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自分の虹を描いてみた(キャリアを考える)

50歳になってから数ヶ月。
もう自分でもとっても驚いているが
50歳になると日々考えることが急に変わってくる。
これまでは時が流れるまま、というか流されるままというか
「自分のことを考える」なんてこと、1日の中で1分もしていなかったけど
急に1日の空き時間の半分くらい自分の未来のことを考えている。

「このままいつまで働こっかな。」
「そろそろ人生の折り返し。
 どんな新しいこと始めようかな。」
「その前に、今の体力どこまで続くのかな。」

なんて感じで先のことをよく考える。
でも悲観的ではなく
とても未来を考えるのは楽しい。

なんだって?!今まで働いた時間より老後の時間が長いって?!

未来を考え始めるきっかけになったのは
この図を見たから。


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↑こちらは厚生労働省のHPより抜粋

この図のとおりに40年働いたとして60歳で仕事辞めたとしたら仕事辞めてからの時間の方が生涯仕事した時間より長いんだって。

私は仕事を本格的に始めたのが35歳。たった15年でも結構長いこと仕事に時間費やしてると今の時点で思ってるのに、老後がこんなに長くって、しかも大きな趣味もなく大した出来事もなく過ぎていったらつまんないなぁこりゃ。

もともと仕事を60歳で辞めるつもりはなく、70歳以上好きな時まで続けられる仕事への方向転換はここのところ考えていたのだが、んー早めに転換して軌道に乗せた方がいいのかもなぁ。

自分の人生だけは自分で決断しないといけないもんねー

自分の役割が多いと豊かでより自由な人生を作ることができる

ぐるぐるぐるぐる、、、と頭の中でいろーんな考えが回続けるけど、結局整理ができてないから、いったん整理してみることにした。

スーパーのライフキャリアレインボーに倣って
自分のキャリアレインボーを描いてみた。

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こちらは文部科学省のホームページにあった参考の図です。
平均的なキャリアレインボーはこんな感じでしょうか。

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私のライフキャリアレインボーはこんな感じになりました。

1 家庭人(家事全般をやる人)としての自分

20歳で結婚するまでは家事は手伝い程度なので家庭人の役割ほぼゼロ。
20歳ー22歳、28歳ー34歳までは専業主婦だったから100%家庭人。
35歳から仕事を始めて、家庭人の割合が半分に。
旦那さんが家事を半分以上手伝ってくれたり、今は母が家事をしてくれたりで家庭人要素が小さいけれど、55歳くらいからは家庭での時間を増やして、また家庭人の割合を増やした生活をできるのが自分の理想。

2 親としての自分

21歳で出産してから親キャリアスタート。
子供が中学生になり、高校生になり、大学生になり、社会人になりと節目ごとに親としての役割は少しずつ減っていった。
35歳で仕事を始めた時が子供中学入学の時。
今思うと、いきなり仕事に没頭し過ぎてしまったから、親としての自分を振り返った時にそこだけが引っ掛かってる。子供にとって良い親だったのかなぁ。

そんな子供も結婚し完全に独立。
大きな心配もするようなこともなく、親としてやれることもわずかになってきたなあとここ数年思っているけど、死ぬまで親って続くのよね、とこの虹を描きながら改めて親って感慨深いものだな、親になれたことは自分を豊かにする出来事だったなと思っている。

3 労働者としての自分

学生時代に服屋でバイトをしていた。
その時に、2つの店舗を行ったり来たりで売上にも貢献してくれたからと、バイトの身分で金一封(ボーナス)をもらった。


学校出てからすぐに結婚し出産したから仕事のキャリアは普通の人よりスタートが遅くって、人に話すと「珍しいね」とよく言われる。


23歳でデザイナーの仕事を始めた。ずっとやりたかった仕事だったけど、やってくうちに「なんか天職じゃないかも」と感じた。


その後、子供が小学校に入ってからの6年間は専業主婦をした。
その間は外では働かず、ネットで自作の服や雑貨を売ってた。
すごく楽しいんだけど、一人でやってると結構孤独、と感じた。(今みたいにコミュニティとかもメジャーじゃなかったし、ネットショップも今みたいに誰でもやってますって感じじゃなかったから、一人でほんと、試行錯誤の日々)

