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これまでのこと。そして、これからのために。

 こんにちは、橘です。約一年ぶりのnote更新になります。一年という歳月はあっという間に過ぎ去っていきますね。
 この記事では、この一年間を振り返りつつ(と言いながらも2020年頭ぐらいまで射程範囲内)、これからの進路や自身の活動について綴っていこうと思います。
 結論からいうと就活に失敗し、就活浪人になったはものの、やっぱり思いを捨てきれず大学院進学に進路を定めた、というお話です。



1、これまでのこと


【2020年1月〜8月】

 
2020年初頭、まだ未知のウイルスが武漢での対岸の火事にとどまっていて、オリンピックイヤーに国民が心躍らせていた頃、私は学部3年生でした。そろそろ就活に本格的に取り組まなければと思いつつ、そこまで労力をかけることもなく、なんとなくで過ごす自堕落な生活を繰り返していました。その後3月の情報解禁から何社かESを提出しましたが、どれも書類落ちか一次面接止まりばかりでした。

 
 結局、その後内定をもらえることは一社としてなく、言うなれば就活に失敗した状態となりました。失敗してしまった原因は、

①1人で就活に取り組んでいて、相談する相手や練習する相手がいなかった
②業界を出版一つに絞りすぎた

③面接の練習不足


あたりが挙げられるかなと今にして痛感しています。
 中でも一番大きかった理由は、自分が大のマルチタスク苦手人間だったことです。大学受験が推薦だったせいかわかりませんが(多分関係ない)、とにかく複数の志望先に対して並行してそれぞれの対策を練るという行為がてんで出来ませんでした。
 またさらに言えば就活と卒論の両立が自分には到底不可能にしか思えませんでした。両方ともしっかりこなしている学生が大半なわけですから、ただの言い訳でしかありませんが……。

 そして、このまま就活も卒論も中途半端にしたままだと、どちらも終わらせられないと感じ、自分は卒論の方を選んだのです。そういった経緯で、12月初頭の提出日までは卒論にすべてを集中させようと一旦就活から離れることにしました。

【2021年1月〜3月】


 年末に卒論を提出し、授業も卒論演習が数回残されているのみだったので、年明けからは完全に時間があり余っている状態に。この頃自分はすっかり22卒として来年度以降の就職に考えを切り替えていました。が、2月頃某マイ◯ビに相談に行ったところ、「就活において新卒のカードを失うのは大きな痛手」と言われたので、急遽年度内の就職を目指すことにしました。

 その後、某マ◯ナビのエージェントに言われるがままに自己分析を行ない、適性面からエンジニア職をおすすめされ、数社のIT企業を受けることに。

 この段階では、「せっかくなら新卒のカードを利用して、とりあえず適当な企業に就職して、それから希望する業界なり職種なりに転職すればいいや」程度にしか考えていませんでした。


 しかし、1次面接前日になって、やはりエンジニア職には向いていないと悟り、面接を辞退することにしました。原因としては、志望理由が何も思いつかず、面接で話すことが一つもないこと、そして、何よりエンジニア職には知識も興味も全くないことが大きかったです。微塵も興味のない会社で労働意欲が湧くわけがないですし、そもそも面接で話すことがないのですから内定をもらえると考えることすら狸の皮算用というものです。

 こういった経緯で、結局年度内の就職は諦め、来年度以降の就活に再び気持ちを切り替えました。

【2021年4月〜6月】


 新年度に入り、改めて「就活に向けて頑張るぞ!」という気持ちになれたかというと、実際はそうではありませんでした。どこか心残りのようなモヤがあって、それがいつまでたってもしこりとなって、私を苦しめ続けるのです。その心残りというのが、文学研究、つまり大学院でした。

 そもそもなぜ現役のとき院進を考えていなかったのか、と読者の皆さんは疑問に思うことでしょう。正直言って自分でもよくわかりません。なぜ推薦入試を受験できる現役時に院進を考えなかったのか、なぜ就職活動の方を選んだのか。少なくとも学部3年の時点では、「研究というものに自分は向いてない。卒論を書き上げるので十分だ」と考えていたのだと思います。

 卒業したあとになってようやく「もっと研究に時間を費やしたい」という自分の気持ちに気付きました。ただ、学費の面や今更院進に舵を切ることへの引け目か、なかなか親に相談できずに、ズルズルと4月からの3ヶ月を浪費してしまいました。


