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ガチ料理は裏切らない。まだ見ぬ孫へのレシピ130〜

20年後も意識した、厳しくも優しいレシピ

ガチ中華にハマって3年が経とうとしている。

まずはビジュアルで、ハマった成果を一部見ていただきたい。

夫と共有しているレシピメモの検索窓に「老」と入れてみたら、ご覧の通りガチ中華が並んだ。「老」は老酒や老抽などで本場の中華料理によく登場する文字なので、それを拾ったのだ。

台北にて、地元民で連日賑わう「天津蔥抓餅」というお店で初めて口にし、
あまりのおいしさに驚嘆した葱抓餅を再現。
あのまんまの味にはなかなかならないものの、かなりいい線。

日本の郷土料理も含めた各国のガチレシピは少しずつだが増えていき、130を超えて今も増加中。

タイトルに「まだ見ぬ孫」と書いたけど、ひとり息子は現在中学生なので、孫にいつ会えるのか、そもそも孫ができるのかどうかも不明だ。勝手に期待してごめんよ。

だがともかく、子や孫に見せても恥ずかしくないような、ある意味けっこう厳しくて、でもじつはメガネの奥で笑ってるみたいな優しさも内包している(と思う)。たとえば、普通のレシピにはないような詳細な情報、「醤油は鹿児島の○○」とか「オイスターソースはタイの○○」などと追記してみたり、欄外にはその料理の歴史について書いてみたり。

子や孫が何の予備知識もないままいつかこれを見たとしても、失敗なく確実においしく、そして誇りを持って楽しく作れるようなレシピを残したい。

ちなみに息子は料理好き。
得意料理は鯵のなめろうとローマのカルボナーラとアップルパイ。
わが子ながら振れ幅がすごいな。

ガチ中華っぷりが伝わりそうな2つを紹介しよう。

■甜酱油 ティエンジャンヨウ

最っ高に旨いラー油と思っていただければ。
これがあると、餃子はもちろん普通の冷や奴も途端に本格中華になる。
中国人の義姉に「これ、売って」と言われた。

■腊肉 ラーロウ

漬け込みダレは、醤油200ml、老抽50ml、水100mlに
ローリエ4枚、八角4個、桂皮1個、クローブ4つ、乾燥唐辛子 大さじ1、
花椒 小さじ1、砂糖大さじ4、茴香(フェンネル)小さじ1/2。
バルコニーに吊して干す(←シュールw)。
中国人義姉は「そんなのやってる知り合い、中国にもいないよ」と爆笑した。

ラーロウはそのまま食べてもよいが、野菜炒めが最高。

うちのガチ中華は本当に何を食べてもおいしいのだが(おいしくできたものだけをレシピ化しているからね)、現時点での5大お気に入りを絞ってみよう。

1枚目のやつ(トマトとフワフワ卵の炒め物)なんて想像以上に簡単で、困ったときはアレを一品追加!という、便利で美味な役どころだ。2枚目の雲白肉(ウンパイロウ/義姉に教わった正確な発音はユンパイロウに近い)も簡単&美味で、夏に重宝しそうなやつ。薄〜いきゅうりの切り方にもハマっている。

あれ、6つになっちゃった。本当は、麻婆豆腐も滑蛋蝦仁 (海老と卵)も豉油皇炒麵(香港焼きそば)も口水鶏(よだれ鶏)も、あれもこれも大好きだ。

重要なのは、5つや6つには到底絞れないほどにおいしいガチ中華が、日本にいながら普通に作れることだ。使用するスパイスや調味料はかなりの割合で共通しているので、後ほど紹介するディープな食材店に行けばすべてそろう。

中華に限ったことではない。ガチ料理は、その気があれば誰にでも作れる。
何しろそのレシピは一朝一夕で生まれたものではなく、綿々と受け継がれてきたものだから、私たちを決して裏切らないのだ。

人は、何をきっかけに料理にハマるかわからない

私が本場の料理、ここで言うガチ料理の価値を生まれて初めて実感したのは大学生のときだった。

母校の外語大には現時点で27の専攻言語があり(私の頃はもう少し少なかったか)、外部のお客さんも多数訪れる毎秋の「外語祭」では各語科の1年生が料理店を運営し、本場のガチ料理を提供するのが伝統だ。

私の専攻はマレーシア語。当時はまだ各国の調味料やスパイスが今ほど手に入る時代ではなく、マレー人の先生や大使館のみなさんにも協力していただき、Kari Ayam(Kari=カレー、Ayam=チキン)をメイン料理にした。今思いだしても「おいしかったよなー、あれ」と思える味だった。

マレーシアのKari Ayamはココナッツミルクを使ったまろやかなコクが特徴だ。ガチに仕上げるにはkurma(クルマ)などのスパイスミックスが必須だが、当時は普通に手に入るものではなく、確かマレー人の先生にわけていただいて使っていたと思う。

一度、自分用にクルマなしで作ってみたことがあった。

物足りなかった。

まずくはないけど、Kari Ayamではない。せっかく作ったのにな…と、妙にへこんでしまったのを覚えている。

そう、仮にクルマを入れなかったとしても、決してまずいわけではないのだ。お店で出されても普通に通用するだろうなというレベルではあった。が、クルマを入れた味を知ってしまった以上、もう元には戻れない。

本場のスパイスさえ使えば、確実にあの美味しさになる。ガチだからといって手間が増えるわけではないし、「物足りないから何かで調整しなきゃ」とあれこれ足したり引いたりする必要がない分、むしろ楽だ。せっかく作ったのにな、と結果に落胆する心配ももちろんない。

大学生の私は、そうしてガチの真髄を垣間見る機会を得ていたのだが、真の価値を心底認識するにはまだ経験が足りなさすぎた。

でも、若き日の教訓って、そのときはあまり意味を感じないものだ。いくつかの点がいつの間にか線になっていくように、あるときふと「あぁ、あのときのあれが今の私のこれにつながっているわけかぁ」と膝を打つことがある。ガチ料理との出会いも、今になって「あれが原点だったんだな」と思ってみたりする。

マレーシアやバリ島(インドネシア)で何度も食べたサテ・アヤム。
東南アジアの調味料も簡単に入手できる時代になったので、サテも簡単に作れる。
で。今気づいたのだが、Kari Ayamはまだわが家のレシピに入っていない…! 
完成させねば。

本場の味を保証する、ディープな食材店はどこにある?

