見出し画像

『源氏物語』をデジタル時代に読む(2)「空蝉」I

 今回は『源氏物語』の「空蝉」の人間関係をネットワークとして表現した具体的なプロセスの解説を始めます。サムネイル画像の見え方が少し深まると思います。
 細かい話や基礎論的な部分は以下の前回記事に譲ります。……が、なるべく本記事だけで分かるように善処します。


なぜ空蝉か?

 真面目に文学を読んでいる人に怒られてしまいそうですが(汗)、岩波文庫の『源氏物語』第一巻で、「空蝉」の帖のページ数が一番少なかったからです。
 ……とはいえ、中高生の頃は古文の授業と試験で、全54帖の全体像も理解しないまま読まされる作品ですから、温かい目で見ていただきたく思います(汗)

分量

 尤も作業としては理に適っていました。
 ネットワークの描図は、帖毎に進めていくのが一番整然と進められますから、「とりあえず一帖試してみる」という経験は必要な練習です。運動習慣のない人がフルマラソンを目標にするなら、「とりあえず50m怪我せず走る」のが最初の練習ではないでしょうか。

 また「『源氏物語』のネットワークを描く」以前に、私は「古文を読む」のが久し振りでした。なので分量の多い「桐壺」ではなく「空蝉」から読み始めたことで挫折を免れたように思います。

文体と「向き」

 「空蝉」と「桐壺」の文体比較の観点でも、「空蝉」から始めたのは正解だったと確信できます。
 「桐壺」は物語の登場人物の来歴を概観・解説していくところから始まります。そのため記述される人間関係は「知り合い同士」が多数を占めます。そうなると「向きの無い関係」、無向グラフを描きがちです。

 しかし「空蝉」を読んでみますと、「AさんとBさんの内、片方がもう一方を一方的に認知した関係」というのが沢山出てきました。
 例えば「覗き見」です。「AさんがBさんに気づかれないように覗き見る」のは、前回記事でも解説した「向きが有る関係性」、有向グラフの関係です。
 サムネイル画像の矢印の所以です。矢印が双方に付いている線もあれば、片方しかない線もあるのはここに由来します。

『源氏物語』が久し振りだった私は、ほとんど文体を覚えていませんでしたので、当初とりあえず「空蝉」の「知り合い同士」のデータを採り始めました。しかしそれでは足りないと気付き、「一方が他方を認知したと読者が確認した関係」のデータを採ることに切り替えました。『源氏物語』の語りを考えると、『源氏』全体に有効な関係性定義は後者でしょう。

 そのような「桐壺」冒頭と「空蝉」での「採ろうとした」データの差は、両者の文体の差に由来します。確かに両者とも過去の助動詞で語っていますが、「空蝉」は光源氏の言動を中心に、出来事を時系列順に追っていきます。読者が一種の「臨場感」を抱けることは想像に難くありません。それに比べて「桐壺」冒頭の語りは、光源氏が生まれる以前に注目しており、「臨場感」というより、もっと昔話を聞かされているような気分になります。「空蝉」の文体が「過去」の語りなら、「桐壺」冒頭は「過去の過去」を語っているとでも表現したくなります。

 データ採取を考えながら読むと、こうした「語り」の情報構造の差に、ふと気づくわけです。こんなデジタルな発想を紫式部がしたとは思えませんから、そんな構造は意識しないで書いたでしょうし、読者としてもそんな意識を持たず素直に読む方が作者の期待通りです。しかし文学鑑賞に正解は一つではありませんから、「「語り」の情報構造」といった視点に気づいて、「自分の言葉」を豊かにするということも自由なわけです。

 ………本当なら助動詞「き」「けり」の頻度差を数えたりするのが望ましいところですが、まあ本題ではないので省略します。前回記事から本題に入らないまま話が長引くこと長引くこと、あしひきの山鳥の尾のしだり尾のごとしですから。

使用テキスト

メタデータ

 今回ネットワーク作成するにあたり参照したテキストの書誌情報を改めて記載しておきます。

柳井滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『源氏物語(一)桐壺―末摘花』〔全9冊〕岩波書店、2017年。

岩波文庫です。

理由

 『源氏物語』と言っても、紫式部が自分の手で書いた原本はありませんから、誰かが書き写した写本を、そしてその写本を植字・校正したテキストを参照する必要があるわけです。……が、筆者は日本文学について素人で、適切な写本を選べません。そのため専門家が責任を以て選択、校正したことが約束されている岩波文庫のテキストを使用します。

余筆

 オープンソースの令和時代、『源氏物語』のテキスト情報はインターネット通信コストを払えば(通信機器を除けばほぼ無料で)取得できます。
 それでも今回、岩波文庫を買ったわけですが、その代金には出版社や研究者への信頼が含まれていたわけです。

「空蝉」読んでみた

 今回は登場人物同士の関係をデータとして採取しながら読みました。
 先に述べたように「一方が他方を認知したと読者が確認した関係」を関係の定義としました。

 本記事はネットワーク作成を解説しますが、動画によくある「実況解説」という風にもいきませんので、あまり泥臭い部分はお伝え出来ませんが、泥臭い作業でした。上の関係の定義も、何度か読み返して決まったものです。

登場人物「リスト」

 まず登場人物のリストです。

Excelシートで筆者が作成した「空蝉」の人物リスト

 Idは識別番号ですが、計算機に情報処理してもらう都合の便宜上のものです。光源氏のIdを0とした以外はこだわっていません。帖に出てきた順です。今後必要があればこだわることもあるかもしれません。

