。私事なので詳しいことは書かないが、私は父親との関係にかなり問題を抱えていて、父親の出身の「何もない」場所にも父親の影を見てしまい、否定的に捉えていた。
 ただ、そのポスターでは、まさに「何もない」こそがあると書かれていた。これは自分の認識の根本を覆すようなキャッチコピーで、それをキッカケに「そうか……何もないがある状態もありえるのか」と考えて、京都や奈良のような有名な観光地ばかりではなく、全国の田舎を旅行することになった。
 元々、『腐り姫』や『果てしなく青い、この空の下で…。』のような、田舎が舞台の伝奇エロゲーが大好きだったので、初めはそういった作品の聖地巡礼をしていた。そのうち、参照元の作品がなかったとしても、「架空の青春もののアニメの舞台になりそうな田舎」を旅行すれば、満足できるようになった。

 おそらく、有名観光地よりも田舎の旅館や秘境温泉などを旅行して、その写真をTwitterに投稿する人たちをフォローし始めたのは2010年代終盤以降だと思う。この頃から、旅行先の旅館で畳の上に寝転がりながら、ノスタルジーについて考える機会が徐々に増えていった。
 元々、学生時代の頃に浅草で一人暮らししていたこともあり、銭湯や純喫茶、古い洋食、神社やお寺などは昔から好きだったが、それらは自分の生まれ故郷である埋立地付近の住宅ではなく、歴史の深い建築物だから好んでいた。
 つまり、ノスタルジーではなく、「歴史の深い」という自分の故郷にはない要素に魅力を感じていた。自分の故郷は東京湾の埋立地沿いであり、数十年も遡れば土地どころか海の中でしかなく、大した歴史の蓄積がない。
(埋立地にはサイバーパンクと関連した面白さもあるので、それはそれで好きではあるが)

 この頃から、Twitterに対してある種の捻れが起こるようになった。
 2010年代前半までは、会社での仕事のストレスが現実であり、「ここではないどこか」としてのTwitterは、理想的なネット上の交流を実現できる環境だった。だが、Twitter上で炎上やクソリプ、引用リツイートなども増えてきて、徐々に楽しい環境ではなくなっていった。

 つまり、現実こそが現実であり、Twitterこそが楽しいインターネットだった2010年代前半と比較すると、Twitterこそが現実であり、現実こそが楽しいインターネットであるという捻れが2010年代後半から定着していった。
 正直今でも、TwitterをしているよりもTwitterで知り合ったオタクとオフ会をしている方が、オフラインの「インターネット」をしている感覚があるのだ。今年の3月に20人以上のTwitterのオタクを集めて、羊の丸焼きを食べる会を主催した時も、そう感じた。
 この捻れの延長線上に、自分が旅行する機会が増えたのだと思う。
 元々、私は漫画やアニメや映画を観たり、Twitterをしているだけで楽しいインドア派の人間だったはずが、2010年代後半以降は秘湯温泉を旅行している方が楽しいアウトドア派の人間になってしまった。
「こんなインターネットなんて放っておいて、ここではないどこかに行きたい」……そういう気分になったのだ。

5.

 2018年に初めての同人誌『感傷マゾvol.01』(https://note.com/kansyo_maso/n/n365a0a449a89)を作った時も、この捻れが反映されている。もしも2010年代前半から同人誌制作をしていたら、全く異なる内容になっていたと思う。

 学生時代からの友人であるみそしる君(@sssgmiso)に、「2018年秋の文学フリマに向けて、お互いに同人誌を作ってみようぜ」と誘われた時は、実はかなりネタに困っていた。
 全くネタがなかったので、当時の自分の周辺でネットミーム的に話していた「感傷マゾ」について、同じく学生時代からの友人のスケアさん(@scarecrowFK)をはじめ、Twitter経由の友人であるたそがれさん(@tasogarexerion)やかがみんさん(@NKJ8906)にお願いして急遽座談会を開催して、それを同人誌にした。
 当初は、「内輪のネットミームに関する座談会本なんて、全然売れないんじゃないか……」と心配で心配で胸が痛かったものの、おかげ様で自分の想定をはるかに超える範囲で話題になり、文フリ当日も完売した。

 その後も何となく合同誌形式で感傷マゾ本の制作を続けていたが、vol.03『架空のノスタルジー特集号』に正しささん(@verygoodreality)が寄稿して下さった小説『exponential』が大変面白く、「こんな傑作を同人誌に掲載しても良いのかな……」と心配になった。

 元々、「感傷マゾの合同誌を作り続ければ、いずれジャンルとして完成して、Pixivや小説家になろうなどで自分好みの作品を読めるようになるのかも」という願望があったものの、同人誌はジャンル化のための手段であって目的ではなかった。正しささんの小説があったからこそ、「同人誌を作るのも結構楽しいな」と思えるようになったし、次第に同人誌は手段ではなく目的へすり替わっていった。
 vol.04『VRと感傷特集号』から、最終号のvol.07『仮想感傷と未来特集号』までは、まさにジャンル化よりも同人誌制作の方が目的となった時期だ。
 VR、終末もの、怪談と幽霊、旅行、音楽など、様々なテーマとノスタルジーを絡めて語るのが、とても楽しかった。

 今考えてみると、2010年代後半は日本の衰退が決定づけられると共に、2016年の新海誠『君の名は。』をキッカケに、時代の潮流としてノスタルジックでエモいものに対する感性が勃興してきた時期だったのだろう。元々はただの内輪のネットミームに過ぎない「感傷マゾ」が自分の予想以上に拡散したのも、そういう感性に対して訴えかける何かが、偶然あったのだと思う。

