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ちょっと箸休め。

ここのところ
ポジティブ心理学や
日本語、暦についてなど続けて投稿してきましたが
今日はちょっと箸休めのような記事を書こうと思います。

最近、特に感じることがあります。
それは
「人はこれまでの経験で形成されている」ということです。

それを改めて思った経験はこんな感じです。

私の職場のひとつは
ファミリーがたくさんやってくるようなところです。
ファミリーの中でも、30代くらいのご夫婦と小さなお子さんを連れてるような方々がたくさんやってきます。

小さなお子さんはどうしても飽きると泣き出します。
その泣き出したお子さんを見ての感じ方に経験が表れるなあと最近特に思います。

その職場は女性が多いのですが、子供を育てたことのない人ばかりなので
子供の泣き声を聞くと、とにかく眉間に皺が寄ってしかめっ面になります。
「え、なに? なんで泣いてるの?」と言いながら様子を見に行ったりもします。

私は子供を育てたことがあるので
さして子供の泣き声は気になりません。
(大人の泣き声はさすがに気になりますが)

子供の泣き声って種類がありますが
甘えたくて泣く声と、緊急事態の泣き声との聞き分けはつきます。
なので甘え泣きの声は、可愛いなって思います。

思わず自然に「可愛いね」と発した私に
「え、うるさいなって思わないの?!」としかめっ面する同僚たち。

もちろん、その同僚たちは子供は好きなのです。
実際、泣いてない子に対しては話しかけたり一緒に遊んだりしているので
子供が嫌いなわけじゃないんだなというのは様子を見てわかります。
でも、泣き声には、拒絶反応を示します。

何度か同じようなやり取りをしていて思ったのは、子供が泣くことを自身の事として経験したことがないと、子供の泣き声自体が少し表現が悪いかもしれないけど「自分の中にはない異物」のような感覚なのでしょう。
だから違和感を感じるのだなと。
よく電車の中とか、飲食店の中とか、お母さんが必死に泣き止ませようとしてるけど泣いちゃう子供の泣き声に対して、周りの人が「うるさいなー」と言いたげにしかめっ面してる場面、ありますよね。
でも昔はバリバリ子育てしてたんだろうなっていう女性の方々は、なーんにも気にもとめない。
それもまた、経験の違いによる感じ方の違いなのでしょう。性格ではないんですよね。

だから、しかめっ面した人たちは、冷たいわけでもなく性格が悪いわけじゃない。
そう、経験による感じ方の違いなだけ。

ここから言えることは
経験してきたことの違う人とは、経験上にある感じ方を同一にすることは難しいし、それを強要してはいけないものだなということです。
お互いが経験の違いを理解して、お互いの感じ方を理解することの必要性を最近特に感じています。

ということで
みんな違うことを受け入れて
自分も誰かに受け入れられて
心穏やかに日々を過ごせるのがいちばんですね。
今日も新たな経験と出会って、自分を育てましょう。

ちょっと箸休め、でした。

今日もあなたの幸せを願っています。

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