頭の中がマレーシアに飛んでしまったが、話を中国に戻そう。私がガチ中華にハマったきっかけは池袋北口である。

降りたことがあるだろうか、北口。東口の華やかさとは相当なギャップがあり、とにかくチャイナ。といっても横浜中華街のような一大観光エリアというわけではなく、この界隈に在日中国人が増え、その人たち向けの商店や飲食店が増えた結果だ。だからこそ、ガチ。

代表格は日本における中華食材の雄・友誼商店。雑居ビルのワンフロアでディープな食材店を展開するほか、同じビルでフードコート(友誼食府)もやっている。すぐ近くに「沸騰小吃城」という別企業のフードコートもできたし、このあたりは何だかもう「都内の中国」といった体だ。

カタコト日本語のおばちゃんに薦められたガチ中華惣菜を青島ビールで味わいながら「うぅぅぅ、うんまっ!なにこれ!?」と、今まで食べていた町中華とは明らかに違う本場の風味に圧倒された(町中華も大好きだけどね)。

同時に、「中華食材をこれだけ普通に買えるんなら、家でも作れるんじゃないの、ガチ中華」という予感もひしひしとしたのだ。

ちなみに池袋の友誼食府はけっこういつも混んでるけど(平日はまだいける)、2号店の立川店は土日でもちゃんと座れる日が多いので、わが家は立川IKEA→友誼食府というコースが多い。でも最近はそれ以上に大久保界隈に建ち並ぶガチ食材店が興味深く、池袋北口より楽しめるエリアが広範なこともあって、大のお気に入りだ。

以前、新大久保「イスラム横丁」の魅力について触れたが(ご参考までに▼)、

じつは大久保駅界隈の中華やベトナムあたりの食材を扱う小さな商店のガチっぷりも相当すごい。いずれこのへんの店も詳細にレポートせねばなるまい。

そうそう、息子と食べに行った神保町の「ビャンビャン麺」もなかなかのガチなので、おすすめ。

「キドウエ家のレシピ365」を目指して

「ガチ中華」という表現は、日本での本格中華の台頭を受け、「町中華」に対抗する文脈で流行した言い回しだ。が、元々中国には「正宗」という言い方がある。日本語でいえば正統派、本物といったところだろうか。たとえば四川正宗担々麺とは、つまり、本物の四川担々麺のことだ。

相当する言葉は、ほかの国にもある。英語だとauthentic(正真正銘の、本物の)、イタリア語ならautentico。tradizionaleも(伝統的な)も近いかもしれない。

伝統的とか正統派とか。言い換えるなら、おじいちゃんやおばあちゃんや、もっと前のご先祖様たちから面々と受け継がれてきた料理の手法。

正統や伝統は小難しいと思われがちだけど、お母さん、おばあちゃん、そのまたおばあちゃんたちが、子や孫やそのまた孫に伝えようと残してきたコツの結晶。それがガチの真髄だとしたら、これほどあたたかく、確実で、また、全力で守っていきたいと思えるものはないんじゃないかな。

海外の家庭料理を知ることは私にとってとてつもなく楽しいけれど、「でもなんかガチのイメージがわかないんだよね」という人がいたら、もっと身近なことを想像してみてほしい。

たとえば私の田舎にだって、守り続けたい郷土料理がある。
この岩国寿司もかなりガチだ。

錦帯橋付近の食堂では提供しているし、お惣菜として売っている店もあるようだが、一般家庭ではもうほとんど作られていない。母が私のために買ってくれた岩国寿司の木型も「売れることが珍しい」と農協の人が驚いたくらいだ。

このまま放置しておいたら、孫の代には「あぁ、過去にそういうお寿司があったらしいねぇ。ほら見てこの写真、こんなの作る人がいたんだってよ」なんてことになる可能性もある。こんなにも美しくおいしいお寿司なのに、そんなの寂しすぎるじゃないか。

誰もがひとつずつ、自分ちの郷土料理をガチで作れるようになったら、自分も子も孫も、お母さんもおばあちゃんもご先祖様もちょっとずつ幸せなんじゃないかなと思う。

各国の料理を作るとき。中華なら中国人のお母さんとかおばあちゃん、イタリアならマンマとかノンナとか、マレーシアならイブとかネネッとか、実在する人物でなくともなんとなくそういう感じのあたたかい存在を思い浮かべると、ガチの価値をより実感できる気もする。

とにもかくにも失敗なく確実においしく作れるからこそ、わが家のガチレシピは増える一方だ。

息子が一人暮らしをするようになったとき、大好物のあれやこれやを失敗なく作れるように、そして願わくばいつか結婚して子どもを授かり、その子が成長して自分の大好物を失敗なく作れるように、確実においしい結果をもたらすレシピをできるだけたくさん残したい。

最後に、中3息子の現時点での好物をランダムに挙げておこう。かなりバラエティ豊かだが、まだきちんとレシピ化していないものも多いことに気が付いた…! 

キドウエ家のレシピ、まずは200を、そしていずれは365のガチレシピ完成を目指してみたいと思う。

最後のこちらは、息子作。







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