(2010年代の日本にノスタルジーと政治的発言が共に増えてきたのは、日本の衰退という同根に対して、異なる反応を示しているように感じる。本記事とは関係ない話だが、両者を組み合わせると、大抵はろくでもない結果にしかならないと考えている。どうせ、東京オリンピックや大阪万博のように、栄えていたあの頃を再現して、今後の繁栄に繋げようみたいなカーゴカルトめいた儀式になるだろう。ただ、国単位でのノスタルジーと政治に関して私は冷めた視線を向けているが、それがもっと小さな町単位、村単位となると、今でもなかなか答えは出ない。かつて栄えていた炭鉱や鉱山が没落し、その頃を思い出す観光地として続いている例もある。足尾銅山を訪れた時も、そういう観光施設があった。こういう場所に行くと、自分は矛盾だらけになってしまう。衰退した町で人が暮らしていく限り、ノスタルジーは生きる糧となっている場合もある。もしも、日本全国がもっと衰退して、巨大な足尾銅山のようになってしまったら、どうなるのか。そこでノスタルジーそのものを否定するのは、まだ衰退していない都市に住む未来ある人間の特権のように感じて反発したくなるものの、自分でもどう考えるのが正しいのか、答えが出ていない)

 私がノスタルジーに関して感じている不満として、「ジャンル別に分断され過ぎ」というものがある。
 ヴェイパーウェイヴやシティポップなどの音楽におけるノスタルジーや、VRにおけるワールド、鄙びた旅館や田舎への旅行、青春もののアニメやライトノベル。それらはノスタルジーという点で共通点があるものの、それらの分野を跨った観点で何かを語る人は少ない点が気になっていた。もっと、ジャンル横断的に捉えれば、さらに面白い観点が出てくるかもしれないのに……と。
 その不満をただツイートするのではなく、その投影先として「感傷マゾ」という同人誌を制作できたのは幸福だった。

 また、vol.06『少女という名の幽霊特集号』に小説を寄稿してくれた当時は高校生だったペシミさん(@pessimstkohan)が、大学入学後に大阪大学感傷マゾ研究会(@kansyomazo)を設立したのも、Twitterがなかったら経験できないことだった。
 今だから言えるけど、自分が作り上げたネットミームに関する大学サークルが設立されることに対して、途轍もない羞恥心があった。「青春を自虐と共に懐古するなんて20代後半になってからでも出来るんだから、大学生である今やらなくてもいいのでは」という気持ちもあった。
 ただ、「彼ら彼女らが自分達の青春をどう捉えるのかは、その人たちの自由であって、自分があまり口出すことではないな」とも思ったので、基本的に自由にやってくださいという気持ちが強い。
 結果的にそのスタンスで良かったのだと思う。ペシミさんには、編集とワーカホリックの才能があり(後者に関しては、壊れる前に適度に旅行をして発散してください)、「エモい」特集や「VTuber」特集のように、現在の大学生の観点で優れた同人誌を制作し続けている。

6.

 こうして自分のTwitter個人史を振り返ってみると、思ったよりも長くなってしまったし、まだまだ書けることもあるなとも感じる。
 ただ、最後に一点だけ言いたいのは、良くも悪くもTwitterは2010年代から2020年代初頭にかけて巨大な公共空間だったということだ。
 今後、Twitter社以上の大企業であるMeta社のThreadsが、Twitterの代替となるかというと、そうは思えない。どうしてもInstagramの延長のように思えてしまう。
 MastodonやMisskey、Blueskyについても、それぞれのサービス、サーバごとにユーザー層が異なり、Twitterの代替にはなり得ない。
 バベルの塔の崩壊のように、もう二度とTwitterのような様々な人間が濁流のように集まり、交流し、時には喧嘩もする、謎の巨大環境は出てこないんじゃないかと考えてしまう。
 今後は、自分と似た人間同士でより集まって、バラバラの環境で住み分けするんじゃないかと。

 それは、とても居心地が良い環境だ。Twitterのように炎上と拡散のリスクは減り、安全にインターネットを楽しむことが出来るだろう。
 けれども、もうTwitterのように、自分と方向性が違っていても会話が盛り上がる誰かとの出会いは激減するんじゃないか。既にTwitterで築き上げた人間関係を他の分散型SNSで継続するだけで、貯金を切り崩して生活する老人のように生きていくのではないか。そういう心配は残っている。
 これは既にTwitterで人間関係を構築した人にとってもデメリットだが、それ以上にこれからSNSを始める人たちにとって強いデメリットになりうる。単純に、ユーザー数が少ないと出合いも少ないし、SNSを新規で始める人が複数のSNSを駆使するのは難しいだろう。
 私はインターネットに対して、居心地の良さと同時に、見知らぬ誰かとの出会いを求めている。一時期のTwitterには、その両方を満たすだけのポテンシャルがあった。
 今後も分散型SNSに限らず、どのようなネットサービスが登場するのか分からないが、その二つを満たすだけの懐の広さを兼ね備えたものであってほしいと願っている。



 最後に、Twitterを始めてから特に気に入っているツイートを何個か引用して、この記事を終える。

scarecrowFK(@scarecrowFK)
想像力は僕らを何処へでも連れていってくれるが、決して自由にはしてくれない
午前0:38 · 2014年6月11日

eufonir(@eufonir)
僕たちは絶望的な程の断絶を抱えていて、だからこそ一人一人に世界が与えられているという神話は考えられないのか
午後9:32 · 2010年5月18日

よっひー(@yohimaxa)
【祈りの言葉】私の口と手と身体は、誰かを突き放すためでなく、誰かと手を取り合うために存在しますように。私たちの口と手と身体は、誰かを突き放すためでなく、誰かと手を取り合うために存在しますように。私たちは、もっと助け合えますように。
午前0:07 · 2015年10月28日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?