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武蔵野市住民投票条例「否決」を考えるーヘイトスピーチとこれから

 武蔵野市住民投票条例案が否決された。

 長島昭久議員や産経新聞の「働き」(あるいは二人の連携)によって、外国人に日本人と同条件で投票権を付与することが注目を集め、全国区の話題となった。全国初でないにもかかわらず。そして起こったのは、ヘイトスピーチ・排外主義の大合唱であった。

 もっとも、後に述べるように、今回「否決」という結果になったが、これは決してヘイトやデマなどに乗ったものではない。そのことはまず強調しておく。
 議員たちや市長等への敬意も込めて、否決された当日の「生の感想」として、以下、思ったことを書き連ねる。
※上から目線の偉そうな書きぶりになってしまうが、常体(「である調」)で書くと往々にしてそうなってしまうのでご勘弁願いたい。

1."ワクワクはたらく"本多夏帆議員の討論

1-1. 外国人の投票権付与だけが争点か

 武蔵野市住民投票条例案の採否は、実質的には中立派会派「ワクワクはたらく」がキャスティング・ボートを握っていた。そのワクワクはたらくの本多夏帆議員は、外国人の投票権そのものではなく条例制定過程等に疑問を呈し、反対という結論に至ったとしている。あわせてメディアに対し、外国人投票権付与だけを争点にしないでほしいと要望した。

 メディアの皆さまへ。
 今回、武蔵野市の条例の結論を見て、外国人の部分だけを取り上げて争点にしないでください。条例案を検討するということは、その一点だけで結論付けられるものではなく、様々な視点によって結論が導かれます。各議員の出した結論にはこのようにそれぞれ理由があります。そこを是非とらえて今後も議論をしていただきたいです。

 反対理由についての理論構成や、このメディアに対する主張は理解できる。たしかに武蔵野市住民投票条例案には、当然外国人の投票権以外の条文もあるし、上程までの過程の議論も多くあるにもかかわらず、全国メディアで報じられたのはこの外国人投票権についてだけであった。他方、外国人に日本人と同条件で投票権が付与されるということ以外において、住民投票条例として特別新しい内容もない(といっても、外国人同条件投票権付与自体2例あるが)ため、メディアがこれにスポットを当てることも理解できる。市内でのデモ活動・ヘイトスピーチ等も、これ一点に絞られ、報道としてこれに着目するのはやむを得ない。

 結果、本多議員の「お願い」は達成されなかった。
 「「外国人に投票権」住民投票条例案否決 東京・武蔵野市」(日経)、「外国人住民投票条例案が否決 東京・武蔵野」(産経)、「武蔵野市議会、外国籍にも投票資格の条例案を否決 賛否の攻防が加熱」(朝日)、「外国籍住民 参加認める住民投票条例案 否決 東京 武蔵野市議会」(読売)、「外国籍住民 参加認める住民投票条例案 否決 東京 武蔵野市議会」(NHK)等、メディアは外国籍住民の住民投票権に着目し、それを付与する条例が否決されたという趣旨の報道一色となった。その反対票に、前述の「ワクワクはたらく」の票も含まれるのである。理由などメディアや多くの市民、あるいは議員にとって重要視されないのが現実だ。

1-2. ヘイトは続くか

 キャスティングボートを握った本多議員の反対討論にもあるように、今回の"実質的な"否決理由は、「外国人に乗っ取られたくないから」でも「外国人に権利を付与したくないから」でもないしかし、市内各所で行われたヘイトスピーチ等により、他の争点が矮小化され、合意形成が困難になった(あるいは議論が尽くされていないとみえるようになってしまった)という点は否めない。本多議員らがヘイトスピーチ等による混乱が生じていなかった場合に、果たして「反対票」を投じたのかも疑問である。
 また、前述の通り報道では理由はあまり報じられず、外国人(外国籍者)の問題についての採否とみられる。
 これをみれば、ある意味ヘイトスピーチに屈したと思えてくるのも事実である。

 ヘイトや悪辣なデマ・ミスリードなどは許されないし、反対票の多くも許していないと信じているが。

 おそらく少しの間、否決された武蔵野市住民投票条例について、「外国人投票権」という一点において"騒がれる"だろう。こうしたメディアによる報道も相まって、ヘイトスピーチ・憎悪活動家らが勘違いして、「外国人投票権反対が勝った」と「歓喜」することも想像に難くない。(本多議員がいくらもっともなことを言っても、現実問題として「反対票」がヘイトスピーカーらを勢いづけてしまうであろう。事実、メディアによる報道も前述のとおり、「外国人住民投票権」を付与する条例の否決の一点に集中している。)

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 現に、このように、「危険性」や「外国人に権利は与えず"直接きけばよい"」、「参政権に繋がる」云々言説の正当化に使われてしまっているのである。
 他方で、良くも悪くも特にインターネット上の言説は飽きられやすく、忘れられやすい。武蔵野市住民投票条例についても、少なくとも市民以外の多くには、1か月もすれば「忘れ去られる」のではないか。ただ、見方によってはヘイトスピーチに屈したかのような先例を作ったことになってしまうのは、多いに残念である。

