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変わりたいと思った私は10万円分手放した

私は部屋が片付けられない。
事務所に入ったばかりの頃、危うく部屋が汚い人の特集に出されかけた。
私もそうだよという同調は非常に心強いけれど、部屋汚い界でも四天王級の強さを誇る私は曖昧に微笑む。
友達が来るときは自分なりに部屋を片付けているつもりだけど、汚いの閾値が違う私はよく人を引かせる。
部屋に来る友人らはよく部屋を片付けてくれる。弟は必ずマイスリッパを持参する。自宅取材の前にはお腹が痛くなるくらいストレスを感じて大泣きしながら徹夜で片付けて、最終的に今後の自宅取材をNGにしてもらった。
好きだった人がうちに来た時は滔々と説教して来て「ご飯は美味しいから許す」と言って来たので好きじゃない人を帰す羽目になった。反対に金髪ワンレンギャルの友人がひきつった笑顔で「お掃除してあげましょうか?私、得意なので」と言った時はきゅんとした。バイト先が閉店して数年経ったので彼女とはしばらく会っていないけれど、「多少高いですけど、ジェルボールしか勝たないですよ」という彼女の教えを忠実に守り、日々洗濯機にジェルボールを放り込んでいる。

部屋の汚い人は大体こんまりの『人生がときめく片づけの魔法』を持っている。私が出会った中で最も部屋が汚かった大学のサークルの先輩も持っていた。私も2冊もっている。決してこれはこんまりへの営業妨害ではない。誰かが良かれと思ってくれるから持っているのだ。実際、グルメ漫画を読んだ後のラーメンがすこぶる美味しいように片付けのモチベーションが上がることは間違いないのでたまに片付ける前に読んでいた。

部屋の汚さにも大きく分けてベタベタ派とゴチャゴチャ派の二種類(またはその混合)あるのだが、私は生ゴミはおかない派の雑然とした部屋に住む正統派ゴチャゴチャ部屋汚し妖怪である。最終進化系がゴミを集めてくるタイプのゴミ屋敷主人になるタイプだ。

ときめくかときめかないかで片付けをしても何も減らない。ときめくゴミの山に住んでいる妖精だと思ってほしい。部屋のスペースや収納に対して物の総量が多いため、どうやっても片付かないのだ。
小学校一年生から机やロッカーの汚さを問題視されていたし、私は部屋が片付けられないと思い込んでいた。ADHDだし。仕事と学業の両立でいっぱいいっぱいになっているし。元々気にならないたちだし。

十一面観音ではないという自覚を持たずにちょっとだけ色味の違う口紅やアイシャドウを見かけるたびに買い込んで、どうせ古いTシャツでしか行かない実験場と家を往復する引きこもりのくせにお洒落な服を買い込んでいる。私の思うお洒落は汎用性が低くて誰かの思う私のイメージに合わない。
メディアの仕事では私服の仕事であってもコンサバティブな服を着せられる。だから、本来の私なら選ばないキッチンペーパーやスポンジくらいにしかときめかない服を私服として買わざるを得ない。せっかく安くないお金をかけてキンキンになるまで色を抜いた髪を仕事のために黒く染めて安心される人間のコスプレをする。棘のついた靴を履いて人間工学に基づかない形の服を着て原色の髪をした生物オタクは情報量が多すぎるから。いつか私がどんな見た目でも気にされない時代はくるのかもしれないけど、少なくとも今はまだ損をする時代だ。自由な格好は許される時代だけど、それが許されるキャラクターはまだ全てに解禁されている訳じゃない。
その反動も手伝って私の部屋には、私が心ときめく目に痛いような物品がむせ返るほど溢れていた。
私の部屋は私の好きなもので溢れていたけど、初心者が積み上げたテトリスみたいな、床どころか壁も侵食されている空間に時々苦しくなった。
世界は素敵なものに溢れていて、ときめきを購買の基準にしていたらもう何もかも追いつかないのだ。私は買いたいものを探し続ける生活に疲れていた。