 このままではまずいと踏ん切りをつけ、親に相談したところ、自分が思っていたよりずっと簡単に背中を押してくれました。「お金の心配はしなくていいし、受験するなら全力でやれ」と
。
 思えば、進路のことについて親に相談したことなんて今まで一度もなかったかもしれません。高校受験も大学受験も、ほとんど相談というよりは事後報告に近かったですし、就活もずっと一人で抱え込んでいるばかりでした。自分が悶々と悩んでいたことを、たった一言ですっかり晴らしてしまうのですから、本当に両親には頭の下がる思いです。

【2021年7月〜9月】

 院試を受けると決心してからは、今までうだうだしていたのが嘘みたいにすんなりと行動に移すことができました。というのも7月初頭に院試を受けることにしたのですが、早稲田大学の一般入試の試験日は9月の中頃で、時間があまり残されていなかったのです。しかも、すでにバイトの塾講のシフトを提出してしまっていて、夏休み期間中は相当数のコマを組まれてしまい、実質的な勉強時間がほとんどなかった状態でした。

 こんなことなら、もっと早く院進を決めて勉強を始めればよかった、何なら現役時に推薦入試を受ければよかったと後悔もしましたが、どんなに後悔しても仕方がありません。とにかく親にかけられた言葉のように、やるなら全力で試験に臨むしかないと気持ちを引き締め、受験勉強に勤しみました。
 そうわけで受験のために7月から3ヶ月ほどTwitterなどのSNSから遠ざかっていたのです(試験勉強まっさかりの8月に23歳の誕生日を迎えましたが、SNSに触れていなかったので誰からも祝われることはありませんでした)。


 なんだかんだと月日は矢の如く過ぎ去り、苦手な英語も知識の希薄なくずし字もそれほど対策できぬまま1次試験を迎えることに。ただ、完全に落ちたなと不合格を確信するレベルでしか対策してこれなかったので、かえって開き直った心地で受験することができました。

 その後何故か1次試験に合格、2次試験の面接もアガりまくってろくに喋れなかったのに、9月30日、最終合格通知をいただくことができました。7月に院進を決めてからトントン拍子にここまで行き着いてしまい、自分でもあまり事態を飲み込むことができていない現状です。

2、これからのために


 こうして、わたしは大学院に進学するという進路を得ました。

 読者の中には、「それは就活から逃げているだけだ」とか「モラトリアムを延長したに過ぎない」とか、「そうまでして大学院に行く意味はあるのか」と思った人もいるかもしれません。何を隠そう私自身そういった考えが頭から離れず、受験期間中ずっと反芻して悩んでいました。

 これに対してズバリと反論することはできません。モラトリアムの延長だと言われてしまえば、そう認めざるを得ない面もあります。
 でも、今その答えを用意する必要はないのではないかなとも思っています。

 実際に大学院に入って四苦八苦する中で、その答えがわかるかもしれないし、院卒業後数年経ってからようやくその意義がわかるかもしれません。もしかしたら、大学院に行く意味なんてなかったと絶望とともに悟る日が来ることだって否定することはできません。ただ私が今わかることは「わからないことを明らかにしたい」という確固たる思いだけです。

 この進路選択をまったく正解だとは思いません。現代日本社会の潮流から考えれば学部のうちに院進を決めておくか、就活を終わらせておくことがベストアンサーなのでしょう。仮に院に進んだとしても、結局就活が一年の夏から始まることを考えると研究に費やす時間はそう多いわけではありませんし、理系に比べて文系の院進者に対する世間の目も厳しいものです。
 そう考えれば私の進路選択は、ドロップアウトしてしまったといっても過言でないぐらいイレギュラーなものとなりました。将来への不安は当然たくさんあります。過去の自分の行動に後悔することも同じくらいあります。この進路選択を非難する人も少なからずいることでしょう。それでも、私は今目の前にある大学院進学という道を歩みださねばなりません。

 自分がこれからやりたいことは、就活や院試といった進路活動を通して少しづつ分かり始めましたが、完全に明らかになったわけではありません。まだまだ心の中のモヤは形を持たず、言葉を持たず、私ですら手にとって見ることができません。そんな「モヤ」をどうにかして言語化し、形作り、目に見える形にしていきたいと思っています。

 そのためにも与えられた貴重な時間を最大限に活用しなければなりません。基本的な知識からの学び直し、積読本の消化、noteの記事の更新に自費出版計画の進行。やるべきことやりたいことはたくさんあります。これらを一つ一つこなしていく中で、私の中の「モヤ」が豊潤な「一滴」になることを強く信じて、この稿を閉じます。


 それでは、今日はこのあたりで。さようなら。