 Labelは人物名です。こっちは人間が人物を識別するための情報です。Labelの方が人間には馴染み易い情報ですが、実際に決めるとなると泥臭い瞬間が多々あります。

 このリストも最初に示しましたが、作れたのは関係性データを一通り採取した後のこと、ほとんど最後です。源氏や空蝉、軒端荻は他の帖のキャラクターと名前が被ることはないでしょうが、侍女、女房などは絶対に被るでしょう。
 そういうわけで、例えば読んでいる最中は「侍女1」のように記しておいたのですが、一通り読むと、「空蝉」のデータセットでは一人しか記述する必要がなさそうだったので「侍女」にし、将来、他の帖のデータと組み合わせることも視野に入れて「侍女(空蝉)」としました。

 他のキャラクターについても、素人目線で名前が重複しそうな人物には「(空蝉)」と付記しました。
(筆者が『源氏物語』にもネットワーク分析にも素人であることがよく表れているかもしれません)

関係性リスト

 やっと本文に入れますが、全て丁寧にやっていくにはいい文字数になってきたので、今回は最初の数行までとします。

 「空蝉」冒頭には次のようにあります。

 寝られたまはぬまゝには、
 「我は[…]思ひなりぬれ。」
などのたまへば、涙をさえこぼして臥したり。いとらうたし、とおぼす。

『源氏物語』(一)198頁

一行目には早速注釈が付いています(199頁1番)。先の「余筆」に記したように、筆者は岩波文庫を買い、その校正注釈を信頼したので、基本的には注釈を信じます(主語が誰なのか書いてあってメチャメチャ読みやすくなった……!)。

 注1によれば、この場面は源氏と小君がいるようです。とりあえず「寝場」(しんば)にいるものと解しておきます(「寝室」と確信する情報が無いので、とりあえず観念的な「場」として、寝る場と解しました)。

 カギ括弧の中は源氏の台詞ですが、とりあえず内容は脇に置きます。今回の注目箇所は「のたまへば、涙をさへこぼして臥したり」です。注5によれば、涙をこぼして横になっているのは小君です。源氏が「のたまった」のを受けての涙でしょうから、小君は源氏を認知したものと判断します。

 逆に源氏も、その小君を「いとらうたし」(かわいらしい)と思ったようですので、小君を認知しています(同じ場面で起きてるので当然ですが)。

 今回、関係性データを採るルールは「一方が他方を認知したと読者が確認した関係」としました。そのためこの冒頭の箇所から次の二つの関係をデータとして採ります。

  源氏 → 小君

  小君 → 源氏

 向きのある関係なので二つに分けました。これを「源氏 ⇆ 小君」のように一つのデータとして楽に済ませたい気持はありますが、『源氏』では「覗き見」など、片方が気付かない関係が少なくありませんので、二つに分けます。

 それをデータとして書くと次のようになります。


Excelシートで筆者が作成した「空蝉」の関係性データ

 「Source」は矢印の出処、「Target」は矢印の向かう先です。下のように書くとデータの形をイメージしやすいでしょうか。

 Source → Target
  源氏 → 小君
  小君 → 源氏

 「Weight」というのはネットワーク全体での関係性の重要度のようなものですが、今回はどの関係性も等しい重さと解して全て1とします。

 「Type」というのは向きが有るか無いかで分けます。今回は全て「Directed」ですが、もし「向きの無い関係」をデータにしたい場合は「Undirected」とします。

 以上のSource、Target、Weight、Typeが、「関係性」のネットワークを描写する上で必須の項目になります。

 残りの「Chapter」は帖の名前で、空蝉です。「Number on Chapter」は「空蝉」内で何番目の関係かのデータです。とりあえずこれくらいの情報が有れば最低限でしょう。必要十分でしょうか(今後不足が判明するかもしれませんが、その時はその時です)。

 さて話題を源氏の台詞に戻しますが、注釈情報も含めて、源氏は空蝉に受け入れてもらえず「うし」(つらい)と思っているようです。しかし今回の関係性のルールは「一方が他方を認知したと読者が確認した関係」としました。そのため今回は源氏と空蝉の関係性データを記述しません。空蝉本人が「場」に居合わせていないからです。
 尤もこれはデータの重複や過剰採取を予防するためでもあります。源氏と空蝉の関係性は前帖の「帚木」にありますし、「空蝉」の帖にもあります。情報が多くても困るのは、デジタル時代の市民であればよく知るところです。

 ……デジタルの領域が市民権を得る以前であれば、こうしたデータ採取方針は「冷たい態度」だったのかもしれません。しかしコロナ禍で普及も促進され、「冷たい」と感じた方は少なくなったのではないでしょうか。それついて良し悪し思うことはありませんが、個人的な体験として、文学研究者と話していても「デジタル文学なんて…」という態度の人とは会わなくなりましたし、研究にデジタルな手法を直接使っていない人でも、好奇心を以て聞いてくれる人がほとんどな気がします。四年前には「オンライン授業」と言われて困惑した先生方もすっかりデジタルネイティブの如しです。当時ポストコロナといった言葉と併せて色々言われていた記憶がありますが、少なくとも「デジタル慣れ」のような事象は起きたのではないでしょうか。

 ……こういう雑記が既に何度か出てきたわけですが、こういう脱線が起きることにも、自動処理しないで泥臭くデータを作ったことを報告していく意義があるのではないでしょうか。一応この連載は「デジタル時代に読む」なので、この時代のインプットに対するアウトプットとして、脱線も遠慮なくしていこうと思います(この記事が22世紀にアーカイブされているものかは分かりませんが)。

 とりあえず字数もいい所なので、今回はここまでです。お付き合いくださる方がいれば、次回もよろしくお願いいたします。

参考文献
・柳井滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『源氏物語(一)桐壺―末摘花』〔全9冊〕岩波書店、2017年。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?