欲しい
必要
欲しくて必要

この三つの違いに気が付いたのは25歳になってからだった。

私は片付けられない私を捨てることにした。

変われると信じることはゆたかさの一つだと思う。私は変わりたい。片付けられない自分を責めて苦しむのも違うけれど、一生変われないと思わなくても良いと思う。

まず、それなりに値の張るけど、今の私には似合わない服は親友にあげたり、貸し出したりした。
とはいえ、そう高いものを持っている方ではない。200万円のものを1個か、20万円のものを10個か、2万円のものを100個か、2千円のものを1000個買えるとしたら、20万円のものを10個か2万円のものを100個買う人が多いと思うけど、私は2千円のものを1000個買ってしまうタイプだ。
恐らく、宝塚のDVDおよびBlu-rayが今持つ私の最大の財産である。これは欲しくて必要なものだ。その中でも何度も見返したい演目としばらく見ないであろう演目はあるけれど、私の人生はまだ長い。これから先いろいろなことがあって響く物語は変わってくるだろう。私は心に刺さった宝塚のDVDとこれから心に刺さるかもしれないDVDという宝を保持しているのだ。

私は10万円のものを手放すことにした。売上が10万円に達するまで、必要かどうかを自問自答してフリマサイトで売り払った。値のはるものは多くないのでかなり地道な作業となった。
福袋に入っていたけど、中々順番が回って来なさそうな化粧水
十分可愛がれていないぬいぐるみ
廃盤になると聞いて怯えて買い込んでしまった口紅
大人数で集まるほどの社交性はないのにある大人数対象のボードゲーム
飾っていることを忘れていた置物
可愛いから買ったけど似合わなかった服
手をつける目処が立たないゲーム
そんなものがいっぱいあった。一つ一つ見ると魅力的なのだけれど、今の私に必要かといえばそうではないのだ。

ちょうど1ヶ月前くらいから始めて9万2千円と目標額にあと一歩で迫るところまできた。本当は目標を達成してから書きたかったのだけれど、今日が締め切りだったので潔く途中で書くことを選んだ。元々書く予定ではあったけど、ぴったりのコンテストがたまたま開催されているのにわずかに逃してしまったという事実が生まれると書くのが億劫になってしまいそうだったからだ。

持っている物の総量が減って、残ったものも必要かどうかを何度も自問してゆくうちに自分が持っているものを把握できるようになった。物が減っているのにたくさん持っていた時よりもかえって買い足すものは減ったのだ。必要なものは身の回りに全て揃っていることを知って安心できたのだと思う。

欲しいものをあげていったらごく短いリストに収まった。
最高の手触りの新しいバスタオル
体脂肪率がしっかり測れるような体組成計
一瞬で髪が乾くようなドライヤー
もうちょっと良い電動歯ブラシ

必要なものもまた短いリストに収まるものだった。
安心される人間コスプレ用のまともな靴
調味料棚
キッチンツールを吊り下げるやつ
キッチンペーパーホルダー

一人暮らしを始めた時から使っていたバスタオルを選びに選んでテネリータのふかふかのバスタオルに買い換えた
部屋を片付けていたら結構なポイントが入ったヨドバシカメラのポイントカードが発掘されたので体組成計も買った
ドライヤーと電動歯ブラシは印税が振り込まれたら記念も兼ねて買い換えようと思う
調味料棚を買ってからキッチンは随分スッキリしたし、キッチンツール干しやペーパーホルダーも今頃どこかの道を走るトラックの中にいることだろう。
まともな靴は昔両親に買ってもらったものを修理に出した。7月の最初の方に出来上がるという。

まだ使えそうだったバスタオルは中古のタオルを募集していた保護犬の団体に、買い手のつかない無難な服は古着deワクチンなる3000円くらいで袋を買ってその袋に古着を詰めて着払いで送るとどこかの国にワクチンとなって送られるらしい団体に送ることにした。

売上の10万円をどう使うか決めていないけど、最近始めたバレエの月謝に充てようかなと考えている。

豊かさとは全てを持っていることだと思っていた。でも、それは少し違う。ましてや、たくさんのものを持っていることなんかではない。
自分が欲しいものを知っていて、その中で必要なものを知っていて、むやみやたらと欲しいものを増やしては手に入らないことに渇き苦しむことをしないということだと思う。

片付けることより片付けた部屋を保つことの方がずっと難しいことは経験から知っているけれど、この豊かさの中でこの先も過ごしていきたいと思う。

私はいつか、床のみえるこの部屋でピルエットを回りたい。


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