2. 地方自治体における議案周知の難しさ

 一自治体の条例がこうして全国で報道されることは多くあることではない。最近では、川崎市のヘイトスピーチ防止条例(「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」)などであろうか。
 例えば上程前、早期に報道されれば、周知不足に陥ることはあまりないが、固まっていない条例案を報道することなどもないので、それは難しい。

 個人的には、今会で否決された武蔵野市住民投票条例案の周知について、市側に大きな問題があるとは思わない。市の広報手段は限られており、その中で市側は市報で1頁全面を使って広報するなど、他の議案等に比べてその周知に気を遣っていたことは認められよう。これで「知らない」というのであれば、他の議案はより「周知不足」である。

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 もっとも、他の議案が周知されていないからといって、それで正当化されるものでもないのもたしかである。市民に広く周知されていなかったというのも事実であろう。いくら大きく載せても市報などまったく見ない、という市民は少なくない。
 武蔵野市に限らず、今後の自治体の広報の在り方は、今後より議論される必要があるだろう。

 幸か不幸か本条例が各メディアで報じられたことにより、武蔵野市が「住民投票制度」を作ろうとしていることについての周知は進んだ。周知をより重んじる立場の方々からすれば、やっと「土俵に乗った」という感じであろうか。
 本多議員はじめ、外国人の住民投票権付与に反対しないが、手続き的な面から(上程過程・市民参加という観点などを理由に)反対するという議員もいる。改めて、内容の精査・議論をしつつ、より効果的な周知方法を模索し、合意形成を図り、かつ可及的速やかに武蔵野市自治基本条例の完全施行のためにも、(外国籍住民を当然含んだ)住民投票条例策定がなされることを願う

3. 改めて「憲法問題」について

 なお、本条例案が違憲問題は生じないという点については改めて強調しておく。
 すなわち、自民党会派は憲法15条を引いて「国民固有の権利」などとしたが、そもそも憲法15条は「公務員の選定」すなわち一般的にいう「参政権」についての規定である。また、その15条の適用を受けうる地方参政権について、地方自治の本旨を理由に、外国人への選挙権付与を禁止しないことは判例より明らかである(最判1995.2.28)。
 参政権(自民会派は「広義の参政権」というが、学術的には「広義の参政権」は「公務就任権」をさす。)とは性質も法的拘束力も立法機関も異なり、残念ながら参政権に権利の強さとして及ばない住民投票権を外国人に付与することは、判例法理などから禁じられていないとするのが適切である。これは単なる筆者の私見ではなく、例えば早大・水島朝穂教授(憲法)、慶大・山元一教授(憲法)、成蹊大・武田真一郎教授(行政法)はじめ、武蔵野市住民投票条例について見解を示した学者に共通するところである。

 また、産経新聞が「衆院法制局の見解」とした長島衆院議員への回答である「何を対象にするのか、結果の拘束力がどの程度あるのかなど、前提となる要素が整えば選挙権に匹敵し得るだろう」についても、武蔵野市住民投票条例(案)における住民投票が、市の権限の範囲内で、法的拘束力の及ばない諮問型であることからすれば、そもそも「前提となる要素」が整わず、「選挙権に匹敵」しないことも付け加えておく。(仮に匹敵するとしても、上述のように憲法には反しない。)

4. そして、これから…

 武蔵野市住民投票条例は、いずれにせよ早期の成立が必要である。先にも述べたように、すでに施行されている武蔵野市自治基本条例は、住民投票条例の制定が前提となっているからである。市長も、今回賛成した議員も、くよくよしている場合ではない
 条例案についての議論は、討論においても外国人の投票権が主論点となっていたことは否めない。ただ、今後は例えば年齢要件(例えば義務教育が終わった満16歳以上にするなど)や発議要件(他自治体に比べて厳しめである)ほか、各種論点を整理・再検討することもできるだろう。「市民自治の一層の推進を図る」(自治基本条例1条)ためにも、よりよい方法を模索していってほしい。
 もちろん、自治基本条例の完全施行、また少し"政治的""戦略的"にはヘイトスピーカーらに屈しないというアピールのためにも、採決されてほしかったというのが個人の感想ではある(賛成=ヘイトスピーチ反対という構図になってしまったのも良くなかったが(本多議員はそれを覆したのかもしれないが、世間から本当にそう評価されるかは疑問))。
 ただ、改めて議論することは必ずしも後ろ向きなことではない。条例も一度施行されてから修正していくことは珍しくない(からこそ、中立派には「反対」を投じてほしくなかった)。が、条例がはじめて施行されるときから、後の修正が少なくてすむような、よりよい形である方が良いに決まっている。

 改めてヘイトスピーチに、排外主義に屈しない、と胸を張れる日が来るべく、新しい住民投票条例を待とう。

 武蔵野市が50年来進めてきた、市民参加の街づくり、市民自治の実現は、もう目の前まで迫っている。

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