見出し画像

長男と次男 3

次男の恐怖のもと

次男も実は長男と同じ塾に通っていた。
しかしこれもある意味偶然が重なったのか、長男の時の先生方とは全く雰囲気の違う先生にぶち当たり(いわゆる熱血進学塾先生)、塾の授業すら怖くなってしまった。
暗いところがもともと苦手だった次男はそれにも拍車がかかり、夜に通塾することは不可能と判断、退塾した。

長男が中学校を卒業し、高校へ入学、次男も小6。
この頃になると、次男が「何がダメなのか」がだんだんわかってきた。
不確定なものと人間。それも子供。
大人は言っていいこと悪いことの判断が多少できるが、子供の無邪気さは時に残酷、かつ突拍子もない。

何が起こるかわからない不確定なもの。暗闇。子供達。

次男はそういう「誰が何を言い出すかわからない」不確定な人間たちが集まっているところを避けるようになっていた。
別室登校した時も子供達の話声が聞こえると、柱の影に隠れて出てこない。
相当の恐怖を抱いていることが見てとれた。

次男の恩師、小6の担任のK先生は、運動大好きで元気な男の先生。
まだお若かったが、次男のこの状態をしっかり受け止めてくださり、
「んじゃ別室で給食食べよっか」と提案してくださった。
長男の頃にはなかった別室。
長男が卒業してから作られたその部屋を見て、もしかしたらお兄ちゃんが先駆者かもしれないねーと笑っていた。
次男が給食を食べに行く日は、友達が数名給食を持ってきて一緒に食べる。
小人数、友達となら全然普段と変わらない、楽しそうな次男がそこにいた。

が、他の子供達から「次男って、美味しい給食の時だけ来るよね」と言いわれてしまったらしく、次男はついに給食すら行けなくなった。
それを知った担任の先生と副担任の先生は、子供達に向かって
「給食は、給食の先生がしっかりと栄養計算され、旬を取り入れた素晴らしいもの。食を勉強するのだから、給食を食べるのも立派な勉強なんです。
と伝えてくださった。

確かに他の子供達から見れば次男は特別待遇で、明らかにマイノリティだ。
でも給食を食べにおいでと誘ってくださった先生ご自身が、他の子供達にしっかり意図を説明してくださることで、子供達の違和感も一気に減るのだ。

イベントだけ参加する不登校の子供達に対して、NOという意見を見ることも度々あるが、今回のように先生と不登校児が相談し、いろいろ試していることを、先生がしっかり周囲に伝えてくださることで、他の子供達の理解も深まり、不登校児本人も安心して行動に移せるのだと思う。
そこからまた、次男は自信をもって給食に行けるようになった。

長男のWISC

その頃、長男はWISC(知能テスト)を受けることになった。
起立性調節障害の治療には総合病院の小児科に通っていたが、並行してカウンセリングは続けていた。(小児科I先生の指導により)
中3~高1になり大人向けのテストができるとのことで、受検してみた。

結果わかったこと。
長男はベースが高IQだった。しかし処理能力の項目が平均的なIQで、その差最大で35以上。
発達障害という診断にはならなかったが、なかなかの凸凹だった。

長男の学校は非常に課題が多い学校だった。
授業など、一度見たものについての理解度は高いため頭で理解できているのに、ノートに書いて提出するという処理が追い付かない。
処理能力が他の能力と比較して大きな開きがあることで、本人の中では課題を仕上げるという作業に苦手意識がもともとあったようで、余計に「自分はできない」という意識だけが強くなり、長男のメンタルへ暗い影を落としていることもわかった。
長男自身も、これまでの自分の特性がバチっと腑に落ちたと言っていた。

長男高校の担任の先生は、なかなか強烈なベテランN先生。
ある意味型破り、学校の主義を軽々飛び越えてくるような先生。
厄介な長男を受け入れてくれるのはN先生しかいない・・・となったのかどうかわからないが(たぶん99%そう)、N先生にもWISCの結果をお知らせし、すぐにご相談した。
N先生は
「だいたいこの学校は課題が多過ぎるのがおかしいんですわ。長男くんは、抜けている学年の補填をやったら、たぶん埋まると思います。補習でやっていきましょう!」
と提案してくださった。
数学のご担当のN先生だったが、他教科の先生にも共有くださり、長男の課題は適度に間引いてくださった上で、中学校の問題集を用いて英語と数学の補填をしてくださった。
(もともとご自身で学習塾をされていた関係で、中学英語の授業もOKの先生だったのだ!)

こうして、次男の給食登校と、長男の高校への登校が始まった。
私は、朝一で隣県の高校へ長男を送り届け、トンボ帰りで仕事に行き、お昼休みに中抜けして次男を小学校へ送り、また会社に戻ってフルタイム勤務をするという、今思えば無茶苦茶な生活をするようになっていた。

貧血でぶっ倒れたり、玉突き事故の最後尾に参戦したり、自分でも細かいことの記憶が、実はあまりない。
いろんなことが起こり過ぎて、日々をただただ走り回っていたような気がするが、自分でも気付かないうちに疲弊していたのだと思う。


もしお気に召しましたらサポートいただけますと、とても喜びます✨いただいたサポートは自己研鑽のために活用致します!