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長男2回目 1

中学校生活が始まった

無事に入学した中学校は私立の中高一貫校。
新たな生活が始まった長男。
自宅からはまずバスに乗り、最寄り駅に行って電車に乗る。ドア to ドアで1時間、都会にある学校の割には比較的遠い方だった。

宿題が非常に多い学校で、元より「宿題をする」ことに慣れていなかった(それもどうなんだ!?)長男は、最初は生活に慣れるのが大変だった。
それでも、新しくできた友達とグループLINEで繋がったり、遊びに行ったり、元気に楽しく過ごしていた。

体育祭。
不登校時期には運動もしなくなり、まん丸になってしまっていた長男。
走ることに抵抗感だらけだったようだが、とはいえ不参加にもできず、必死に走っていた。逆にパワー系の競技では、当然のように土台や中心軸になって奮闘していた。
文化祭では、いろいろな自然法則や確率論などを説明する実験系のイベント担当だった。ブースに訪れた保護者に対して、友達と一緒に一生懸命説明している姿を見て、私は猛烈に感動した。

この時は、まさかこの中1の体育祭と文化祭が、中高6年間のうちの唯一の参加になるとは、夢にも思っていなかった。

電車通学

中学生は育ち盛り。よく寝る印象は持っていた。
学校まで近いとは言えない距離。中1と言えどまだまだ幼いわけで、最初の頃は当然疲れが溜まる。もし電車で座ることができたらラッキー。
でも座ってしまったが最後、目的の駅で目覚めず、乗り過ごしてしまうことが起きる。
しかし先生方も「まだ慣れていない中1にはよくあることですから」と、最初はおおらかに受け止めてくださっていた。(とはいえ、もちろん遅刻はつく)

各駅停車ではなく快速に乗っていたため、1駅先でもそこそこ遠くなる。
乗り過ごすのも最初の頃は1~2駅程度。10分くらいの遅刻でなんとかなっていた。
私も「なんでプチ遠足行ってんの~?」と笑っていた。
同じ駅から登校する友達も朝が弱く、乗り過ごした先の駅のホームで偶然その友達と遭遇したと聞いた時は「運命の人かな?」なんて軽口を叩いていた。

年長の頃から小児喘息を持っていた長男は、例年秋口に体調を崩す。小学4年で学校に行けなくなったのも、そのあたりだった。
私は、どちらかと言えば体調を崩さないかどうかに気を取られていたこともあり、朝のプチ遠足については「そのうち減ってくるだろう」と気楽に考えていた。
ところが、中学1年の10月頃から、乗り過ごす回数と、乗り過ごす距離がじわじわと増えていった。

携帯の持参が禁止されていたので、時間を見計らって携帯を鳴らすことや、携帯のアラームを使うことは不可能。そこで、目覚まし機能付きの腕時計を付けてみるも、一切効果はなし。
「さすがにちょっと遅刻が多過ぎますよね」と先生からも連絡が入る。
とはいえ、それなりの時間に布団には入っていたし、どうしたものかと思い始めていた頃、なんと2駅どころか2県分先の終点まで乗り過ごしてしまった。時間にして片道約2時間。
この時に多少の違和感は感じていた。その違和感をしっかり掴み取り、なんらかの行動に移していたら・・・と何度思ったことだろう。

なんとか秋を終え冬になった頃、長男は本当に体調を崩し、欠席した。
数日で再び学校に登校したが「駅で吐いた・・・」と連絡がきた。最寄り駅までのバスで酔ってしまい、でも時間もないからそのまま電車に乗るが、途中で我慢できず下車、トイレに駆け込む。
そんなことが日を追うごとに増えていった。


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