子供が中学校に入ったのを機に外でいったん仕事を始めた。
結局、服を売るのが好きだなと思ったので服屋で働き始めた。
それから15年間、結局、服をメインに売っている。
いつか自分が作った服を売るところに戻っていきたいと思ってたけど、今はもう自分で作るという思いはない。

50歳を手前に、世の中の状況も変わったし、私も考え方が変わっていって、これから先はものを売るというよりも、困ってる人を自分の持ってる力で助けられるような仕事がしたくなってきた。
現在、今後の20年に向けて模索しながら、今まで長くお世話になった会社にちょっとでも恩返ししていきたいと思いながら日々仕事に励んでいるところ。

4 余暇を楽しむ人としての自分

子供の頃はちょっと時間があれば学校の校庭に行って、鉄棒やったりドッジボールやったりポートボールやったり、とにかく外で遊ぶのが毎日の楽しみだった。
それとはまるで正反対に、ピアノを弾くのも大好きで、弾いていいと言われれば2時間でも3時間でも弾いていられたな。

音楽はとっても好きで、高校卒業するまでいろんな楽器に触れてきた。
高校卒業と共に自分を取り巻く環境が大きく変わったせいで楽器とも縁が遠のいてしまった。
高校卒業して専門に進んでからは時間があれば散歩していた。
散歩しながら写真を撮って歩いたり、散歩で見つけたものを絵に描いたりして遊んでいた。
音楽を楽しむのは変わらずだけど、ライブハウスに行って音を楽しむという形に変わった。

結婚してからは手芸にはまった。
家族の服を作ったり、バッグを作ったり、刺繍にはまったり、、、
それが後々、ネットショップに進化したりして。
よくよく考えてみると、「何も趣味や特技がないのよね」と最近ではいうことが多かったけど、掘り起こしたら結構あるじゃん。

また余暇の時間を少し増やせるようになったら
一番やりたいのは、手芸かなあ。
ピアノは最近、たまに弾くようになり、やっぱりピアノは楽しい。

5 学生としての自分

小中学校の時は勉強は好きで学校の授業も楽しくて、なんで周りが勉強嫌なのかがわからなくって、とにかく空気が読めなかった。
「え、楽しいじゃん」と平気でいえる子だった。
高校に入ってから一気に勉強が嫌いになった。
勉強が嫌いというより、学校の先生がとにかく嫌いだった。
高校の先生ってどうしてこんなにくだらない先生ばかりなんだろう?と思ってしまったら、授業に出る時間がもったいなく感じた。

専門の時は本当に楽しかった。
自分が好きなことだけを勉強できて、しかも専門はそれを好きな人ばかりのコミュニティだから「好き」と言っても誰にも不思議がられないのが居心地よかった。
先生たちも個性的で自己主張できる先生たちで、それでいて生徒たちの主張を全部受け止めてくれるいい先生ばかりだったな。

それからは、資格取得のために短期間勉強したりと時々勉強モードに入ったりしたことがあるが、最近が最も学生してると思う。
現在まさに国家資格の勉強中で、この学びは永遠に続けていくだろうなと確信している。それくらい、今、学生の自分が充実している。
スクールで出会った同級生の方々、そして何より先生がとっても素敵な先生で、学び始めて本当に良かったと思う。

ここまで書いて思ったが、私の学びは、そこに関わる人との関係性が大きく影響しているみたいだ。

6 子供としての自分

最後に、子供としての自分を考える。
割と早くに結婚して親元から離れたので、子供としての役割を早くに離脱しちゃったなと思っていた。心配も迷惑もとにかくかけないと心に決めて必死にやってきたけど、それは子供として本当に正しい姿勢だったのかなぁ。

なーんて思ってたら突然、再びの共同生活が数年前に始まった。
一緒に暮らせばボロも出るから、もう隠せない(笑)
ということで今、数十年ぶりに子供やってます、って実感しながら生活中。
母も「母やってます」って感じで、2人だけでの初めての共同生活を楽しんでる。
母が100歳まで生きるとしたらあと20数年。
ずっと子供という役割も続いていく。笑って子供をやり続けたいものです。

ライフキャリアレインボーを描き
それをもとに思ったままを連ねてみたが
連ねてる間に気づいたり思い出したり、、、
これまでの人生、色々あったんだね、実は。
「自分、何もないなぁ」なんてちょっと自信なくしてたりしたけど
なんかすっきりしたー。

こんだけ長い文章になるくらい、生きてきたんだなぁ。

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