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容姿が誰かの好みじゃないと終わりな世界の終わり

私に似ていると言われて複雑な思いにある人を「二重に整形してずっと小顔に整形したら似ているかも(つまりあまり似てない)」という言葉で慰める人を見た

誰も悪くないけれど、私が傷ついた
ただ、私は似てないと思うだけでいいのに
結局、話した結果、気持ちの良い人で言葉選びを間違えていたと謝ってくれたから今気にしてはいない

なんなら一番悪いのは私に似てると言って奴だと思った
でも、これも難しい
その人が本当に差別なく悪意なく私に似ていると言っていたら?
私は私に顔が似ているという発言には悪意があると思ったけれど、自分自身で自分の容姿を否定し差別しているのかもしれない

今でも私はブスと言われる
そういうのは悪意のある一部の人にすぎないのだけれど

容姿で人を傷付けるなんてダサくて間違っていると言われて久しい社会でも、俺たちはまだここにいるよ!と必死にアピールしてくる
何故か他人の容姿を品評して罵ることを自らに与えられた使命だと思い込む妖怪のごとき人間がネットのヘドロでゴボゴボと呼吸をしている

そういう輩の言葉は私に傷一つつけられないけれど、今回は私の容姿が無実の人を傷付けるツールになってしまったことが悲しかった
決まった美の基準に収まる容姿以外絶望的だという気持ちになる世界も

まだ整形を迷う日はある
二重にしたらもっと可愛いのかなとか、鼻をシュッと尖らせるにはいくらかかるんだろうとか何度も考える
でも、もう少しで飲み込めそうなのだ
全然美人じゃないけれど、私には私なりの美しさがあってそれを心のそこから信じられる日にもう少しで手が届きそうに感じるのだ

まだ容姿が悪いだけで絶望的にマウントを取られる世界だ
でも、実のところ、私はまだ何一つ困ってない
ネットの側溝にいるヘドロたちの寝言とその価値観に毒された身の回りの数人が耳障りなだけだ
私には素晴らしい友人たちがいる、私を愛する人たちだ
私は今、なんらかの偶然が重なって人前に出る仕事をしている
容姿に恵まれなければ、愛や夢を得ることが叶わないなんてことはない
ここはそんなに狭量でつまらない世界じゃない

容姿に恵まれない女が戯けることなく卑下することなく人前に出ることにびっくりする人はまだいると思う
こんな地味な女が何故?と
でも、じきに当たり前になるから

その過渡期には私に似ていると言われて落ち込む人がいるかもしれない
でも、いつか容姿はただの違いに過ぎなくなるから

私が美人に生まれなかったことに意味があるとは思わない
でも、私が美人に生まれなかったことを意味あるものにすることはできると思う

少し前にインタビューを受けた時、風体が素敵と言われた
風体とは身なり。外見。姿。その人の身分や職業を推測させる服装や振る舞いのことである
私は心地よいこの表現を何度も反芻している

ブスだって言ってくる奴らが悪いから、悪くない私は気にしなくていいというだけじゃない
私は風体が素敵な人間だから

瞼は厚くて重くても目を見開いて、だだっ広い肩幅で風を切って歩いてやる
容姿でマウントを取るなんて、なんと古臭い価値観だろうか
未だにお歯黒しないなんて身だしなみが、と言っているみたい

私は先に行くけど、どうする?

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